宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

第11回例会

2007-08-19 | Weblog
第11回例会
2007年8月18日 午後1時~15時 
於太宰府天満宮崇敬者会館天拝の間

 定期の11回目の例会がおこなわれました。
今回は猛暑の中に46名と最大規模のご参集をいただき
配布資料が一時足りなくなるほどの盛況ぶりでした。


 内容は西鉄山友会副会長の伊藤博紀様に
「宝満山護持と登山形態の変遷」と題して
昭和30年代後半より登山者のための便益施設を
建設、維持管理されてこられた視点からの
山の原状とそこから見える課題についてお話いただきました。

後半は7月末に研究会でおこなった加賀白山の
スライドを交えた登拝報告でした。

以下に概要を残します。


伊藤博紀「宝満山護持と登山形態の変遷」

(山内の整備)
 年次的に宝満での活動を述べると
昭和38年(1963)に上宮踊り場下に最初の
木造の避難小屋を建設した。


キャンプ場下の水場もその時整備している。
しかし、小屋は部材が燃料として焼かれ
3年ほどで消滅した。非常に悔しい思いをした。


 昭和37年から39年には羅漢道の整備をおこなった。
明治の廃仏毀釈で北谷側の谷に捨てられた羅漢像を
一体一体拾い上げて据え直す作業をおこなった。
ちょうどこの頃、金の水に至るルートも整備した。
この頃は「西鉄福岡山学会」と称して活動していた。
かなりのメンバーがいた。

 昭和43年にプレハブ小屋を現在のキャンプセンターに建設する。
約35坪の広さで、倉庫、管理人室、そして50人が泊まれる大広間が在った。
(参照 http://www1.bbiq.jp/houman_k/2page/2page.html)
創建当時は会で毎日当番を作って小屋で番をしていた。
5年ほど続いたが会社自体がバスはワンマンカーの時代となり
人が減るなどしてしまい、土日の管理に移行した。


 平成元年に当時珍しかった日田郡森林組合の
プリカットのログ材を使用した山間の景観にマッチした
現在のログハウスに立て替えた。約24坪で管理人室、倉庫、
そして30人は泊まれる広間を備えている。


また竈門神社の上宮社務所も兼ねている。
ログハウス風のトイレと木造の倉庫を併設。

(ゴミの問題)
 昭和42年頃、ゴミカゴを山頂やチャンプ場に置いたが
仇となりカゴがゴミの山となってしまった。
ゴミの処分で日曜の当番の人は夜の下山となる状況だった。

 昭和50年頃にゴミ箱をなくし、各自でゴミを持ち帰る運動に移行した。
太宰府町(当時)に持ち帰り用のビニール袋を作ってもらい
山頂やキャンプセンターで配布した。
定着するまでに10年かかった。
考えてみれば会はゴミを拾って40年の活動だったと思う。
持ち帰りを勧めると最初は嫌みや嫌がらせがあったが
今はゴミがほとんどなくなった。

(トイレの問題)
 ゴミの問題は一応解決したが
トイレの問題は未来永劫続くものと考えている。
 昭和43年のプレハブ小屋建設に併せて
警察のポリボックスを改造した
いわゆる「ボットン便所」を設置した。
便槽にたまった排泄物18リットル缶3杯を
会のメンバーが毎回担いで下ろしていた。
これをやると臭いが2,3日しみついて取れず閉口した。


 平成元年の小屋の改築時に430万をかけて
現在のトイレを新築した。


山小屋全体の雨水がすべてトイレにまわる仕組みとした。
300リッターのポリタンクを水洗の水としている。
排便はトイレから下に落下させる方式で
トイレの15m下に3槽式の沈殿浄化槽を設置した。
最終槽の上澄みが排水される仕組みで
環境への負荷が少ない仕組みであった。
当初はうまく稼動したが、半年でだめになった。
原因は女性用の生理用品、食事の残滓、ビニールごみ
を捨てられていたことであった。
現在では年2回それを汲み取る作業をしている。

 ここ5,6年で全国の山のトイレが問題になっている。
北海道では携帯トイレを持参させ麓で回収する
仕組みが採用されている。
九州の山は浅い山が大半で、2,3時間でピークに達する。
この状況からすれば大半の山は山中にトイレは必要ないと思う。
むしろ麓に良いトイレを配置すべきと考える。

 しかし、宝満はそうはいかない状況がある。
とくに学校の遠足利用など団体での利用が頻繁で
便益施設としてのトイレ設置は必須な状況である。
 近年、微生物を利用したバイオトイレに関心が向き
福岡でも福智山に設置されるなどしている。
しかし、バイオトイレは電気を必要とする。
攪拌のための動力施設もあるなど維持には相当の
資金と覚悟がいる施設である。実績も少ない。
宝満でのトイレの利用実態は小便が95パーセントで
大便は宿泊者などが5パーセント程度利用している状況で
基本的にはバイオには不向きな実態と考えられる。
将来的な理想は大便のみをバイオにして
環境負荷の少ない小便は現在の仕組みで
併用して運用するのが理想なのだが
バイオについては福智山などでの今後の経過を見たい。

(道の荒廃と整備)
 山の荒廃にとって平成2年の台風17,19号被害は忘れられない。
これで破壊された登拝道の復旧には3年を費やした。
4合目の木橋は大変でここ20年間で3回架け替えている。
 現在の宝満の問題点は、まず登山者が多くなった。
歩きでなく走りで登山するため石段がゆるんで
破損箇所が多くなってしまっている。
 また、勝手に新しい道をつくるひとがいる。


その一つの「天狗みち」などは禁止になっているのに
未だに勝手に通行している人がいる。
水みちが出来てしまい水害のもとなどになっている。

(人間による環境の変化)
 ここ数十年で宝満の植生は大きく変わってしまった。
以前は山葵などはたくさんあったが
現在では一日かけて探しても見つからない。
「羅漢めぐり」周辺にはしゃなげが沢山自生していたが
ほとんど消滅した。
 反対に「西洋しゃくなげ」を勝手に山中に植え回った人がいた。
もともと無いものを個人の発想で勝手に植えられては
困るということで除去してまわった。
イタチゴッコが10年ほど続いたが3年ほど前にやっと終息した。

(登山者のマナー)
 冬場の難所ヶ瀧への見学などで
アイゼンを着用している登山者がアイゼンをはずさないまま

山小屋のデッキに上がりこむため
床に穴があいて材木が早く腐食する状況となっている。
補修には相当の資金が必要になる。
資金はメンバーがアルバイトをしたり
企業からの協賛金を集めたりしてなんとか集めている状況である。

 西鉄山友会は会員が10数名の小さな会であるが
今後もいろいろな人の協力を集めて宝満を守っていきたい。
命ある限りつくしていきたいと思う。

記録;事務局 山村

(つづく)