NABFヘビー級王座決定戦
リング誌選定による1976年の年間最高試合。元世界王者ジョージ・フォアマン選手(George Foreman)とロン・ライル選手(Ron Lyle)との一戦は、ダウン応酬の激闘の末にフォアマン選手が5回KOで勝利した一戦でした。
圧倒的な強打でヘビー級を制した1968年メキシコ五輪金メダリストのフォアマン選手。
「象をも倒す」と形容された強打が生み出す迫力のパフォーマンスからヘビー級史に一時代を築いた印象が強いフォアマン選手ですが、実際に王者として君臨していたのは僅か1年9ヶ月間であり、世界王座防衛も2度だけってのが意外です。
印象よりも短命な事はつまり3度の世界戦でのパフォーマンスがいかにインパクトのあるものだったかの証明であるとも言えるのでしょう。
フォアマン選手の第一次王朝時代はまだ幼すぎてリアルタイムでの記憶がほとんど無いのですが、母親がフォアマンではなくファーマンファーマン言っててゆっくりと振り回すパンチの真似をしていた事が思い出されますwどうでもよすぎですね(フォアマン選手は日本でも防衛戦やってました)
そんな怖い恐ろしいフォアマン選手でしたが、74年9月の世紀の番狂わせ「キンシャサの奇跡」で失意の王座陥落。
この日のライル選手との一戦はショッキングな初黒星から約15ヶ月ぶりの再起戦のリングでもあったのですが、アリ選手との試合で見せたフォアマン選手の意外な脆さがこの復帰戦での戦いで改めて露呈されてしまいます。
長く強いジャブで試合をコントロールしようと試みるフォアマン選手ですが、ライル選手が放つ右ストレートや左ジャブを初回から不用意に浴びる場面が目に付きます。初回終了間際にはライル選手の強い右を浴びてトラブルに陥り、それ以降何度もライル選手のパンチで大きく体を揺らしながらも自らのスタイル=ジャブ、ワンツー左フックで攻める、を貫き通したフォアマン選手が際どく生き残った一戦でした。
フォアマン選手は大ピンチに陥ってもスタイルを変えない、というか変えられない、もっと言うとそれしか出来ないという戦術の幅の無さを改めて暴露されてしまった内容でした。
3回にダウンを奪われた後は完全に捨て身になったフォアマン選手。ダウンを奪い返したもののこの回終了間際に2度目のダウンを喫した時にはスタミナも使い果たしていて絶体絶命の大ピンチでした。しかしフラフラになりながらも最後の最後まで勝利に執着し続けたフォアマン選手の執念がライル選手をねじ伏せた死闘でした。
アリ選手に敗れた後この勝利を含めて5連勝を続けていたフォアマン選手でしたが、77年3月にジミー・ヤング選手に最終回ダウンを奪われた末の判定負けを喫し引退。
宣教師に身を転じていた彼が再びリングに戻ってきたのはそれから10年の時を経た後の事でした…
試合動画(youtube)
イベンダー・ホリフィールド対ジョージ・フォアマン(1991/04/19)
2009-02-19 21:27:57
リング誌選定による1976年の年間最高試合。元世界王者ジョージ・フォアマン選手(George Foreman)とロン・ライル選手(Ron Lyle)との一戦は、ダウン応酬の激闘の末にフォアマン選手が5回KOで勝利した一戦でした。
圧倒的な強打でヘビー級を制した1968年メキシコ五輪金メダリストのフォアマン選手。
「象をも倒す」と形容された強打が生み出す迫力のパフォーマンスからヘビー級史に一時代を築いた印象が強いフォアマン選手ですが、実際に王者として君臨していたのは僅か1年9ヶ月間であり、世界王座防衛も2度だけってのが意外です。
印象よりも短命な事はつまり3度の世界戦でのパフォーマンスがいかにインパクトのあるものだったかの証明であるとも言えるのでしょう。
フォアマン選手の第一次王朝時代はまだ幼すぎてリアルタイムでの記憶がほとんど無いのですが、母親がフォアマンではなくファーマンファーマン言っててゆっくりと振り回すパンチの真似をしていた事が思い出されますwどうでもよすぎですね(フォアマン選手は日本でも防衛戦やってました)
そんな怖い恐ろしいフォアマン選手でしたが、74年9月の世紀の番狂わせ「キンシャサの奇跡」で失意の王座陥落。
この日のライル選手との一戦はショッキングな初黒星から約15ヶ月ぶりの再起戦のリングでもあったのですが、アリ選手との試合で見せたフォアマン選手の意外な脆さがこの復帰戦での戦いで改めて露呈されてしまいます。
長く強いジャブで試合をコントロールしようと試みるフォアマン選手ですが、ライル選手が放つ右ストレートや左ジャブを初回から不用意に浴びる場面が目に付きます。初回終了間際にはライル選手の強い右を浴びてトラブルに陥り、それ以降何度もライル選手のパンチで大きく体を揺らしながらも自らのスタイル=ジャブ、ワンツー左フックで攻める、を貫き通したフォアマン選手が際どく生き残った一戦でした。
