アトウッド作品は何冊か読んでいるのだけど、もう何年も前に読んだものなので、一度もレビューを書いた事がありませんでした。
好きな作家さんなのにそれはマズイでしょう。
というわけで、「浮かびあがる」を再読。
この本は、アトウッド作品との出会いの思い出深い1冊です。
「侍女の物語」を借りるために行った図書館で、隣に並んでいた本が本書でした。
何の気なしに手に取り、先にこちらを読んだのです。
フェミニズム作家として名高いアトウッドですが、
私はそのときフェミニズム文学というものを知りませんでした。
だから、最初にこの本を読んだときの印象は、文章がすばらしいということでした。
その詩的な部分は、まるで映画のフラッシュッバックのように、主人公の記憶として文章の中に存在し、イメージを喚起します。
その手法は、曖昧模糊としているし、
代名詞は誰を示しているのかはっきりとはさせていません。
ですが、名前の与えられていない主人公の脳の中身をのぞいているようで、だんだん、読んでいる自分と主人公がシンクロしてくるのです。
主人公<わたし>は、故郷の知人から父の失踪を知らされ、飛び出してきた家、湖の中にある孤島の小屋へと友人夫婦と同棲している売れない陶芸家の彼と4人で向かいます
島に戻って、父親を探し始めるとともに、自分の子供時代の遺物を発見し、いつから感情を失ってしまったのか自問し始めます。
<わたし>は離婚暦があり、子供は父親と暮らしている、2人を捨てたのは自分だと語ります。
2日の滞在が1週間のび、最後の日の前日、彼女は湖の水中で彼女の父親を見つけます。
彼の死体を見る事により、自分が隠し、封印していた記憶が浮び上がってくるのです。
再読してみて、なるほど、フェミだわ、と納得。
友人夫婦の傷つけあう夫婦関係、同性相手の所有願望、元恋人への独りよがりな愛。
でも、後半、自分の真実を認識し、自然へと同化していくあたりから、そんな事はどうでもよくなってきました。
父親の死体を見たことにより、新たに自己認識をした彼女ですが、それから自然への回帰を果たし、狂気と一体化することにより、死んだ父と母からの贈り物を受け取ります。
そうやって、初めて彼女は現実と向かい合う準備が整ったのです。
ラストでは、彼女が現実世界、都会へと戻っていくかどうかは、はっきりとはしていません。
<わたし>とともに魂の旅をしてきた読者が自分で決める、そういうことだと思います。
全編通して、記憶の混乱や、過去と現在が並列している<わたし>の内面を描き出しているので、読みにいというところはありますが、私はそれを魅力と感じています。
他の著作は、それほど陰鬱ではないし、もっと読みやすくエンターティンメント性が高いものが多いです。
でも、私はアトウッド作品の中ではこの作品が一番気に入っています。
浮かびあがる
侍女の物語ハヤカワepi文庫
好きな作家さんなのにそれはマズイでしょう。
というわけで、「浮かびあがる」を再読。
この本は、アトウッド作品との出会いの思い出深い1冊です。
「侍女の物語」を借りるために行った図書館で、隣に並んでいた本が本書でした。
何の気なしに手に取り、先にこちらを読んだのです。
フェミニズム作家として名高いアトウッドですが、
私はそのときフェミニズム文学というものを知りませんでした。
だから、最初にこの本を読んだときの印象は、文章がすばらしいということでした。
その詩的な部分は、まるで映画のフラッシュッバックのように、主人公の記憶として文章の中に存在し、イメージを喚起します。
その手法は、曖昧模糊としているし、
代名詞は誰を示しているのかはっきりとはさせていません。
ですが、名前の与えられていない主人公の脳の中身をのぞいているようで、だんだん、読んでいる自分と主人公がシンクロしてくるのです。
主人公<わたし>は、故郷の知人から父の失踪を知らされ、飛び出してきた家、湖の中にある孤島の小屋へと友人夫婦と同棲している売れない陶芸家の彼と4人で向かいます
島に戻って、父親を探し始めるとともに、自分の子供時代の遺物を発見し、いつから感情を失ってしまったのか自問し始めます。
<わたし>は離婚暦があり、子供は父親と暮らしている、2人を捨てたのは自分だと語ります。
2日の滞在が1週間のび、最後の日の前日、彼女は湖の水中で彼女の父親を見つけます。
彼の死体を見る事により、自分が隠し、封印していた記憶が浮び上がってくるのです。
