オリエンテーションを終え、いよいよ病棟勤務が始まっています。そしてつい昨日、初めての当直に入りました。

正直もっと仮眠できるものだとナメておりました。。。

まだまだ何もできない一年目ですが、2年目の先輩の指導の元、とりあえず切創の縫合を経験しました。緊張もあって、結構な疲労を感じつつ白々と外が明るくなったときは、なぜか達成感がありました。

そしてそのまま翌日の業務を19時まで行いこの文を書いてまーす。
今から飲み会楽しみです!!

by 一年目研修医I
新しい研修医の皆さんのために、改訂しました。 縮小して両面印刷すると、ポケットに入るA6サイズのマニュアルになります。 PDFですので、ipadなどのデジタルギアに取りこんで参照することもできます。 ぜひご活用ください。 こちらからダウンロードできます。
徳洲会の災害医療支援の報告を見ていて、おもわず目頭が熱くなってしまった。
倉敷中央に移った佐々木先生がTMATに参加して現地入りしているのは知っていたが、
今日の移動者リストを見てびっくりした。川崎市立病院のスタッフになった轟先生の名前が
あるじゃないか!!
轟先生は中徳で3年間研修し、川崎市立で後期研修を続け、そのままスタッフになった
優秀でかつやる気いっぱいのドクターである。
みんなじっとしていられないんだなあ。
ほんとうにすばらしい仲間ばかりです。
■25日金曜日の本吉病院詰めのスタッフリストより抜粋
大隅鹿屋 今井 雅浩 医師
札幌 平山 傑 医師
倉敷 佐々木 暁 医師
■25日の現地入りスタッフ移動リストより抜粋
本日27名(内ドライバー4名)のスタッフを被災地へ派遣した。
窪田 勉 医師 伊仙クリニック
直海 玲 医師 中部徳洲会病院
轟 純平 医師 川崎市立
坂本 宣弘 医師 名古屋徳洲会総合病院
若井 慎二郎 医師 茅ヶ崎徳洲会病院
荒木 千絵美 看護師 札幌徳洲会病院
岡田 寛子 看護師 札幌徳洲会病院
村吉 千賀子 看護師 中部徳洲会病院
具志 一也 看護師 中部徳洲会病院
直海先生や看護師の村吉さんや具志君の名前もあります。
みなさん、現地は吹雪いているとのことですが、寒さに負けずにがんばってください。
最新の報告は以下のページでご覧になることができます。
http://www.tokushukai.jp/syakai_kouken/calamity/2011touhoku/index.html
小児科 今西康次
昨日まで山口大学、本日まで徳島大学の新6年次の学生さんが金曜日から実習に来られています
木曜日に移動してきてすぐ当直帯(1、2年次研修医)と一緒に実習していただいたり、その日互助会主催のバレーボール大会に参加したりと、移動で疲れているところを来て早々体験していただきました
次の日(金曜日)から研修医について回っていただくように実習についていただきました。
一人は救急を見ていただき、一人は小児科実習で回っている研修医について実習していただきました。
その合間をぬって、院長と面談をしたり病院全職員で月一回行っている全体清掃に参加していただいたり、本当にお疲れさまでした
また、昨日の懇親会ではお二人にはとても気を使っていただき、頭のさがる思いでした
夏に年一回行われる「 1年次研修医主催のビーチパーティー 」に参加してくださいね!
本当にお疲れさまでした!
相澤院長(静岡徳洲会病院院長) 内科
喜舎場先生(元県立中部病院) 感染症
掃除しているふなー(ふり)のK君
臨床研修事務担当 木村
3月11日に発生した震災の医療チームとして活動し、昨日帰って参りました。
私が現地入りした18日の写真です。路線バスが家屋に刺さっています!
