宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

宝満絶滅危惧種

2010-07-25 | Weblog

キツネノカミソリはちょうど今頃見ごろを迎えています。
福岡の井原山や油山などではこれを目当ての
カメラを抱えた登山者が増えていることでしょう。

しかし、太宰府市側の宝満山ではめっきり見る機会がなくなっています。
筑紫野市側ではまだ幾分見ることがあるようですが。
これもおそらく盗掘による消失なのだと思われます。
宝満絶滅危惧種の一つと言えるでしょう。

宝満山上宮社殿越しの有明海

2010-07-23 | Weblog

宝満山山頂の竈門神社上宮社殿の南西側を覗くと
大気のご機嫌が良ければ彼杵半島とその前に
有明の海がたなびくように見えています。


目を凝らすと右に佐賀の多良岳が
左には長崎雲仙の普賢岳がはるかに見え・・・
地図の世界が目の当たりに出来て・・・
山頂に立つ醍醐味の一つです。

百段雁木の傷み

2010-07-21 | Weblog

梅雨直後の巡回ではいくつか気づいた個所がありました。
7月14日早朝の集中豪雨で百段雁木の中ほどの石段の一部が
写真のように水流によって目地が流されて緩んでいる様子が見られます。

応急で小石を詰めたりはしていますが、要観察の状態でしょう。
決して駆け下ったりして石段を傷めないようにお願いします。

宝満山遺跡第42次調査の現説

2010-07-19 | Weblog

本日、太宰府市内山の宝満山遺跡第42次調査の現場で
現地説明会が実施され、猛暑の中約80名の参加者がありました。

お天気は梅雨明け後の快晴。
山頂ではきれいに有明海、多良岳、
彼杵半島、雲仙普賢岳が一望できたそうです。
現場は35度越えの猛暑となりました。


遺跡は大字内山字大門の畑の中にあり、
農地を転用して造成される予定だったそうです。
現場では大山寺段階の堂の基壇、それにあがる階段、
建物の礎石、堂周りの石敷きや瓦敷きの遺構などが見られます。


見学者は新聞各紙の報道や本ブログをご覧になられてこられた方々で、
暑い中、熱心にメモを取ったり、写真を撮ったり。


現場ではこの建物は9世紀以降、12世紀までに成立したものとされ、
下層には9世紀の焦土層らしき層がありました。
土器は8世紀から見られ、同時期の鴻臚館式軒平瓦が出土しています。
軒丸瓦には本谷礎石群(推定六所宝塔跡)の創建瓦と
同はんの蓮華紋を持つ10世紀の軒丸瓦などが出土していました。

遺跡は協議によってとりあえず残されることになったようです。
今後、宝満山での寺社の変遷を考える上で要となる主要な建物と言えます。
建物前面に礼堂(らいどう)と見られるスペースがあることから、
平安後期の仏堂と考えられ、大門を入って最初の大堂となる建物でしょう。
金堂などの推定が可能なようです。
大山寺は早くに廃絶したため直接の文書が残されておらず、
宝満山の信仰史を考える上で貴重な発見と言えます。

大雨後の宝満山

2010-07-18 | Weblog

福岡は博多祇園山笠の一番太鼓とともに梅雨が明ける、
と言われたりしますが、今年は7月17日に梅雨明けしました。
久しぶりの眩しい日差しが満ちています。


竈門神社では丁度夏越しの夏祭りの日で、拝殿正面には
カヤで設えた茅の環が置かれました。
梅雨明けを待ちわびたホウマニスト達で山は賑やかです。


山中では一の鳥居下の車道や行者道の一部で土砂崩壊があり、
梅雨末期の集中豪雨の爪痕を残しています。

つづく・・・


宝満山の遺跡説明会

2010-07-16 | Weblog

太宰府市役所のHP(http://www.city.dazaifu.fukuoka.jp/bunka_t/gentisetumeikai.html)より

太宰府市大字内山での太宰府市教育委員会の発掘調査で、
平安時代の基壇を伴う礎石建物が発見されました。
記録にある「大山寺」段階の堂社跡と考えられているようです。
九州の霊山が中世的な山岳寺院になっていく過程を知る上で、
注目される発見です。

遺跡の現地説明会が行われます。
場所;太宰府市大字内山 (宝満山遺跡第42次調査現場)
   竈門神社駐車場より南西へ徒歩3分
   太宰府市コミュニティーバス竈門神社バス停より南西へ徒歩3分
日時;平成22年7月19日月曜日(海の日) 10:00より

※説明会後に現場は埋め戻される予定