再読してみて、なるほど、フェミだわ、と納得。
友人夫婦の傷つけあう夫婦関係、同性相手の所有願望、元恋人への独りよがりな愛。
でも、後半、自分の真実を認識し、自然へと同化していくあたりから、そんな事はどうでもよくなってきました。
父親の死体を見たことにより、新たに自己認識をした彼女ですが、それから自然への回帰を果たし、狂気と一体化することにより、死んだ父と母からの贈り物を受け取ります。
そうやって、初めて彼女は現実と向かい合う準備が整ったのです。
ラストでは、彼女が現実世界、都会へと戻っていくかどうかは、はっきりとはしていません。
<わたし>とともに魂の旅をしてきた読者が自分で決める、そういうことだと思います。
全編通して、記憶の混乱や、過去と現在が並列している<わたし>の内面を描き出しているので、読みにいというところはありますが、私はそれを魅力と感じています。
他の著作は、それほど陰鬱ではないし、もっと読みやすくエンターティンメント性が高いものが多いです。
でも、私はアトウッド作品の中ではこの作品が一番気に入っています。
浮かびあがる
侍女の物語ハヤカワepi文庫
「意識の流れ」という手法が、シンクロしない身には辛かったけど、これはなかなかどうして、秀作だと思いますよ。
あのあと私ならどうするかなあ。うーん、あの主人公と根本的に性格が違うから、これは愚問になっちゃうなあ。あの主人公がどうするか、まったく性格の違う私の考えることとしては、新しく生まれ変わった自分で、再び現実世界に対峙する、ということかな。きっとずっと楽に生きられるはずだもの。それと引き換えにいろいろな問題も生じてくるでしょうけど。
特に私のような、人の内面にはまり込んでしまうタイプには危険が大きいかも。
あのあと、主人公がどうするか。
私も、現実の世界に、今までいた都会へと戻っていくと思います。
今までのように、ジョーと生活することはできないでしょう。
自己認識をした彼女は、多分、自分の生きる道を模索し始めるんじゃないかな。
困難だけでなく、今までと違った喜びも感じ取れるようになっていると思う。
この作品を読みながらキイス「クローディアの告白」のクローディアを思い出していました。
彼女は、精神的な病気なんだけど、自分が普通じゃないことをわかっている。
これは自己認識が少しできている状態。
<わたし>が、故郷に戻ってきたときに感ずることと同じ状態。
クローディアは、そこから抜け出すために、自分の隠している真実を探るために作家と共同作業を始めるんだけど、それがまた壮絶な戦いなの。
自分の過去を直視しようとすると決まってそこから目をそらせよう、認めないよう意思が働いてしまうわけ。
<わたし>も過去を直視するまでには、あれだけの経験が必要だったのよね。
「クローディア」はキイスの著作の中では地味な作品なんだけど、精神のもろさをよく表している作品だと思うな。
ジョーもかわったのならともかく、彼は元の彼のままですからね。ジョーは、感情を抑圧していた彼女に引かれたわけだから、生まれ変わった彼女とはうまくいかないだろうね。彼女も生まれ変わったのだから、世界は違って見えるだろうし、ジョーのことも違ってみえるだろうから。
多かれ少なかれ、誰もが闇を抱えて生きていて、ある時期にどうしてもそれを見据えなければならないときがやってくる。闇を見つめているつもりでも、実際は本当にみつめなければならないところを見ていなかったりするものよね。これはとっても勇気がいることで、強い心がないと駄目だね。この<私>も(きっとクローディアも)とても繊細だけれど、とっても勇気のある強い女性ですね。
クローディアの強さは、そんな自分がいることをちゃんとわかっていて、未来の自分のために、乗り越えなくてはならないと行動に移すところ。
<わたし>の場合は、どうしようもなく、過去と対峙してしまったわけだけど、それをきちんと乗り越え、自分を再確認している。
自己認識って、とても大切なことだよね。
それができていないと、自分がどういうスタンスで周囲と折り合いをつけていくかわからない。
2人は、精神的なダメージで一度つまずいてしまったけれど、また、浮上してきている。
私たちも、いつ何時、同じようなことが身に降りかかるかもしれない。
もろさも強さも、どちらも自分の中にあるんじゃないのかな。