私が勤務している徳洲会病院は、TMATという災害医療チームを持っており、
今回の災害においても、発生当日より先遣隊が現地入りして活動を始めました。
先遣隊の現地視察に基づいて、仙台徳洲会病院に現地本部が設置され、
岩手県大船渡、宮城県気仙沼市階上、宮城県気仙沼市本吉、宮城県南三陸町に
医療チームを送り込むことを決定し、医師/看護師/薬剤師/事務職員が
全国の徳洲会病院から順次召集されました。
一つの地域には、医師3名、看護師6名、薬剤師事務職員数名が派遣されます。
東京本部に集合し、救急車で東北道を北上します。
東北道もところどころ道路損壊があって、最初は移動時間が長かったようです。
3/13全国の徳洲会病院から救急車が集まりました。
仙台徳洲会病院に到着したメンバーは、現地本部によって派遣先を割振られます。
そして、ふたたび救急車で災害地へ移動します。
ホワイトボードに現地本部のマネージャーが派遣先を書き込んでいきます。
私は17日木曜日の昼すぎに派遣要請を受け、その日の夜の便で羽田へ。
羽田空港で待ち構えていた救急車に乗って、そのまま仙台へ。
途中のSAで沖縄から消防チームに出会いました。
消防も全国から集まっています。
18日早朝に仙台に到着し、派遣先が気仙沼市本吉に決定。
すぐに現地へ移動となりました。
仙台は少し雪が積もっていて体の芯まで冷えます。
仙台も水道は使えない状態でした。
災害医療報告2 につづく 中部徳洲会病院小児科 今西康次
震災直後から徳洲会ではDMATとTMAT(徳洲会災害医療)の双方を派遣開始。TMATでは気仙沼や大船渡など4つの医療施設に支援を開始しました。私は17日の昼に要請を受け、夜に羽田空港から救急車で仙台に向かいました。本部になっている仙台徳洲会で説明を受けて、18日の昼には気仙沼市の本吉病院に入りました。すでに医者3名看護師6名検査技師や事務職が活動していました。
外来と避難所の巡回診療を中心に24時間診療しています。
ライフラインはまだ全く使えません。2日前に発電機が届きました。今朝から携帯が少し使えるようになりました。
院長と副院長の2人は心労でリタイアし、残った看護師とTMATメンバーで病院を守っています。
この地域の唯一の医療施設ですので、病院機能が回復するまで支援を続ける必要があり、市からの要請を受けて、徳洲会が全面協力することになりました。
携帯からの簡単な報告ですが、現状報告いたします。
本吉病院にて 中部徳洲会 今西康次
最新情報はこちらからご覧いただけます。
今回の災害に対する徳洲会の災害医療チーム(TMAT)の活動をお知らせします。
詳しくは、上記のページをご覧ください。
辻川 衆宏 | つじかわ くにひろ | (四街道徳洲会病院 医師) |
荒尾 修平 | あらお しゅうへい | (四街道徳洲会病院 看護師) |
岡田 淳史 | おかだ あつし | (四街道徳洲会病院 事務) |
瀬戸 美佐子 | せと みさこ | (四街道徳洲会病院 看護師) |
宇野 謹子 | うの のりこ | (四街道徳洲会病院 看護師) |
上原 仁 | うえはら ひとし | (四街道徳洲会病院 事務) |
長岡 信 | ながおか まこと | (鎌ヶ谷徳洲会病院 看護師) |
宮 勇人 | みやざき はやと | (鎌ヶ谷徳洲会病院 事務) |
清水 一起 | しみず かずき | (東京西徳洲会病院 医師) |
黒野 義孝 | くろの よしたか | (東京西徳洲会病院 看護師) |
高橋 淳 | たかはし あつし | (東京西徳洲会病院 看護師) |
後藤 啓之 | ごとう ひろゆき | (東京西徳洲会病院 薬剤師) |
研修委員会 今西康次 |
おはようございます。
金曜日からの地震・津波・原子力発電の事故、すごいですね。機敏な方は、もうすでに現地入りして災害治療に当たっているんでしょうね。私も何とかしたいと思っていても、こういったときにどういったことが出来るのか、どういった団体にボランティアをしたいと伝えたらいいのかまったくわからず、沖縄でテレビを見ているだけの状態です。(自分でもがっかりしています。)さすがに個人では、こういったときに何もできないと実感するのみです。被災者の方が、一人でも多く助かることを祈るだけです。
先輩からもう少しこのブログをにぎやかにしようという主旨のことが書かれていましたが、多分多くの方が、パスワード、ログインIDを知らないだけと思います。私に連絡いただければ、お伝えしますし、また木村さんに連絡しても大丈夫と思いますよ。
PS H先生おめでとう。海軍病院の心理士の方も楽しかったと喜んでいましたよ。
國永先生の熱くいい話の後に、ちょっとあちりた(あつくなった)ところで、ほっとする記事を載せたいと思います。
先週現2年次研修医のH先生の結婚式が那覇のホテルで行われました
お相手の方は一度お会いしたことがありますが、とても笑顔のきれいな方でH先生にぴったりの感じでとてもいい雰囲気の披露宴でした
沖縄の披露宴は本土の方とは少し違っていて、かぎやで風(かぎやでふう)というお祝いのときに踊る踊りで始まることが多く、その後は挨
拶などがあるのですが、多くの楽しい余興など織り交ぜて進行していきます。なので、静かな雰囲気で行われることが少ないように感じま
す。(あくまで個人的な意見です)
H先生の結婚式は沖縄と本土の披露宴のちょうど中間の雰囲気で盛り上がるところも多くありましたが、いい雰囲気の時もありで終始飽き
る事のなく楽しませていただきましたありがとうございました
末永くお幸せに
新婦さんの衣装はハンドメイドらしいいです… すごいの一言です
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
八重桜も落ちてしまい、野球のキャンプが終わり、石垣ではそろそろ海開きを迎えようとしているのではないですか?
