ブックオフ詣でを続けていると、ある日、自分が探している本に出合えるというラッキーな出来事が起こります。
本書を見つけたときの私は、心の中でヤッターと叫び、足元も軽く踊っていたことでしょう。
側にいた人は、何をふらついているんだコイツと思ったに違いありません。
期待に胸を膨らませ、読み始めた私は、あっという間に文章に没入してしまい、周りでゲームをして騒ぐ子供たち(夏休みなので夜遅くまで起きてやがる)の声も耳には届きません。
これこそ文藝作品です
しか~し、困った。
レビューがうまく書けそうにありません。
もし、以下のレビューモドキに興味を持っていただけたなら、
是非、手にとって読んでみてください。
とても私ごときでは、この良さを伝えきれるとは思えませんので。
『魚のように』は、著者のデビュー作であり、
第二回坊ちゃん文学賞をこの作品で受賞しています。
坊ちゃん文学賞とは、四国の松山市で一年おきに公募している文学賞のようで、
新しい青春小説が対象のようです。
全国からの公募があり、現在は第9回目の締め切りを終えており、過去の受賞者には、私の知っている作家さんでは、瀬尾まいこ、またドラマ化された受賞作『がんばっていきまっしょい』の敷村良子がいます。
比較的認知度の高い文学賞なのですね。
本書は、この『魚のように』に加え、『花盗人』という短編が収録されています。
どちらも中心となる登場人物は学生で、もちろん青春小説なのですが、青春小説というさわやかなイメージとは程遠い、主人公の少年少女の内面と真剣に向き合った物語です。
彼らは傷つきやすく、大人に近づく身体とは裏腹に、狭量な選択肢しかありません。
このような心情は、彼らのような年代に特有で、この年代の少年少女なら、
多かれ少なかれ持っているものだと思います。
だから、大人から見ればバカだなと思うようなこともするし、無駄だなと思うようなこともするのではないでしょうか。
既読の中脇さんの作品には、ノスタルジックな輝きがあるのですが、『魚のように』では、
すでにその片鱗がうかがえます。
四万十川を上流に向かって歩いていく主人公ですが、その情景に、いつしか自分が子供時代にみた景色を重ね合わせています。
主人公の少年少女に、昔の自分を重ね合わせることもできるでしょう。
ちょっと気づいたことがあるんです。
「稲荷の家」のレビューでも書いたのですが、
ところどころにユーモアを感じさせる文章があるんですね。
「稲荷の家」では、ここは笑う箇所なんだろうなと思っても、作品の性質上笑えないというところがあったんですが、本書では、笑っちゃいけないところなんだけどニヤッとしちゃう、そんな場面が数箇所ありました。
たとえば、草履との邂逅シーン。
または、下心ありありの中年男の形容。(目の細い髪の薄い皺のたるんだ中年男)
これは、著者の意図してやっていることなのか、それとも無意識なのか。
どちらにしても、独特なユーモアセンスであること間違いなしです。
つらつらと書いてみましたが、とにかく、本書はとても良いのです。
『魚のように』を書いたとき、著者は17歳。
17歳にしてこの作品か、と驚くとともに、17歳だからこそ書ける作品なのかもしれないと思うのでありました。
魚のように
追加!
私は、中脇さんの作品を3冊読んでいるんですが、その3冊とも、違いはあれど主人公たちは自分の居場所を探しているんですね。
「魚のように」「花盗人」では、家族から疎外されていると感じている主人公が、自分の存在意義に悩んでいます。
「魚のように」の主人公は、家族のもとに戻るでしょう。
「花盗人」の主人公は、家族より、外の世界に目を向けるでしょう。
ああ、若いなぁ。
「稲荷の家」では、バラバラでやってきた家族がまた絆を取り戻し、「祈祷師の娘」では、はるちゃんが自分を発見する。
そこには、自分がどこかに帰る場所があるという安心感がありますね。
この帰属感は、ノスタルジーに強く関係しているんじゃないかと思うんです。
うまく説明が出来ませんが、そのように今は考えています。
本書を見つけたときの私は、心の中でヤッターと叫び、足元も軽く踊っていたことでしょう。
側にいた人は、何をふらついているんだコイツと思ったに違いありません。
期待に胸を膨らませ、読み始めた私は、あっという間に文章に没入してしまい、周りでゲームをして騒ぐ子供たち(夏休みなので夜遅くまで起きてやがる)の声も耳には届きません。
これこそ文藝作品です
しか~し、困った。
レビューがうまく書けそうにありません。
もし、以下のレビューモドキに興味を持っていただけたなら、
是非、手にとって読んでみてください。
とても私ごときでは、この良さを伝えきれるとは思えませんので。
『魚のように』は、著者のデビュー作であり、
第二回坊ちゃん文学賞をこの作品で受賞しています。
坊ちゃん文学賞とは、四国の松山市で一年おきに公募している文学賞のようで、
新しい青春小説が対象のようです。
全国からの公募があり、現在は第9回目の締め切りを終えており、過去の受賞者には、私の知っている作家さんでは、瀬尾まいこ、またドラマ化された受賞作『がんばっていきまっしょい』の敷村良子がいます。
比較的認知度の高い文学賞なのですね。
本書は、この『魚のように』に加え、『花盗人』という短編が収録されています。
どちらも中心となる登場人物は学生で、もちろん青春小説なのですが、青春小説というさわやかなイメージとは程遠い、主人公の少年少女の内面と真剣に向き合った物語です。
