「これを買ってあげるともし言ったら、君はそれを喜ぶかい?」
誰かから、突然に、何かを貰うことは本当に思いがけず、嬉しく、そしてこそばゆいものだ。
私の部屋の玄関を上がってすぐの廊下の幅を半分弱占拠している本棚、その上は数少ない娯楽場になっていて、違う大陸から運ばれてきた石や、コインや、そして沢山のミニカーで埋もれている。そのミニカーの半分はフェラーリのそれで、その真っ赤な並びに今日新しい仲間が加わった。それは20センチ以上はある真っ赤なイヴェコのトランスポーター。つまり、F1マシンを戦地まで運ぶトレーラー。そして、面白半分で購入したセイフティカー。
小さくて軽い車たちを左手に下げてぷらぷらと揺らしながら帰宅すると、私はまるで子供のようにわくわくと、眉間に皺を寄せながらその配置を考え、どうにか定位置を定めて飾りつけを完遂させた。満足気ににたりと笑う私の顔は、幼い少年が虫かごに入れた戦利品を眺めるときのそれときっと同じだ。
思えば私は子供の頃から車が好きだった。
三歳にも満たないような子供が車のことを「ぶーぶ」と表現したりするような頃、私は頑固に首を横に振り、「チガウの、あれは、トアック(*「トラック」と言えていない)。」などと、バスやショベルなど幾つかの種類を分類することに拘り、大人たちの機嫌を少なからず悪くさせた。
小学生にもなると、夏の旧盆の支度の一部は私の担当だった。
胡瓜の馬と、茄子の牛を作った。そして、その意味を知った。私は子供心に、「馬の足がいくら速いと言っても、ご先祖様は何人もいるのだし、馬が一頭きりじゃ限度があるに違いない。」と思った。そしてある日の学校帰りに、私は近所の玩具屋に寄って、小さなミニカーを大事に抱えて帰宅すると、自慢気に仏壇にそれを並べた。
それはくすんだ黄色をしたロータスホンダ。
どうしても待ちきれなくて、すぐにでも逢いに来たいと思ったら、ご先祖様はこれに乗って来ればいい。子供の私にとって、この世で最も速い乗り物はF1だった。
「運転できるのかしら?酔っちゃうかもしれないわよ。」
そう云って、親は苦笑した。
何年か経って、旧盆の仏壇にはロータスホンダの隣に、90年代当時の真紅のフェラーリと、ブリティッシュグリーンのジャガーが並ぶようになった。エンジン音が各社で異なることを知り、車の安定やら形の美意識やらも知り、ご先祖様の好みによって選択の幅があったほうがよいと思ったからだ。
あれからもう15年も経った今でも、あのときのフェラーリが私の傍にずっと居る。
新幹線を知り、リニアモーターカーを知り、戦闘機を知った今でも、多分私にとって「この世で最も速い乗り物」である実感を与えてくれるものは最高級な車なのだ。私に少年期というものがもしあったとしたならば、それは未だに輝きを放ち続ける少年の夢そのものだ。
実家にあるはずの残り2台が今でも旧盆の仏壇に並べられているかを私は知らない。
そして、ご先祖様がそれを一度でも利用したことがあるのかどうかも。
誰かから、突然に、何かを貰うことは本当に思いがけず、嬉しく、そしてこそばゆいものだ。
私の部屋の玄関を上がってすぐの廊下の幅を半分弱占拠している本棚、その上は数少ない娯楽場になっていて、違う大陸から運ばれてきた石や、コインや、そして沢山のミニカーで埋もれている。そのミニカーの半分はフェラーリのそれで、その真っ赤な並びに今日新しい仲間が加わった。それは20センチ以上はある真っ赤なイヴェコのトランスポーター。つまり、F1マシンを戦地まで運ぶトレーラー。そして、面白半分で購入したセイフティカー。
小さくて軽い車たちを左手に下げてぷらぷらと揺らしながら帰宅すると、私はまるで子供のようにわくわくと、眉間に皺を寄せながらその配置を考え、どうにか定位置を定めて飾りつけを完遂させた。満足気ににたりと笑う私の顔は、幼い少年が虫かごに入れた戦利品を眺めるときのそれときっと同じだ。
思えば私は子供の頃から車が好きだった。
三歳にも満たないような子供が車のことを「ぶーぶ」と表現したりするような頃、私は頑固に首を横に振り、「チガウの、あれは、トアック(*「トラック」と言えていない)。」などと、バスやショベルなど幾つかの種類を分類することに拘り、大人たちの機嫌を少なからず悪くさせた。
