宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

白山登拝記録抄付録

2007-08-31 | Weblog
白山登拝記録抄付録
(勝山平泉寺跡)

2007年7月31日

白山登拝が終了し一行は帰路には
白峰から福井県勝山市に抜け
北陸自動車道に至るルートを辿った。

勝山ではせがんで寄り道をしていただき
現白山神社、かつての平泉寺跡に参拝した。

この平泉寺はかつては越前馬場の名称で
越前側から白山に登拝する禅定道の起点になった寺院であり
白山中宮を併せ持つ一大宗教施設であった。


白山を開いた泰澄の供養塔も参道に見られる。
中世に於いては「南谷三千六百坊、北谷二千四百坊」を描く
境内図が残されており、遺跡として
東西1.2km、南北1kmの規模を誇るという。
まさに越前の冨が集積された場であったことがわかる。


一般道から折れ参道に入ると
永遠続く杉の巨木の並木に導かれ
真夏の静寂な中にそれは鎮座していた。
石畳、苔むした参道際、石組みの水路、杉の古木の並木。
一切、観光のために媚びた演出のない境内。
白山の信仰拠点にふさわしい気品のある神社。
信仰の原点を思い起こさせてくれるような体験。
聞けば境内の維持管理は地元住民の方々でまかなわれているとか。
苔の絨毯は見事としか言いようのない見事さである。


二の鳥居のさらに見上げた奥に拝殿
さらに登ったところに本殿があった。



拝殿には今も「中宮平泉寺」の懸額が掛けられていた。
廃仏毀釈の際にははずされたであろうものが
こうして掲げられていることは
全国の神社の中でも稀なことではなかろうか。
中世の思いがちゃんと残されている証拠である。


参道東の集落を覗くと
礫で区画された街路が今でも機能しており
発掘で発見された16世紀の坊院の区画が
現在に生きているような印象であった。

ここがあの白山信仰を支えていた一つの拠点であったところだ。