宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

例会での貴重画像

2009-06-24 | Weblog

第21回例会で紹介された画像には
今となっては得難い画像が紹介されました。
昭和54,55(1979,1980)年の
「宝満山シャクナゲ会」による植樹の風景。
まだ小さな苗を小袋に入れて会員が緑の昇りを先頭に
さっそうと竈門神社から山中に上がらんとするシーンなど、
往時の様子が克明に記録されていました。
参加者のお若い姿が登場する度に歓声があがったりして(笑)。


また、平成になってからの「御笠石楠花倶楽部」による
生木の植樹風景を、当時会員でビデオの記録を撮り続けられた
秋元(あきね)さんご本人の解説付きで拝見しました。

昭和50年代からの宝満山を愛する人々の想いが、
今回のDVDの再編集された画像から生々しく
知るではなく感じ取ることができた、
そんな貴重な体験をさせていただきました。

映像をご提供いただきました方々、
膨大な原本からデジタルに編集いただきました
会友のみなさまに心から感謝を申し上げます。

※次回の例会は8/29土曜午後の予定です。

宝満山研究会の第21回例会

2009-06-22 | Weblog

平成21年6月20日午後に太宰府天満宮文華殿2階天拝の間にて
20数名の方々のご参加をいただき例会がおこなわれました。
例会では会友の末永さん、尾登さんお二人による本研究会の
活動の軌跡と宝満山での峰入り行事についてや遺跡調査など、
近年の耳目を集めたニュース素材などの映像を鑑賞しました。

「宝満山の史跡と自然を探訪する集い」の記事

2009-06-17 | Weblog

昭和60年に行われた宝満山石楠花愛好会の
「宝満山の史跡と自然を探訪する集い」の記事

会員数がこの時点で50名と記載されています。
会は植樹を全8回、4500本の植樹を会費、カンパ、
寄付でおこなってきたが、その後も盗掘が相次いだため、
積極的に宝満山の自然の美しさをPRしようと
探訪の集いを計画した、と記されています。
ルートは「竈門神社~中宮~羅漢道~山頂
~仏頂屋根~北谷道~有智山城跡」だったそうです。
自生するシャクナゲやミツバツツジの観察や
霊場としての遺跡めぐりを楽しまれたようです。

そろそろ本会でもいいかも知れません。
先人の足跡と遺跡めぐり登山。

来る土曜日の研究会例会ではそのお話も聞いてみましょう。

6月20日例会のみどころ

2009-06-16 | Weblog

先日、御笠石楠花倶楽部の事務局を急にお尋ねして
古い事績をお見せいただいたら宝物を発見しました。
昭和52年、1977年5月25日の朝日新聞の記事です。
先にご紹介した「宝満山シャクナゲ会」結成の記事です。
最初の名称が「宝満山のシャクナゲを愛する会」だったのですね。

次回の今週土曜午後の宝満山研究会の例会では、
なな、なんとこの「宝満山シャクナゲ会」の
昭和54年頃の植樹を記録した画像が近頃発見され、
それを流していただけるそうです。
まさに本ブログとしてはタイムリーです!
お見逃しなく・・・

宝満山研究会 第21回例会

2009-06-15 | Weblog

(宝満山中の咲き初めしヤマアジサイ)

次回の例会は今週末です!

案内状の発送が遅れておりますので
改めて告知いたします。
お間違えなきように。
来た人会員ですから
どなたでもご参加いただけます。

 記

日時;6月20日土曜日午後1時より
場所;太宰府天満宮 文華殿2階 宝満の間にて
内容;会友尾登氏、末永氏撮影の宝満山画像記録の鑑賞会の予定です。
参加費;資料代・運営費として200円程度のお願をしております。

※ 今回の映像は宝満での本研究会の活動ぶりや
山中での遺跡調査の記録や修験の峰入りなどなど・・・
ニュースで放映された貴重映像も一挙に公開します。
お見逃しなく!

