宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

本谷礎石群の下草刈り作業

2007-11-28 | Weblog

本谷礎石群の下草刈り作業

いよいよ次の土曜日12月1日に
平安時代の宝塔跡と考えられる本谷礎石群の
下草刈の山作業をおこなう予定です。

集合は9時に竈門神社駐車場です。
事前説明をおこなった後に乗り合わせで
現場近くまで移動することとしております。
その際にはご協力をお願いいたします。
作業は各自の責任においてご参加下さい。
ある程度の鎌や鋸などは準備する予定ですが
各自でご持参いただければ幸いです。

午後までの時間帯(3時頃まで)で考えておりますので
昼食と飲料水はあらかじめ各自でご準備ください。

事務局

竈門神社の紅葉

2007-11-21 | Weblog
竈門神社の紅葉


今朝のNHKのローカルニュース枠で
竈門神社からのレポートが流れたので
平日の夕方まで参拝のお客さんが多く
竈門まで訪れていたようです。
行ってびっくり。
拝殿の前に無人の中継施設が鎮座し・・・
のべつNHKには竈門の様子が配信されているそうです。

紅葉の名所もここまでいけば・・・
もみじは紅葉したものと緑葉のものとが折り重なり
まことに玄妙な空間をつくりだしています。
週末の連休も多くの人でにぎわうことでしょう。



次期例会について

2007-11-21 | Weblog
次期13回例会について

告知しておりました例会内容につき
「内山区の歴史」については時期以降に延期とさせて頂きます。
ご了承下さい。

宝塔院跡については予定どうりおこないます。
天台宗を開いた最澄が全国6箇所に法華経を奉納する
「六所宝塔」の造立を発願し、
弟子である證覚によってここ宝満山に六所のうちの
「安西塔」が置かれたとされています。
これは天台宗による法華経世界の創出を目論んだ
壮大な国家規模のプロジェクトの核を成す重要な建物であり、
山中には人知れずその推定地が存在します。
今回は共同作業での下草刈を予定しておりますが
その事後学習としての企画でもありますので
ふるってご参加下さい。


第13回例会と下草刈のお誘い

2007-11-17 | Weblog
第13回例会と下草刈のお誘い

下記の日程で時期例会を予定しております。
また、例会終了後に場所を移して忘年会も企画しております。
ふるってご参加下さい。

第13回例会(予定)

日時;平成19年12月8日 土曜日 午後2時から
場所;太宰府天満宮 文華殿2階 天拝の間
内容;「内山区の歴史」
   「宝満山の宝塔院跡について」

忘年会

日時;平成19年12月8日 土曜日 午後6時から
場所;筑紫野市 二日市温泉街 料亭 こまつ千寿
会費;3,500円程度
※ 忘年会は幹事まで事前にお申し込み下さい。
※ あくまでも現時点での予定ですので内容に変更の可能性もあります。
  その際は、本ブログで告知いたしますので、ご了承下さい。


宝満山の枝打ち・下草刈作業のお誘い

春先の有智山城での作業に続き
フィールドワークで見学した宝満山裾にある
「妙見礎石群」について下記の日程で作業を行います。
この場所は天台宗を開いた最澄が全国6箇所に企画した
宝塔院の一つに推定される貴重な遺跡で
現在は藪になっており見学もままならない状態です。
会で出来る範囲の枝打ち・下草刈を行いたいと思います。

日時;平成19年12月1日 土曜日 午前9時から午後3時頃まで
場所;竈門神社駐車場に集合して一緒に移動します。
※ 各自の飲み物と昼食はご準備下さい。
作業中の怪我等は基本的に自己責任となりますので
十分注意してご参加下さい。

長床と獅子の宿

2007-11-08 | Weblog
長床と獅子の宿

現在、長床といわれる場所は山中でも
古木に入る大きな杉がある谷地であり、
キャンプセンターから剣窟に至るルート沿いにある。
道沿いに半分埋まった花崗岩の石の列が覗いている。
それらは建物の礎石のような配置を呈している。
谷の奥は雑草が茂るが、一見して何度かの土砂崩壊によって
旧地形が埋没している様子が伺える。
したがって宿としての参篭小屋や護摩壇などの諸施設は
埋没していて見ることができなくなっている可能性もある。
測量などの調査が必要な重要箇所のひとつといえる。

『宝満山絵図』(江戸前期)と『宝満山山中絵図』(江戸後期)
の表記にみる獅子宿と雨宝堂の位置的関係も
一見すると整合していない模様であり、
場所の比定は容易ではなさそうでもある。

『宝満山歴史散歩』の森弘子説では
獅子の宿はキャンプセンター下の水場あたりにされている。

通称「水場」

「長床」(水分りの祭祀2)

2007-11-07 | Weblog
「長床」(水分りの祭祀2)

