Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

機械はおもちゃでなければ。

2008-06-17 | 物質偏愛
 新しいオモチャの時計がやってきた。
都市的な軽いデザインのなかに、その大きさと重さによって逃れられない拘束感を孕んでいる。それを諧謔的だと感じるのは、私の主観なのだろうけれど。

「時計に対して重要視するものは、機能・美しさ・哲学」。常々私はそう云っている。それが、どんなにキッチュなオモチャの時計に対してであっても変わらない価値基準だ。いやむしろ、時計は多分すべからくオモチャであるからこそ、そこに哲学やら美やらの介在する余地があるのだ。


1) 機能
 機能という言葉の意味は、受け手にとって様々に異なるだろう。時刻が正確であること、多機能であること、時刻が見やすいこと、着脱が楽なこと、腕にフィットすること、衣服に合わせやすいこと、など数限りない。私が求めるのはそれらのうち自分が重要視する何かであり、時計自身が体現してくれている何かだ。
例えば、私が時計を選ぶ際に、「時刻が見やすい」というのは必要条件だ。とはいえ、それを充たしてさえいればよし、という訳にはいかない。できれば、時刻もなるたけ正確なほうがいい。デザインも好みに近いほうがいい。大きさが手に馴染むほうがいい。信頼性のおける機械がいい。その時計自身がそもそもどうありたいかによって、備わる機能は異なる。私は、その時計にとってそうあるべき要素を充分に満たしている時計が、よい時計だと思う。
サテンベルトのジュエリーウォッチは壊れやすくあるべきだし、スポーツウォッチはチープ&軽量な質感であるべきで、マニュファクチュアルな時計は各々で誰かの真似であってはいけないというようなことだ。

2) 美しさ
 美しさについては、主観を大いに含むものであるから、こういうものがよいとは言い切れない。それを見る日や天気、心持ちによって、何を美しいと思うかは簡単に変化するためだ。つるんとしたなにもないエナメルの文字盤に2本の針だけがあるシンプルさが美しい時計もあれば、クロノやスモールセコンドがびっしり詰まったせせこましい盤面が美しいものもある。
要は、色と材質とバランスとが、機能に相応しく調和してなお、髪一筋ほどの尖りがそこにあればよいのだ。

3) 哲学
 時計には、時計自身がこうありたいと願うかたち、その時計を身につける人にこうあってほしいと願うかたちがある。時刻を示す数値がランダムに配置され、順繰りに刻が訪れるのではなく、ねじれながらまるで螺旋のような時刻を刻んでゆく時計。ワークタイムの目盛りを短く、それ以外を長くすることによって、「自由な時間を有意義にいっぱい使おう」というメッセージを込めた時計。12時間の文字フォントが少しずつ色の濃いグラデーションになり、時間を濃密に重ねてゆくことが示された時計(明日のはじまりはまた真っ白からスタートだ)。
誰もが知っていて、誰もがそれに飲まれている「時」というもの。目に見えないのに密接な「時」とは何なのか、どうあって欲しいのか。それを投げかけてくれる時計は文句なくすばらしい。





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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すごい (なおや)
2008-06-29 03:12:52
時計をされてたの覚えています。
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あのころ・・ (マユ)
2008-06-30 10:49:33
>なおや

気に入ってよくしていたのは、IWCのリトルダビンチだったかな?
昨年、とうとうオーバーホールしました。
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そう (なおや)
2008-07-03 02:10:31
君はどぜう、、、おぜう様なんだよね。
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