小学生にもなると、夏の旧盆の支度の一部は私の担当だった。
胡瓜の馬と、茄子の牛を作った。そして、その意味を知った。私は子供心に、「馬の足がいくら速いと言っても、ご先祖様は何人もいるのだし、馬が一頭きりじゃ限度があるに違いない。」と思った。そしてある日の学校帰りに、私は近所の玩具屋に寄って、小さなミニカーを大事に抱えて帰宅すると、自慢気に仏壇にそれを並べた。
それはくすんだ黄色をしたロータスホンダ。
どうしても待ちきれなくて、すぐにでも逢いに来たいと思ったら、ご先祖様はこれに乗って来ればいい。子供の私にとって、この世で最も速い乗り物はF1だった。
「運転できるのかしら?酔っちゃうかもしれないわよ。」
そう云って、親は苦笑した。
何年か経って、旧盆の仏壇にはロータスホンダの隣に、90年代当時の真紅のフェラーリと、ブリティッシュグリーンのジャガーが並ぶようになった。エンジン音が各社で異なることを知り、車の安定やら形の美意識やらも知り、ご先祖様の好みによって選択の幅があったほうがよいと思ったからだ。
あれからもう15年も経った今でも、あのときのフェラーリが私の傍にずっと居る。
新幹線を知り、リニアモーターカーを知り、戦闘機を知った今でも、多分私にとって「この世で最も速い乗り物」である実感を与えてくれるものは最高級な車なのだ。私に少年期というものがもしあったとしたならば、それは未だに輝きを放ち続ける少年の夢そのものだ。
実家にあるはずの残り2台が今でも旧盆の仏壇に並べられているかを私は知らない。
そして、ご先祖様がそれを一度でも利用したことがあるのかどうかも。
なんとも言えないんだけど、
『血』ってあるよなぁ・・・ちうのは、
最近つくづくと思うのだった。
ダモンで、君のご先祖様もひょっとしたら喜んでるかも。
>バスやショベルなど幾つかの種類を分類することに拘り、大人たちの機嫌を少なからず悪くさせた
俺もこんな子供だったような…(苦笑)
幼少期は米国にいた時もあったので、大人に英語の発音をレクチャーしたり…
車じゃないですが、昆虫に関してはうるさかったですw
ご先祖様はいったいどんな車が
すきだったのでしょうか
胡瓜の馬と茄子の牛。
ちなみに私は一度も作ったことがありません。
こうゆう文化は大切にしたいものですょね
わたしは、祖父の父に少し似ているらしいです。
勿論、直接の面識があるわけではないので、人づてなのですけれど。
そういう「粋」を感じてくれる酔狂な血が、過去のどこかに流れていてくれたことを願ってやまない昨今。
>カルマ
燃費のいいポルシェや、ベンツSLKなどは実用性として至極魅力的。
だけども、フェラーリやアルファのようなセクシィなラインの魅力には、負けてしまう。
役に立たないものは、どうしてこうも美しいのだろう。
>江ノ島
一度、妙に馬と牛に凝ろうとしたことがあって、トウモロコシのひげを用いて、たてがみとか尻尾とかをつけたことがあります。
可愛かった・・・・けど、時間がかかりすぎました(笑)
アイルトン・セナ&中嶋悟が駆ったマシーンですね。
87年からメインスポンサーがJPSからキャメルに変わり、漆黒のイメージが強かったロータスがいきなりキャメルカラーに変わったときは驚きました。
そんなことを思い出すと、いまだに真紅のイメージを守っているフェラーリは、偉大だと思います。
『ああ、血筋だなぁ』と思うところが多い。
なので会った事のない夫の祖父母について、
想像で「・・・でしょ?(笑)」なんて言えて、
しかも当たってたりするのでした。
だから多分きっと、・・・そんなモンよ。
JPS・・懐かしいです。
記憶には殆どありませんが(笑)
なんとなく、ときどきJPSが吸いたくなるのは、F1のイメージが潜在的に強かったからなのかもしれませんね。
漆黒の車、そういえば最近はみかけませんね。
美しい色の車、そろそろ登場しないかな。
>yumi
そんなものだといいのだけれど(笑)
なかなか、一筋縄ではいかなそうです。