―― あまりにも短命の作品となってしまったことに驚いている。
樹状住居という集合住宅の考え方に基づいてつくったものだから、
マンションへの改修は十分可能なのに、残念だ。
日本はますます経済性優位の社会になって、
文化的な価値は評価されにくくなっているのか (菊竹清訓) ――
大学に通っていた時分、法文一号館が改修工事の最中であった。我々は根津の離れに研究室という名のプレハブを与えられた。プレハブの床はぎっしりと詰まった書籍の重みで軋み、廊下を歩くと床をぶち割りそうながつがつという無愛想で派手な音を響かせた。
研究室への行き帰りに弥生の住宅街を通る際、空を幾重にも分断する電線の向こうにいつも見上げる建物があった。
それが、ソフィテル東京だった。
設計者菊竹清訓氏はメタボリズム(新陳代謝)という都市・建築理論の提唱者の一人であり、この建物もまたその理論に基づいて設計されている。メタボリズムを象徴するとも言い換えられる代表的建築物としては中銀カプセルタワービル(黒川紀章、1972)が有名だ。建築家の実験的な熱情の顕現と呼べる建物は、日に日に減少してきている。特に都心においては、居住性の高さ、利益効率の良さが最優先事項となった。そうして、心を揺さぶるような建物には滅多にお目にかかれなくなった。
明らかに不安定で、揺らめきながら空へとベクトルを向けるあの建物は、日々悩める熱情のカタマリ、すなわち学究の徒であった私自身を投影するに相応しかった。賛否両論巻き起こしたあのケッタイな風貌は、カテゴライズ不能という素晴らしき存在感を示してくれた。台風がきたらポッキリと折れて倒れてしまいそうな樹状建築は、夏の眩しい陽光の下でも、夕焼けのぼんやりとした茜色を背景としても、常に心細さと茫洋とした輪郭と、そして何より確固たる意志をもってそこに居た。私は雨の日であっても傘をちょっとだけずらして、毎日それを見上げた。
ソフィテル東京は2006年12月をもって営業を停止した。そして、その威容を惜しむ間もなく、2007年の早い内には取り壊される。多忙に追われてこの感慨を忘れ去り、ふと思い出して次にそこを見上げたときには、何の変哲もないタワーマンションがそこに建っているのだろう。
せめて私の心の中の風景には、永遠に。あの揺らめきとともに。
-- むしろそこが空のままであったなら、よかったのに。
追) 環境への配慮を主なテーマとする愛知万博に関わった菊竹氏の意向として、解体後の建材をできるだけ再利用するよう三井不動産レジデンシャルに依頼したとされている。しかし私にとって、そんなことはこの際瑣末なことだ。
菊竹清訓氏設計の建築の例:
江戸東京博物館
九州国立博物館 ほか
樹状住居という集合住宅の考え方に基づいてつくったものだから、
マンションへの改修は十分可能なのに、残念だ。
日本はますます経済性優位の社会になって、
文化的な価値は評価されにくくなっているのか (菊竹清訓) ――
大学に通っていた時分、法文一号館が改修工事の最中であった。我々は根津の離れに研究室という名のプレハブを与えられた。プレハブの床はぎっしりと詰まった書籍の重みで軋み、廊下を歩くと床をぶち割りそうながつがつという無愛想で派手な音を響かせた。
研究室への行き帰りに弥生の住宅街を通る際、空を幾重にも分断する電線の向こうにいつも見上げる建物があった。
それが、ソフィテル東京だった。
設計者菊竹清訓氏はメタボリズム(新陳代謝)という都市・建築理論の提唱者の一人であり、この建物もまたその理論に基づいて設計されている。メタボリズムを象徴するとも言い換えられる代表的建築物としては中銀カプセルタワービル(黒川紀章、1972)が有名だ。建築家の実験的な熱情の顕現と呼べる建物は、日に日に減少してきている。特に都心においては、居住性の高さ、利益効率の良さが最優先事項となった。そうして、心を揺さぶるような建物には滅多にお目にかかれなくなった。
