宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

天台にとっての宝塔

2008-03-30 | Weblog

最澄が持ち帰った法華経は天台宗の根本経典であり、
釈尊が直接説法をおこなう形で
28のストーリーが展開するもので、
このストーリーの区分には色々な解釈があるようですが、
説法がおこなわれた場所に分けてみると
3部の構成からなるとする意見があり、
最初は釈尊の聖地霊峰であった霊鷲山での
山上での説法集会であり、
最後は地上での集会、
その間で展開したのが
霊鷲山の虚空に浮かんで現れた宝塔における
天空での集会でした。

「見宝塔品第十一」(11番目のストーリー)では、
法華経を説く釈迦の前に燦然と輝く塔が
地から湧き出して空中にそびえ立ち、
塔中に座した多宝如来が十方世界の諸仏を集め、
多宝如来は塔中の一座を譲って釈迦とともに
並んで結跏趺坐してさらに説法が・・・

その時、無量無数の光が放たれ
法華経の功徳があまねく世界に広がって・・・

法華経千巻が収められた宝塔は
天台宗の法華経世界を現実のものにするためには
必須の施設であったことが理解されます。

竈門山(宝満山)の宝塔院は
今回調査された34次地点のものがそうであれば、
まさに地上から山中に至る間の
虚空に浮かぶが如くの峰上にあり、
立地としては法華経の世界を読み解くと
最高の場所にあるといえるようです。


山頂の手前の頂が推定宝塔院跡







ほかの六所宝塔院

2008-03-28 | Weblog
ほかの六所宝塔院

 宝満以外の六所宝塔はどうななのでしょう?
ネットを猟歩すると下記のような情報が得られました。

 下野大慈寺塔跡は六所宝塔の内、推定安北宝塔の跡とされています。
大慈寺に隣接する村檜神社参道脇に礎石が6個ほど残存し、
これが塔跡とされているようです。
(http://nihonnotoba.cool.ne.jp/2004toba/murahinoki.jpg)

現在、大慈寺には享保10年(1725)に再興された相輪橖(トウ)が残っています。
大慈寺は円仁の修行地と伝えられています。

 また、安東塔は上野国緑野郡の緑野寺にあったとされ、
江戸期の再興塔が現存するようです。

 安中塔である山城宝塔院は比叡山西塔がそれで、
現在は相輪橖(トウ)が残っています。

 安総である近江宝塔院は、比叡山東塔院がそれにあたり、
現存する建物は昭和年に再興されたコンクリート作りのもので、
建築様式は古式に法った天台大塔式のものです。

 天台大塔式の塔は古いものは現存しておらず、
写真としては元和頃創建の摂津住吉神宮寺の西塔が
最もよく古い形状を残しているようです。


HP「日本の塔婆」より

追記

3月23日14時0分配信の毎日新聞ニュースで
宝満34次現説が取り上げられています。
宝満山遺跡:現地説明会 歴史愛好家、
熱心に聞き入る--太宰府 /福岡
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080323-00000178-mailo-l40)

宝満34次調査の現地説明会

2008-03-23 | Weblog

平成20年3月22日土曜日午後に
太宰府市大字内山の本谷礎石群(妙見礎石群)にて
太宰府市教育委員会による調査の説明会がおこなわれ
延べ約100名の方が参加されました。
遠く長崎や北九州からもおいでになったかたがおられました。
読売新聞が福岡版、西日本新聞が九州版に記事を載せたことが
宣伝効果をあげたものと思われます。
手に記事の切抜きをお持ちの方が・・・・
雑誌「岳人」4月号をお持ちの方もあり、
このブログのユーザーの方も・・・?