彼らは傷つきやすく、大人に近づく身体とは裏腹に、狭量な選択肢しかありません。
このような心情は、彼らのような年代に特有で、この年代の少年少女なら、
多かれ少なかれ持っているものだと思います。
だから、大人から見ればバカだなと思うようなこともするし、無駄だなと思うようなこともするのではないでしょうか。
既読の中脇さんの作品には、ノスタルジックな輝きがあるのですが、『魚のように』では、
すでにその片鱗がうかがえます。
四万十川を上流に向かって歩いていく主人公ですが、その情景に、いつしか自分が子供時代にみた景色を重ね合わせています。
主人公の少年少女に、昔の自分を重ね合わせることもできるでしょう。
ちょっと気づいたことがあるんです。
「稲荷の家」のレビューでも書いたのですが、
ところどころにユーモアを感じさせる文章があるんですね。
「稲荷の家」では、ここは笑う箇所なんだろうなと思っても、作品の性質上笑えないというところがあったんですが、本書では、笑っちゃいけないところなんだけどニヤッとしちゃう、そんな場面が数箇所ありました。
たとえば、草履との邂逅シーン。
または、下心ありありの中年男の形容。(目の細い髪の薄い皺のたるんだ中年男)
これは、著者の意図してやっていることなのか、それとも無意識なのか。
どちらにしても、独特なユーモアセンスであること間違いなしです。
つらつらと書いてみましたが、とにかく、本書はとても良いのです。
『魚のように』を書いたとき、著者は17歳。
17歳にしてこの作品か、と驚くとともに、17歳だからこそ書ける作品なのかもしれないと思うのでありました。
魚のように
追加!
私は、中脇さんの作品を3冊読んでいるんですが、その3冊とも、違いはあれど主人公たちは自分の居場所を探しているんですね。
「魚のように」「花盗人」では、家族から疎外されていると感じている主人公が、自分の存在意義に悩んでいます。
「魚のように」の主人公は、家族のもとに戻るでしょう。
「花盗人」の主人公は、家族より、外の世界に目を向けるでしょう。
ああ、若いなぁ。
「稲荷の家」では、バラバラでやってきた家族がまた絆を取り戻し、「祈祷師の娘」では、はるちゃんが自分を発見する。
そこには、自分がどこかに帰る場所があるという安心感がありますね。
この帰属感は、ノスタルジーに強く関係しているんじゃないかと思うんです。
うまく説明が出来ませんが、そのように今は考えています。
「これこそ文藝作品です。
しか~し、困った。
レビューがうまく書けそうにありません。」というくろにゃんこさんのお気持ち、すごくわかります。
私も子ども達の声が聞こえなくなるくらい本の世界にはまり込んでいました。
くろにゃんこさんは、それでもこうして書いていらっしゃるので、えらいです。
「あかい花」と「魚のように」を続けて読み、う~ん、すごい才能だとうなっています。いい作品を読み終えた後って、言葉をなくしてしまいます。「魚のように」はすごく良かったです。
また、もう少し時間が経ってから、こちらにコメントさせていただきますね。
本書の世界は、主人公個人のとても限られた世界観で成り立っているのですよね。
これが、本のなかにはまり込んでしまう原因なのかもしれません。
>いい作品を読み終えた後って、言葉をなくしてしまいます
まざあぐうすさまもそうですか。
よかった、私も一緒です。
「魚のように」を読んだあとのこの感覚は、とても久しぶりでした。
よい作品には、何をどう書いても、その作品を読んでもらうまでは、伝わらないですよね。
しょうがなく、まとまりはなかろうと、自分が感じたこと、書いておきたい事を並べ立ててみました。
結果、本の内容に踏み込んでいないレビューになってしまいました。
自分の力量不足が情けないです(泣)
以前、「くらやみの速さはどれくらい」でTBいただいたものです。
Book Baton の続きをお願いするために、TBさせて頂いたのですが。TBした後に、既に記事を書かれてることに気づきました。
不注意ですみませんでした...
なかには2回まわってきても対応できる方もいるようですが、私はそれほど器用でないもので。
ゴメンナサイ。
「火星の人類学者」を読んだあとに、cedarさまのところに伺おうとしたら、行き先がわからなくなっていました
今回、コメントをいただいて助かりました。
ありがとう!
単行本の発行当時読んで、度肝を抜かれました。これで17歳かと。
くろにゃんこさんのおっしゃるとおり、17歳だからこそ、でもあるのでしょうね。
そのときの衝撃のためか、最近の17歳の作品に手がでません。とんだ後遺症です。
こちらは、ノワール作家の兆しが見える、まあ、今後に期待って感じでしたね。
「旅の重さ」も、たしか17歳ぐらいの作品ではなかったかと思います。
「旅の重さ」は、「魚のように」と通じるところがあって、同じ四国を舞台にしているということもあるのでしょう。
「魚のように」は、ガツンと衝撃を受ける小説です。
この感性、みずみずしさは、本当に素晴らしい。
一時期大変話題になったようですが、このような小説が埋もれてしまうというのは残念でなりません。
中脇さんは寡作な作家で、最近出た(といっても昨年ですが)「祈祷師の娘」もよいですよ。
昨年の夏の課題図書になっていてので、図書館やブックオフの児童コーナーを探せば見つかると思います。