フォアマン選手は大ピンチに陥ってもスタイルを変えない、というか変えられない、もっと言うとそれしか出来ないという戦術の幅の無さを改めて暴露されてしまった内容でした。
3回にダウンを奪われた後は完全に捨て身になったフォアマン選手。ダウンを奪い返したもののこの回終了間際に2度目のダウンを喫した時にはスタミナも使い果たしていて絶体絶命の大ピンチでした。しかしフラフラになりながらも最後の最後まで勝利に執着し続けたフォアマン選手の執念がライル選手をねじ伏せた死闘でした。
アリ選手に敗れた後この勝利を含めて5連勝を続けていたフォアマン選手でしたが、77年3月にジミー・ヤング選手に最終回ダウンを奪われた末の判定負けを喫し引退。
宣教師に身を転じていた彼が再びリングに戻ってきたのはそれから10年の時を経た後の事でした…
試合動画(youtube)
イベンダー・ホリフィールド対ジョージ・フォアマン(1991/04/19)
2009-02-19 21:27:57
ライル、ヤングなどこの時代にヘビー級王座を戦った挑戦者の名前は
王者の名前と共に印象に残ります。
すみません。
リング誌の年間最高試合シリーズをはじめようかな?とか思った時がありまして(結局やってませんがw)
その中でもこの試合は私的に外せない試合でした。
翌年の最高試合に選ばれているフォアマン対ヤング戦は昔々にダイジェストで見ただけでいまだ未見なんで機会をみつけて見てみたいと思っている試合です。
リング誌の年間最高試合では、フォアマンライルの行なわれた76年、フォアマンヤングの77年をはじめとしてヘビー級の試合が毎年選定されています。ヘビー級の存在意義の大きさと個性的で実力のある役者が勢ぞろいしていたこの時代の充実振りがうかがえますね。
http://boxing.about.com/od/history/a/ring_fight.htm
ヘビー級がFOTY
70年代7試合、80年代0試合、90年代2試合、00年代0試合
ヘビー級の復権はいつ訪れるんだろう・・??
お、同じタイミングで書いてましたw
ライルもヤングもアリの世界王座に挑戦してますよね。
そしてアリに負けた後の両者と戦ったのがフォアマン。
というのは今調べて把握しましたwリアルタイムで見ていないだけにこの頃の状況はこんがらがってしまいますw
アリと世界タイトル戦ってましたね。
ライルとヤングはフォアマン戦のイメージが強いので。
リングマガジンの年度の選出を見ると激闘試合が好きなのかなと思いました。
そう言われてみて改めてリストを眺めてみると
リング誌のFOTYを複数回獲得している選手
カーメン・バシリオ5回、ガッティ4回、ウォード3回、マルシアノ3回
とみんな激闘で知られる選手ばかりですねぇ
アリが6回ってのは別格でしょうか。またこの時代のライバルたち、フレージャー&フォアマンも4回づつ獲得してるってあたりからも、この頃のヘビー級の充実が見えますね。
96年のホリタイソン以来、ヘビー級がFOTYを逃し続けて12年になりました。
レオン・スピンクス対アリからホリボウ1の間の13年がヘビー級試合の最長空白のようですが、そろそろヘビー級の熱い試合を見たいものです・・
挙句ダメージの大きさから長期戦は無理だとふんだのか倒しにかかった末の乱打戦。
地力に勝るフォアマンの勝利となりましたが、途中ライルも勝ち急がずもう少し上手く戦えばビッグアップセットもあったような試合でしたね。
それにしても今では考えられないストップの遅さ、最後は残酷ショーになってました。
このあと続けてヤング、フレージャーⅡなど観ましたが、再起第1戦ということもあったのか盛り上がった試合でしたがフォアマンの出来が一番良くない試合でもありました。
もう完全に捨て身、一か八かの勝負に出ていましたよね。というかそれしかできなかったのか・・?
フレージャーとの第2戦を含めてフォアマンの試合は昔結構見たんですが、まだヤングとの試合が見れていません。この試合でも相当打たれて苦しかったと聞いているのでいつか機会を見つけて是非見てみたいと考えている試合の1つです。
最初はフォアマンが猛攻。
しかしヤングがよくブロック&ロープ・ア・ドーブでしのぎ、
フォアマンのスタミナが切れたところで逆襲開始、
最後は見事な右クロスでダウンを奪っての判定勝利。
まるでアリ戦の再現のようでした。
でも見応えは十分でした。
たしかヤングはアリ戦でも大善戦してます。
当時のヘビー級としてはテクニックのある、いいボクサーでした。
なつかしいなぁ。。。
試合後に「私は神を見た!」とか言ったんですよねw
なんか凄い暑い会場で、脱水症状による幻覚だ、とか聞いた事あるんですが、ずっと昔から見たい試合リストに入りっぱなしの試合です。
ロープアドープで戦ってたんですかぁ・・
見たいなあ・・w