講座「霊峰宝満山」の開講

2009-06-15 | Weblog

平成21年6月14日。竈門神社主催の森弘子さんによる
「霊峰宝満山」講座が太宰府天満宮余香殿2階において
参加者200名を集めて開講しました。
講座は来年9月まで全18コマのプログラムで、
毎回2時間のロングラン講座です。
平成25年に開山1350年祭を迎えるにあたっての
竈門神社のプレ事業の一つなのかも知れません。

太宰府顕彰会から博士論文「宝満山の環境歴史学的研究」を刊行され、
それが一般頒布されることに先立つ講座の開設なのだそうです。
森さんは大学の卒業論文で『宇佐八幡宮御託宣集』による
宝満山の研究に手を染められて以来のご研究歴を持たれ、
『宝満山歴史散歩』(2000年葦書房刊行)をお持ちの方も多いはず。

「登山で有名なだけでなく、歴史も広く知っていただき、
これからも幾世代にわたって宝満が大事にされますように」
とのお言葉は、まさに私たち研究会の願いそのものです。

初回の講演が終わった後の盛大な拍手は、
多くの人にその言葉が受け入れられて
次に繋がっていくことを予感させる、
そんな印象をあたえてくれました。

韓国では宝満山ブーム!?

2009-06-14 | Weblog
韓国では宝満山ブーム!?

お気付きの方もいらっしゃるとは思いますが、
最近山中で黄色いリボンのマーキングを
見かけるようになりました。
よく見るとリボンにはハングルが・・・
「グリーンマウンテン」?



そういえば週末は特に韓国人登山客が増えてます。
うつむいてストイックな方、
ご陽気なしゃべりっぱなしのおばさま、
写真を撮りまくっているおじさま・・・etc
団体さんとの擦れ違いの時は
ここが済州島のハンラ山かと思うほど。
山中で道を尋ねられてシドロモドロ・・・
持たれている地図を見せてもらうと
等高線もない道筋だけの1万分の1位の
パソコンからの出力紙で、指していらっしゃる文字を見ると・・・
「ナカミヤアト」??
「ああ、中宮のこと。では、駐車場はあちらへ!」
なんて会話を・・・・


駐車場のバスを見て事の次第がわかりました。
「日本宝満山トレッキング」
「グリーンマウンテン」
「社団法人ソウル特別市観光協会」
と書いてあります。
春先に4人ほどこの団体の方が下見に来られ、
このツアーを企画されたのだそうです。
コースは本道寺側から上がって竈門神社に降りる
4時間ほどの長めの設定で、
トレッキング後は駐車場から内山の風呂屋か
天満宮に見学(お買いもの)のオプション付き。

なぜ、ソウルからわざわざここ宝満山なのか?
実はこのツアーはいわゆる弾丸ツアーなのです。
朝福岡に上陸して直接宝満に来て、
帰りも直接港へ。ビートル・コビーやフェリー利用の
帰りは船中泊なのでしょう。

だから阿蘇山でも由布岳でも鶴見岳でもない、
港から移動距離の少ない「宝満山」なのでしょう。
韓国では今、登山ブームの真っ最中。
とてもカラフルな山服のかたがたの宝満参りは
とりあえず9月まで続くそうです。
ハングルの勉強しとかなくっちゃ・・・

花盗人の対極

2009-06-13 | Weblog
宝満でのシャクナゲ植樹が次第に有名になった頃に
ちょっと困った事態が発生していました。

一つには植樹の関係で木々の下刈りを
必要のある範囲でしていたところ、
それを真似してさらに伐り拡げる人が現れ、
必要以上に開開となりすぎて会のメンバーが
困ってしまったことがあるそうです。

また、植樹そのものについても、
中宮跡に西洋シャクナゲが植えられたり、
座主坊跡(キャンプセンター)にトウダンツツジが
植樹されたりすることが続いたそうです。
会の趣旨はもともとあった山の環境に戻そうと
植樹を続けていたんでしょうけど、
その行為だけを見て自分の好きな木々を山に持ち込む
そんな「花植え人」が出現したのだそうです。(笑)