竈門神社の駐車場で集合した後、
下宮礎石群、竈門神社、キョウヤマなどの解説を受けながら
内山の集落からぞろぞろと歩いて現場まで約30分。

日ごろ閑静な現場はにわかの市がたったようなにぎわいで。
竈門の神様もびっくりの盛況ぶりでした。

質問のやりとりでは
 「なぜ、いままでここが知られていなかったのか」
 「最澄さんの六所宝塔と特定できないのは何が足りないのか」
 「仏さんが出たのはびっくりした。
 わざと埋めていたのか?」
 「ここが宝塔なら、山中にもっと同時代の
 別の施設があると思うのが普通だが、調査しないのか」
 「ここからの山頂を見上げた景観は
 まさしくインドの霊鷲山の姿とそっくりで、
 法華経の世界観からするとまさに
 宝塔があるべくしてあったのでは?」
 「埋めてしまうのはもったいないのでは」
 「一の鳥居のすぐ下で、見学しやすく
 散策でいつも見れるようにしてほしい」

などなど。

下草刈をお手伝いいただきました本研究会のみなさまも
多くおいでいただき感謝しております。

なお、おいでいただけなかった方々にも
次回の研究会の例会での見学の機会がございます。
ふるってご参加ください。

第15回例会のご案内

2008-03-21 | Weblog
次期定例の例会を下記の内容でおこなう予定です。

日時;平成20年4月19日土曜日 午後1時~4時頃まで
場所;太宰府市竈門神社駐車場
  (駐車は500円。西鉄太宰府駅よりバスあり。)
内容;本谷礎石群周辺の遺跡解説
※竈門神社駐車場より歩いて各所を見学。
 山歩きもしますので、それなりのご準備をお願いします。
参加費;200円

宝満山本谷礎石群の現地説明会

2008-03-17 | Weblog

現在、太宰府市教育委員会がおこなっている
太宰府市大字内山字本谷での発掘調査で
平安時代前期の方3間の礎石建物が検出されています。
12月の本会の共同作業で下草刈をした現場です。

この調査成果の現地説明会が下記の内容でおこなわれます。

日時;2008年3月22日 土曜日 午後1時~3時(雨天決行)
場所;竈門神社駐車場 受付と資料配布
   ここから徒歩で周辺の遺跡を解説しながら
   約30分かけて発掘現場に移動します(車道)。
   車でおいでの方は駐車料がかかります。

現場では平安時代の礎石建物と石で組まれた階段、
土器、瓦、小金銅仏などが出土しています。
宝満山の平安時代前半は謎が多く、
そういった意味では貴重な発見となっています。
調査後は埋め戻されますので
この機会にぜひご覧下さい。



※この遺跡の関連記事は本ブログの「六所宝塔院について」
12/10記事をご参照下さい。
(http://blog.goo.ne.jp/dazaifu2340/d/20071210)
   

岳人4月号

2008-03-15 | Weblog

岳人の4月号に宝満山が登場しています。

東京新聞出版局発行の月刊誌『岳人』
立松和平氏の「百霊峰巡礼」第52回の記事。
12月のあの短い取材時間の中で
的を得た記事にシャープな画像。
まさにプロの仕事です。
事前の資料を縦横に屈指され、
霊峰としての宝満山の歴史的な背景が
コンパクトに分かりやすく紹介されています。
四王寺山から宝満を望んだもの百段雁木、
大南窟の巨岩など写真がいいですね。

記事では宝満の登山口にある九州登山情報センターや
そこにいらっしゃる島松さん
宝満の調査を40年来続けていらっしゃる小西さん
などが紹介されています。
登拝道に置かれた善意の救急箱も
写真入で登場。
記事は「自分の内部から自然崇拝の
素朴な感情が湧き上がってくるのを
私は心地よいものとして感じていた。」
と締めくくられています。
宝満に来られる方々に対して
強いメッセージを発しておられる一文です。

山で使える体力づくりのお話も必見です。


取材中の立松氏


下山後の九州登山情報センターにて

※取材の様子は2007.12.18記事を参照してください。
※『岳人』のHP;http://www.tokyo-np.co.jp/gakujin/gak2008031301.html