雨宝童子の続きを一席。

宝満での雨宝童子は獅子の瀧、獅子宿との関係が強いようである。
『竈門山旧記』は続けて「其下に滝あり。獅子滝という。
行者閼伽水汲玉う水也。雨乞の節秘法所也。」
獅子の宿は修験道が盛行した江戸時代には峰入りの拠所とされ
春峰の出発点であり、英彦山春峰の受け入れ折り返し地点でもあった。

現在は獅子の宿は「長床」と呼ばれる谷地の平場に候補地がある。


長床とは、本来は峰宿における護摩炉壇を意味したが、
次第に山伏の修行場としての機能を持つ施設の呼称になったもの。
熊野本宮においては社殿前に「長床」が置かれている。
また熊野では長床に依拠する山伏を長床衆と呼んだ。
このようにこの場所長床は修験道においては
山中における根本的な活動拠点となった場所である。

そして修験道で最も崇められる役行者の由縁が語られる場所でもある。

つづく

大根地山から

2007-11-04 | Weblog
大根地山から

過去の記事で宝満山頂より
東隣の大根地山の風景をUPしたことがありますが(7/5)、
大根地には未だ登っておらず気がかりでしたので
登ってまいりました。

大根地山。標高652m。花崗岩からなる。
山頂下に大根地神社が鎮座する。
かつての英彦山春峰の修法の場である。
コースは筑紫野市山家側の甕冠(かめかぶり)神社より登拝。
比高差約300m位か?
11:20 神社境内から林道へ
11:30 杉の植林帯のつづら折れの道が続く
11:35 雑木林に移行する
11:37 岩の露出が増える。
11:43 英彦山が突然見える。意外に近い眺望!

(画像中央やや右奥が英彦山)
11:45 道が平坦に。夜須高原、馬見山等々連山で見える。
11:47 急に平地に出る。砂利敷きに軽自動車が・・ガーン
   北の竜岩側からは車道があったのね!


11:50 大根地神社参拝。
   「雲閣神社」「大根地神社」「別当神社」の三柱が祀られる。
   茶店もあり。(ビールも売っている!)
   眺望は筑豊方面を望む。
   山頂へはさらに神社の裏から上へ。


12:05 山頂に至る。
   途中の平場2段は現代の送電線跡らしい。遺物なし。
   眺望は南から東に開ける。

   木立の先に宝満がようよう覗く。


(画像右が宝満山頂で左が中宮跡)
   以外に遠い。
   宝満からの大根地は近く感じたのに。
   反対に宝満からの眺望と比較すれば英彦山が近く見える。
   春峰ルートはおそらく修法の場としての頂からは
   殆どの箇所で英彦山を望むことになっているのではないか?

   こちらの方向からの宝満山ははじめてみた。
   山頂から中宮までは意外なほどおだやかに
   なだらかなシルエットでつながっている。
   女道ルートは遠くからみてもおだやかな表情なのだ!

   南の眺望は耳納連山が囲い込むように広がり
   西端の高良山で途切れた山並みの先には
   有明海があるはずだが・・・今日は見えず。
   遠く霞んでいる。

12:30 軽い食事の後に下山。
12:47 早駆けで降りて甕冠神社に戻る。



雨宝童子(水配りの祭祀1)

2007-11-03 | Weblog
雨宝童子(水配りの祭祀1)

 正確には金剛赤精善神雨宝童子といい、雨宝陀羅尼経が根本経典である。
頭上に五輪塔、右手に金剛宝棒、左手に宝珠を持つ童子形の尊像で表現される。
大日如来の化身ともされ、伊勢では天照大神がその垂迹した姿とする。
難陀龍王と共に十一面観音の脇侍としてまつられることが多い。
ちなみに宝満山の本地仏は十一面観音である。

 江戸前期にあたる明和4年(1767年)の『宝満山絵図』には
現在の筑紫野市側の谷奥に「雨宝堂」が描かれている。
現在では金の水の谷に雨宝窟の推定地があり、
その場のこととも考えられるが宝殿のような建物の建つ余地はない。
いずれにしても窟からは谷水が流れ出し水源の聖地には違いない。
現在でも修験の行中に舎利を拾う聖地にもなっているそうで
山中においても信仰の要所であった。

『竈門山旧記』によれば
「此外(七ヶ所岩屋)に雨宝の岩屋という処あり。小角(役行者)俄かに
雨に相此岩屋にて凌玉う。小角雨に宝の岩屋との玉う。
後世雨宝童子を安置す。側に獅子童子、竜樹菩薩在ます。
行者修行の砌出現し玉う是処と成。同所竈門山法立灌頂の地也。」
とされ、その聖地観が述べられている。

推定雨宝窟

つづく

追伸

今月末に本谷付近の山作業を予定しております。
また、次回の例会は12月8日(卓話・忘年会)の予定です。
詳細は追っておしらせします。

事務局