こちらは椿の時期が終わり、梅の花が見頃になり、桜がポツポツ見え始めました。
こうみえても結構繊細で花については少し詳しいのです。
沖縄を離れて2年が経ちました。國永です。
近況報告します。2年の内科ローテーションが終わりました。最後の仕上げは腎臓内科5ヶ月で、尿中円柱から電子顕微鏡写真など、透析だけではなく、たくさんの勉強をさせてもらいました。
昨年10月に群星の説明会に行ってからというもの、救急医学会総会、循環器physical examinationに出席。
11月にはこれからの臨床研修を考える会、12月には伊良部島診療所の当直もさせて頂きました。
1月に中徳でプレゼンをした後、ジェネラリストのこれからを考える会に出席。JATECプロバイダーをようやく取得。
2月は冬季家庭医療セミナー、ICU学会、渡邉の結婚式と西へ東へ大忙し。
その中でようやく内科認定医と救急専門医の申請をようやく終えました。受かる保障はありません。
3月になり湘南鎌倉でEMA meetingに初めて出席。大浜第一の入江先生や全国の若手救急医と酒を交わす機会がありました。
こうみると色々やった感はありますが、臨床医としては腕が落ちたと実感しています。
勉強会や学会に見向きもせず、ただひたすらに走り続けた5年は、確かに臨床能力や野生の感みたいなのは身に付きました。
そしてその余韻で今も臨床ができていると実感しています。が少しは勉強をしようと頑張っている次第であります。
これから中徳に入職してくる7名の研修医達は、いまの熱い気持ちをさらに熱く燃やし、とにかく走り続けて下さい。
研修医時代の僕の好きな言葉を教えましょう。『選択肢はyes or はい!』
さて、2年間の初期研修を終えようとしている研修医の皆さん。お疲れ様でした。
僕とは一度も働くことなく中徳の研修を終える初めての初期研修医の後輩さん達ですね。
一緒に働くことはありませんでしたが、僕の思いや伝えたいことが、少しは中徳の人達から学べたのではないかと思っています。
中徳に残る人はこれからもただひたむきに頑張って下さい。
そして中徳を去る人達に伝えたいことがあります。
どこの病院も全てが最高という夢のような病院は、おそらくないと思います。中徳もしかり。
しかし中徳にいたからこそ学べたことがあったことを忘れないで下さい。
宮城征四郎先生、喜舎場先生、比嘉先生。これだけの人がそろっているのは中徳しかないでしょう。
また外科系の先生達の熱い指導。M本も中徳の外科系指導医の教育体制がよかったと話していました。
またイケイケの具志堅先生に、熱血の中にやさしさのある新垣先生。小児科はやっぱり新里先生。
もっとたくさんの先生の名前を挙げたいけど、これくらいにして。
しかし何より、患者さんを助けようと思う熱い思いだけはどこの病院にも負けないんじゃないでしょうか。
安富祖総長のいう『愛』だろうな。やっぱり。
これから他病院に出る人達にとって、これからが本勝負になります。
まぁ他の病院のやつはよくできるように見えるけど、また一からスタートやから、絶対に負けんな!
自分らがどこに行っても、経歴には中部徳洲会病院 初期研修医というのは必ず付いてくるんやから!
一生その旗を振りかざして、輝かせて励んでください。それが20年後の中徳に繋がると思って。
先月、4年ぶりくらいに横浜で後輩に会いました。
1年生の頃は涙を流しながらERをしていましたが、いまでは立派な救急医として輝いていました。
めちゃかっこよかったで。女子やけど(笑)
関東の放射線科医、鳥取の麻酔科医、千葉の救急医、九州の消化器内科医・呼吸器内科医・小児科医・外科医、横浜の精神科医、東京の救急医、愛知の放射線科医先輩、富山の先輩、米国に行くdoctor、関東の循環器血液内科医、心臓血管外科医、沖縄にいる泌尿器科医、産婦人科医や外科医や内分泌内科医や皮膚科医、小児科医、整形外科医。高知の循環器内科医。宮古の小児科医、愛知の糖尿病内科医、庄内の家庭医。誰か忘れてたらごめん。神奈川の内視鏡医先輩もいたなぁ。
他にもおったかもしれんけどみんな先輩やで☆
他の先輩に引き続いて、これからもがむしゃらに上を向いてがんばって下さい!
これを書く機会となったのも、横浜のD期もコレをみてるのを聞いて、こりゃ書かないとと思ったよ。
久しぶりに会ったけど眼が生き生きしていて、ホンマによかった。研修医の時から一番心配してたで!
そして、みんなやっぱりコレ(blog)見てんねんな(笑) ちょっとは黙ってないで書き込めよ☆
具志堅先生へ。実は卒業生皆結構コレ読んでますよー♪
これからも中徳出身医師として、ただ直向に頑張っていく予定ですので、皆さんこれからもヨロシクね♪
中徳一熱い男:國永