宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

5/28の例会は延期

2011-05-26 | 例会
5月28日に予定しておりました宝満山坊跡めぐりの例会は
6月4日土曜午前中に延期いたします。

台風接近による大雨の予測もあり、今回は延期いたします。

日時;平成23年6月4日土曜日 9:00出発
場所;竈門神社駐車場
見学地;宝満山西院谷にある江戸時代の坊跡
参加費;200円
※ 雨天中止

5月28日の例会が雨の場合

2011-05-24 | 例会
今年は季節がめまぐるしく変わっているようです。
今週末には北部九州も梅雨入りする予報が出ています。

雨天では足元が危ないため5/28の例会での宝満坊めぐりは
当日の朝に降雨があっている場合は事務局の判断で
6月4日土曜日に延期をいたしますのでご容赦ください。

(実施の有無は当日の朝7時頃には、本ブログでも広報いたします)



第29回例会は山歩き

2011-05-13 | 例会

第29回の例会を下記の日程で行います。

日時;平成23年5月28日 9:00出発
場所;竈門神社駐車場
見学地;宝満山西院谷にある江戸時代の坊跡
参加費;200円
※ 雨天中止

宝満山は江戸時代には九州を代表する
修験道の根本道場とされており
25の坊が山内に営まれていました。
今回はそのうち太宰府側の坊跡のいくつかを
古地図と比較しながら巡って
江戸時代の坊の生活に想いを馳せます。
どなたでもご参加できます。

竈門神社古写真比較

2011-05-11 | 史料


竈門神社下宮と戦前までは呼ばれていたそうですが
大字内山にある竈門神社の古写真と今の比較です。
北西方向から撮影されています。
昭和初期頃でしょうか?
神社周辺の森が松の2次林で構成され、
池の堤が草地として覗いています。
何より愛嶽山が丸裸のカヤ場になっています。
昔から森林状態だったと思われがちですが、
どうもそうではなかったようです。
宝満山では昭和10年代から筑紫地区全体で
盛んに植林事業を行ってきていたようです。

宝満山の峰入りと護摩供

2011-05-03 | 行事




宝満山修験会と竈門神社による宝満山の峰入り行と
護摩供が下記の日程でおこなわれます。
峰入りでは一般参加で峰入りに同道できます。

竈門神社を出発し、一の鳥居で儀式をおこない
キャンプセンターで昼食を取り仏頂山の心蓮供養塔に墓参。
山頂の竈門神社に参詣して終了です。
最後まで随伴した参加者に峰入証としてのお札が配られます。
大護摩供では最後に参加者により無病息災を願い火渡りが行われます。
(本ブログの過去の記事を参照ください)

宝満山の峰入;平成23年5月8日 日曜 午前9時 竈門神社集合

宝満山の大護摩供;平成23年5月29日 日曜 午前10時半より 竈門神社境内

宝満山の文化遺産(牡丹)

2011-05-01 | Weblog

宝満山の東裾にある本道寺で人知れず咲く
一株の可憐な牡丹・・・

地元の平島家が江戸時代に庄屋を務めていた関係から
黒田藩から下賜された福岡城の牡丹といわれ
昭和40年代までは平島徳作氏が大切に愛でられ
約二十株の牡丹が同家の庭一面を埋め尽くすように咲き誇っていました。

江戸時代は牡丹栽培が非常に盛んであり、
全国の寺社や富貴な町民の間で新種くらべが盛んになりました。
中でも博多は全国に先駆けて「紫陽三月記」(1691年椿屋遊園著)などの
牡丹分類と栽培の専門書が出されるなど、牡丹ブームの火付となっていました。
黒田の三代当主光之の代には観世流の謡曲「牡丹」が創作されるなど
(謡曲「牡丹」と椿屋の件は『石城志』巻之八に細述)
福博における数寄者の文化の象徴としても大切にされましたが、
あまたの品種が生み出された博多市中や福岡城中の牡丹は
明治維新以降の近代化と太平洋戦争末期の福岡大空襲で
すべて姿を消してしまいました。

宝満山の山裾にひっそり咲くこの牡丹は
福博の遠い文化の香りを伝える貴重な一株なのです。



参考文献

「牡丹花銘の歴史」橋田亮二『現代日本の牡丹・芍薬大図鑑』1990年日本ぼたん協会
『石城志』津田元顧・元貫共編 明和2年(1765)