Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

夏越の大祓。

2007-06-28 | 春夏秋冬
   --- みなつきの なごしの祓 する人は
   --- 千年のいのち のぶといふなり


 暑さもこれからというところであるが、勤務地近くの書店に本探しに出向いたところ、向かいの老舗百貨店の屋上に日枝神社による茅の輪が設置されているという知らせが目に付いた。晦日までにはあと2日あるが、この機会を逃せばもう祓える時間もなかろうと百貨店へ足を向けた。
 混み合うエレベーターの中で、屋上まで足を伸ばす客は他に誰もおらず、畢竟、屋上は休息を取っている3~4名を除けば非常に閑散としていた。お姉さんがひとり、小さなテーブルで和紙のかざぐるまを売っていた。呼び込むべき客もおらず、腰をかける椅子もなく、赤いかざぐるまだけがからからと小さな音を立てて静かに回っていた。

 私はお姉さんと眼を合わせないようにして、その傍らに並んでいるテーブルへと進んだ。そこには、白いひとがたと黄色いひとがたとが束ねられており、その袖先が風に煽られてほんの少し揺れていた。束から一枚を抜き取ると、自分の名を記して雨露を拭くようにして自らの身体をぬぐった。そうしてから茅の輪をくぐり、軽く一礼をして綿毛のような雲に覆われた空をちらと仰いで、社に戻るためにエレベーターへと踵を返した。
 エレベーターの扉が閉まりかけたとき、茅の輪の傍らに、黄色い着物を着た10歳にも満たぬ女児が赤いかざぐるまを持ってにこりと微笑んでいるのが見えた、ような気がした。

 
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 大祓は、6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われる、犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事である。6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月のを年越の祓と言う。701年の大宝律令で正式な宮中の年中行事に定められた。応仁の乱の頃から行われなくなったが、江戸時代に再開され、後に全国の神社でも行われるようになり現在に至る。
 夏越の祓では、形代に自らの罪穢れをうつし、「茅(*)の輪潜り」を行う。これは、氏子が茅草で作られた輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に通って穢れを祓うものである。

* 茅とは、[ち][かや][ちがや]で、菅(すが)、薄(すすき)などの多年生草木のこと。

 神代の昔、武塔神”素戔嗚尊(すさのおのみこと)”が、南海へ出立する途中、ある所で土民の蘇民将来(そみんしょうらい)、巨旦将来 (こたんしょうらい)という兄弟に宿を求められた。その時、弟の巨旦将来は裕福な身であったにも拘わらず宿を拒んだのに対し、兄の蘇民将来は、貧しい身であったが尊をお泊めし、栗柄(がら)を以って座を設け、栗飯を饗して接待をした。その後、年を経て尊は再び蘇民将来の家を訪れ、「もし天下に悪疫が流行した祭には、ちがやを以って輪を作り、これを腰に付けておれば免れるであろう。」と教えた。
この故事に基き、蘇民将来と書いてこれを門口に貼れば、災厄を免れるという信仰が生じ、また祓の神事に茅輪を作ってこれをくぐり越えるようになった。


 なお、旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」といわれ、室町時代には幕府や宮中で年中行事とされていた。この日になると、御所では氷室の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払った。宮中では氷室の氷の解け具合によってその年の豊凶を占ったと云われる。
 当時は氷室の氷を口にすると夏痩せしないと信じられていた。しかし、庶民にとって夏の水さえ貴重であり、ましてや氷など簡単に食べられるものではない。そこで、宮中の貴族にならって氷を模った菓子が作られるようになり、これを水無月と呼ぶ。水無月の三角形は氷室の氷片を表したもので、上の小豆は悪魔払いの意味を表すとされる。