なんくるないさ~、沖縄での研修医生活

臨床研修のメッカ沖縄にあって忙しさNo.1を自負する中部徳洲会病院。スーパー研修医がリレーでつづる研修医ブログ。

東海より

2011-04-26 13:51:27 | Weblog
はいさい!中徳研修医OBのTです。

4月から病院移動しましたんでちょっと報告です。
4月以前は関東のとある病院で内科医をやっておりましたが、都会の世知辛さにすっかり疲れはててしまい、都落ちしました・・・って暗いな~、暗い!!そんなわけはありません!

やはり医者としては沖縄生まれ中徳育ちなので総合的に患者さんを診ることができ、かつ自分で完結できる専門分野を持った内科医になりたい!(どこぞのH先生みたいにね)しかもどうせなら専門分野は1つじゃなく2つ持てんかな?となんとも無謀な夢を持ってしまいまして、私の夢に付き合ってくれる懐のふかーい病院でお世話になることになりました。(もちろん総合診療やりながら循環器の勉強をさせていただいた前の病院には感謝の気持ちでいっぱいです!)
ということで現在東海地方のとある病院で内科医をやっております。専門分野は循環器科と血液リウマチ科です。しかし、専門を2つも勉強するなんてできるのか、
「なーに、人の2倍3倍働くことは苦にならんし、60歳まで病棟も含めて臨床頑張り続ければ、45歳くらいで病棟引退する人と比べて病棟での勉強は15年分余計にできるじゃないか!」
と意味のわからない理論を振りかざしてやってみることにしました。みなさんやさしく応援してください。

また、久しぶりに救急車を診るようになりました。こちらの救急部長からは、私が沖縄生まれ中徳育ちと知るや否や「中徳の研修システムは知ってるで。1,2年目で完結する救急やろ。それだと我流が身についてしまうからあかんで!うちは○△□※~・・・!」と言われ、中徳を知ってることにもびっくりでしたし、意外とライバル視されてんのか!?とワクワクしました。「そうです、そのとおりなんです!こっちはすごいっすね~!」と中徳のみんなには申し訳ありませんが、しっかりゴマをすらせていただきました。(研修医時代にくらべてエアーは読めるようになってきました。)
確かに初期研修医の先生と当直する機会がありますが、研修医の先生方は優秀です。なんと2年目はみんな心エコー・腹部エコーできます!ただ、中徳の2年目研修医の先生には自信を持ってもらいたい。君たちは我流ではありません。各科専門医の先生はローテ中や救急コンサルトの機会にその分野の肝だけを知らんうちにきっちりと教えており、ピンチの時にはいつでも駆けつけてきてくれます。また、せいしろう先生から、臨床推論の考え方や身体所見の取り方を学び、かつそれを救外患者さんの数だけ実践しています。疲れてても診断つけるまで結構やりきってますよね。(なぜならばスタッフのほうがもっと疲れてるからやりきらないといかんもんね)ちゃんとやりきってあの数まわせる研修医はなかなかいません。(もちろんコメディカルのみなさんには感謝です。)この積み重ねはものすごいもんがあるので、初期研修医1年目の先生、2年目の先生のようになれるよう一歩一歩頑張ってください!

また面白いことあれば報告したいと思います。それでは~。

TV番組紹介  巨大病院の挑戦~いのちある限り~

2011-04-19 12:58:02 | Weblog
BS11
巨大病院の挑戦~いのちある限り~

4月24日(日)20時~ BS放送11チャンネルにて放映されます。


今や日本で1位、世界で3位の医療グループに成長した医療法人徳洲会のドキュメントです。
徳洲会病院ができた歴史や、現在のテーマを90分にわたって特集します。

徳田虎雄理事長と親交の深い石原慎太郎東京都知事や小泉元首相が出演。
ナレーションは竹脇無我さん。
番組プロデューサーは元NHKの岡崎泰さんで、制作には4年の歳月を費やしている。

ぜひご覧ください。           研修委員長 今西康次

初体験♪  

2011-04-16 07:11:52 | Weblog

オリエンテーションを終え、いよいよ病棟勤務が始まっています。そしてつい昨日、初めての当直に入りました。
正直もっと仮眠できるものだとナメておりました。。。
まだまだ何もできない一年目ですが、2年目の先輩の指導の元、とりあえず切創の縫合を経験しました。緊張もあって、結構な疲労を感じつつ白々と外が明るくなったときは、なぜか達成感がありました。
そしてそのまま翌日の業務を19時まで行いこの文を書いてまーす。

今から飲み会楽しみです!!


by 一年目研修医I

研修医のための診療ガイドV4  改訂しました

2011-04-14 13:06:23 | Weblog


新しい研修医の皆さんのために、改訂しました。 縮小して両面印刷すると、ポケットに入るA6サイズのマニュアルになります。 PDFですので、ipadなどのデジタルギアに取りこんで参照することもできます。 ぜひご活用ください。 こちらからダウンロードできます。


