本日、太宰府市内山の宝満山遺跡第42次調査の現場で
現地説明会が実施され、猛暑の中約80名の参加者がありました。
お天気は梅雨明け後の快晴。
山頂ではきれいに有明海、多良岳、
彼杵半島、雲仙普賢岳が一望できたそうです。
現場は35度越えの猛暑となりました。
遺跡は大字内山字大門の畑の中にあり、
農地を転用して造成される予定だったそうです。
現場では大山寺段階の堂の基壇、それにあがる階段、
建物の礎石、堂周りの石敷きや瓦敷きの遺構などが見られます。
見学者は新聞各紙の報道や本ブログをご覧になられてこられた方々で、
暑い中、熱心にメモを取ったり、写真を撮ったり。
現場ではこの建物は9世紀以降、12世紀までに成立したものとされ、
下層には9世紀の焦土層らしき層がありました。
土器は8世紀から見られ、同時期の鴻臚館式軒平瓦が出土しています。
軒丸瓦には本谷礎石群(推定六所宝塔跡)の創建瓦と
同はんの蓮華紋を持つ10世紀の軒丸瓦などが出土していました。
遺跡は協議によってとりあえず残されることになったようです。
今後、宝満山での寺社の変遷を考える上で要となる主要な建物と言えます。
建物前面に礼堂(らいどう)と見られるスペースがあることから、
平安後期の仏堂と考えられ、大門を入って最初の大堂となる建物でしょう。
金堂などの推定が可能なようです。
大山寺は早くに廃絶したため直接の文書が残されておらず、
宝満山の信仰史を考える上で貴重な発見と言えます。