(中宮跡の西洋アジサイ)


そういえば同じ話を思い出しました。
「「羅漢めぐり」周辺にはしゃなげが沢山自生していたが
ほとんど消滅した。
 反対に「西洋しゃくなげ」を勝手に山中に植え回った人がいた。
もともと無いものを個人の発想で勝手に植えられては
困るということで除去してまわった。
イタチゴッコが10年ほど続いたが3年ほど前にやっと終息した。」

これは本研究会の2007年8月18日第11回例会で
宝満山のキャンプセンターを管理されてきた
西鉄山友会の会長伊藤博紀さんがおっしゃったことです。
(2007-08-19記事;
http://blog.goo.ne.jp/dazaifu2340/e/9e6b57629ef73b40a522f565f1fe1941


思いが伝わる・・・・
人というものはおもしろいものです。

花盗人のはなし・・・

2009-06-12 | Weblog
宰府の村うちの古株の方から聞いた話。
「昭和30年代くらいまでは庭木は
山から下ろしてくるもの、
程度に考えられていたので、
当然シャクナゲは山に採りに行っていた。
その後に採ることが悪いことと言われるようになって
ちょっと面喰った感じだったが、行かなくなった。
宝満のシャクナゲはいきなり宰府に下ろすと、
気候の加減などで枯れてしまうものが多かった。
そのうちに知恵のあるものが、一旦山裾の北谷に下ろして
数年落ち着かせたやつを宰府に下ろしたところ
うまく育ったのでそうするようになった。
それが続くと山から下ろしたその足で、北谷の知り合の
ところに持ち込んで代わりになにか庭木をもらって帰る、
なんてことをするようにもなった。」

ちょっと前のむかしまでは里の人にとっては
山の恵みをもらってくる、程度の感覚で
宝満山中のシャクナゲを掘り取っていたようです。
いきなり盗人になってしまい驚いた、という話は
時代の雰囲気を知ると理解される話に聞こえました。
公平に考えて、公平に書く・・・日々勉強です。

ちなみに・・・実生のものは花粉の自然交雑の
結果が反映されてしまうので、コピーとしては
枝が下りて分株したものや挿し木のほうが
オリジナルに近いもの、とおっしゃった上で、
「宝満山中に自生していたシャクナゲはかえって
里にあるバイ。うちの実家にも俺が中学校の時に
岩の間から生えとったのば下ろしてきた株が
立派にあるバイ!」とのこと・・・う~ん。

しかし、明らかに宝満シャクナゲ会の活動初期の
山中のシャクナゲの様子はほとんど絶滅状態のようなので、
里人がちょっと失敬、という程度のことではなかったようです。

ちなみに・・・先ほどの思わず花盗人になってしまったOさん。
 しっかり第3回の宝満シャクナゲ会の植樹に参加され
 罪滅ぼしをお済ませになったようです。

「背振山の石楠花」

2009-06-11 | Weblog
脊振山にシャクナゲが無いわけを
佐賀の民話が説明するには・・・
昔し脊振の山頂に住んでいた弁財天が
天狗の住む英彦山の山中に咲き誇る
シャクナゲの美しさに惚れて、
ひそかにそのうちのひと株を持ち帰ろうとした。

持ち出しには成功するが天かけるうちに
件の天狗に見つかり脊振山の寸でで捕まらん
とする時に手から離れたシャクナゲは空中で
バラバラとなり里に落ちて行った。

その時以来、脊振では花の落ちた里には花が根付き
脊振の山中にはシャクナゲが育たないのだと・・・

花盗人は神代の昔から・・・なんでしょうか?

【参照】
まんが日本昔ばなし「背振山の石楠花」
http://www.youtube.com/watch?v=BXd9Dm08h1U

浄徳寺;佐賀県神埼市脊振町服巻950(田中地区)
http://www.geocities.jp/syakunage_jyoutokuji/maturi.html