              小児科 今西康次

中部徳洲会病院8期生 群星オリエンテーション

2011-04-07 16:55:45 | Weblog
お疲れ様です。
昨日から今日まで、中部徳洲会病院初期研修医8期生は宜野湾のフェスト―ネでオリエンテーションを行いました。
例年、コミュニケーションスキルと※KJ法のワークショップは中部徳洲会病院の2年次研修医が担当して、オリエンテーションのアンケートで高評価を得ているとのことで、山本先生と新垣先生にやっていただきました
また、中部徳洲会病院の8期生もグループ分けされた中でも先頭に立つ方やまとめる方などいい働きをしている姿をみて、すこし安心しました。
今年の研修医も雰囲気や元気はとてもよく頼もしいですが、伊波院長に言わせれば「全然元気がない!」ということで今後、あんまり走りすぎて、息切れすることのないようにしながらもつぱしって行っていただきたいと思います
来週から研修が始まり当直も始まります。
また、皆様にどのように変わるかをご報告したいと思います。



ワークショップを担当していただきました2年次研修医。





※KJ法は、文化人類学者川喜田二郎(東京工業大学名誉教授)がデータをまとめるために考案した手法。データをカードに記述し、カードをグループごとにまとめて、図解し、論文等にまとめてゆく。KJとは、考案者のイニシャルに因んでいる。共同での作業にもよく用いられ、「創造性開発」(または創造的問題解決)に効果があるとされる。



東北関東大震災  災害医療報告 3

2011-04-07 11:07:04 | Weblog
前回は18日に気仙沼市立本吉病院で診療を開始したところまで書きました。



泥だらけのCT撮影装置。



18日に本吉病院に入っていたTMATスタッフは、
医師:新家(屋久島徳洲会病院)、村上(福岡徳洲会病院)、今西(沖縄中部徳洲会)
看護師:宮城(沖縄中部)、有銘(沖縄中部)、沼口(福岡)、浅草(大阪松原)、林(宇和島)、富永(宇和島)、
検査技師:金井(宇治)
薬剤師:福井(千葉)
事務:山田(宇治)
調理師:佐藤(宇治)



村上医師は気仙沼市立病院に設置された対策本部との連絡、避難所の巡廻診療を、新屋医師と私は本吉病院での診療を担当しました。


本吉病院周辺の避難所は10か所以上あり、一番規模の大きい小泉中学校では500人以上が避難生活をしていました。後日私も小泉中学校の診療に行きましたので、詳細は続報で書きましょう。

本吉病院の周辺地図。黒丸が避難所を示す。




本吉病院は、2階が津波から免れたので、2階で診療を行いました。
2階は入院病棟で30名近い入院患者さんがいたのですが、全員岩手県の病院に転院がすんでいました。

本吉病院の外観。綺麗なようですが、よく見ると背の高さまで津波の跡が残っています。



1階の中はこのありさまです。




病室に小さなテーブルを持ち込んだだけの診察室。最初の数日はストーブもなく、寒い診察室でした。

診察は24時間オープン。夜中もTMATスタッフが交代で診療しました。


病室にテーブルを持ち込んだ急ごしらえの診察室。陽光がまぶしい。


ストーブは廊下にだけ設置された。2階は被害を免れている。




病院の看護師さんたちも震災前のシフト勤務を続けていますが、入院患者さんがいなくなったので、夜間などは片付けや掃除が主たる業務となります。
日中も、診療はTMATが、日ごろからの通院患者の定期処方は病院スタッフが中心にと、お互いに仕事を分けていました。

私が本吉病院に入った当初は、病院の看護師さんたちと災害医療支援で入っているTMATのメンバーにはなんとなく距離感がありました。私も途中から参加しているので、この距離感に違和感を感じましたが、しばらく静観することにしました。


本来なら、病院の看護師さんたちとTMATが一致団結して診療に当たる必要があるのですが、実際は別々に行動しているのです。病院スタッフにしてみると、災害で病院がめちゃくちゃになり、茫然としているところへ見も知らぬ医療チームが入ってきて診療を始めている。薬剤も診療器具もすべて持ち込みで完結している。なんとなく近寄りにくい存在だったのかもしれません。


私を含めて医師の間には病院看護師の積極的参加を求めようとする意見があったが、TMAT看護師リーダーである林看護師(宇和島病院の看護師長)の「彼女たちも被災者なのだから、今は休ませてあげましょう」という意見に従った。林看護師は病棟看護師たちと頻繁にミーティングを重ねていった。

深夜帯の前にミーティングする看護師たち。



のちになって、林君の看護師長としての読みの深さが証明された。
日を追うごとに病院の看護師たちに「病院を何とかして復興させたい」という気持ちが強くなっていくのが感じられた。22日の夜に病院スタッフとTMATとの全体ミーティングが開かれ、病院の正常な機能回復を目指した協力体制が話し合われた。病院看護師もTMATの診療や避難所の巡回診療に主担当として参加する方向で合意形成された。

自分たちの病院を立て直す道筋が見えてきたので、看護師を含めて皆が一致団結して難局を乗り切る下地ができたのである。林君の「今は休ませてあげましょう」という心遣いで、心身ともに疲れ切った病院スタッフを回復させ、新たな出発を可能にしたのだと思う。

全体ミーティングが行われた翌日3/23の様子。笑顔が広がっている。



災害医療報告4 につづく          中部徳洲会病院 今西康次