明らかに不安定で、揺らめきながら空へとベクトルを向けるあの建物は、日々悩める熱情のカタマリ、すなわち学究の徒であった私自身を投影するに相応しかった。賛否両論巻き起こしたあのケッタイな風貌は、カテゴライズ不能という素晴らしき存在感を示してくれた。台風がきたらポッキリと折れて倒れてしまいそうな樹状建築は、夏の眩しい陽光の下でも、夕焼けのぼんやりとした茜色を背景としても、常に心細さと茫洋とした輪郭と、そして何より確固たる意志をもってそこに居た。私は雨の日であっても傘をちょっとだけずらして、毎日それを見上げた。
ソフィテル東京は2006年12月をもって営業を停止した。そして、その威容を惜しむ間もなく、2007年の早い内には取り壊される。多忙に追われてこの感慨を忘れ去り、ふと思い出して次にそこを見上げたときには、何の変哲もないタワーマンションがそこに建っているのだろう。
せめて私の心の中の風景には、永遠に。あの揺らめきとともに。
-- むしろそこが空のままであったなら、よかったのに。
追) 環境への配慮を主なテーマとする愛知万博に関わった菊竹氏の意向として、解体後の建材をできるだけ再利用するよう三井不動産レジデンシャルに依頼したとされている。しかし私にとって、そんなことはこの際瑣末なことだ。
菊竹清訓氏設計の建築の例:
江戸東京博物館
九州国立博物館 ほか
個人的には、常に周りの景観と違和感を覚えていましたが、いろいろな見方や感じ方があって当然ですよね。自分とは違った視点で興味深かったです。
どうも私は東京カテドラルとか、都庁、キャロットタワーとか今風のものが感性に合わないみたいです。旧日銀本館とか、いささか権力志向的な明確な意思や思いが感じられるものに惹かれてしまうのかも? ライトの建築物にもイマイチ惹かれないしなあ~。朝鮮総督符とか、是非見に行きたかったし・・・。
それでいて珍奇なものが好きなので、できればかつてあった浅草の凌雲閣のようなものだと、面白そう。最近はあの手のものないですねぇ~。
それを、教えてくれて、書いてくれて、ありがとう。
機能性とかコストだけで計れないものの価値を、
もっと認めて大切にしてゆけたらいいのにね。
美しい建築が姿を消して、
イマドキだけど似たり寄ったりな建物が増えてゆくのが、
とってもかなしいです。
http://www.st.rim.or.jp/~flui/bk/baka_home.html
ここの記事のお陰で、かなり気に入ってた。
でも、個人的には「見てて怖いよなぁ」と思ってたし、
近所に住みたくないなぁ・・・・とも思ってた。
そっか。取り壊しなんだ。
耐震偽造とかいろいろあったもんな。。その影響かもな。
さむかった。
>alice-room さま
この建物には賛否両論あります。
特に、景観という面から考えれば、ゴウゴウに云われているのが普通ですし、私も客観的にみれば「ちょっとあれさぁ。」と云いたくなる部分があることは事実です。
でも、そんなことを考えるよりも先に、あれは私の心に個人的風景として住み着いてしまっていました。
だから、もう公平な目で判断することなど(できるけど)したくない、というのが本音です。
浅草十二階は、私も是非実物を見たかった建物のひとつです。
>ヨーコちゃん
淋しくなるね。
今日、あの道を、3年間てくてく歩いた道を、歩いてきました。
記憶通りの場所に、記憶通りに電線に絡まったかんじで、やつは建っていました。
機能性が全てではないことは、恐らく多くの人がわかっているはずの時代なんだけど、どうしてその心が実体として生まれてこないのだろう。
何が邪魔しているんだろうね。
経済的な脅迫感のほかにはさ。
>yumi
そのHP、みました(笑
結構散々な云いようしていて、否定しているんだけど、「レゴみたい」って言わされちゃった時点で、設計者の思うツボなところがとても愉しくて、すきです。「コンセプトが判らなくなってる」って素人批判をしているけれど、「コンセプトはレゴだった」んだからしょうがない。
一枚うわてだった菊竹氏に乾杯。