Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

競馬初体験。

2007-06-15 | 徒然雑記
 
 私は、賭け事というものに全く興味が無い。
 自分の人生以上に面白くリスキーな賭け事を知らないからだ。

 パチンコとかスロットとかいうやつに、大学生の頃に連れていって貰ったことはあったが、何が愉しいのか判らず、暇だなぁと思っている間に終わってしまった。
宝くじというものを生まれてこのかた購入したことがないのは、「当たった」といいう友人にこれまで出会ったためしがないからである。そもそも、年賀状の当選番号を確認することすら忘れたまま過ぎていってしまう年も多い。

そもそも、商店街の福引などで、赤い珠(※地元では大抵、赤い珠がハズレ)以外を目にしたことがない。
「大学受験でお前は一生分の運を使い果たしているんだよ。」と云われたことがあるが、なるほどそうかもしれないと思う。

 そんなわけであったが、この度幸運にも「業務で」競馬場にゆくことができた。賭け事自体はドウデモイイのであるが、競馬場(しかもよりディープであろう地方競馬)に行くことができるのはうきうきものなのであった。

 客層は、事前に色々な人から気をつけるようにと注意を受けていたほどには乱暴でも荒っぽくもなく、時にはセクハラを交えながらも極めて親切に接してくれた。
パドックは近く、馬がぱかぱかと歩いているさまがよく見える。気性が荒いか機嫌が悪いかで道と無関係なところを突っ切る子や、道があるにも拘わらず芝生のところしか歩きたがらない自由な子、パドックで歩いているだけなのにつまずく子、と馬を見ているだけで飽きない。

 運良く、業務には社内(の一部)で「ギャンブルの神様」と呼ばれている方が一緒であった。そして、専門紙(新聞)の読み方から馬券の買い方まで丁寧に教示してくれた。
 さらに、帰りがけのおじさんが「もう帰るからこれやるよ。」と専門紙をくれた。上司が既に購入済みであった新聞と別の会社のものだったので、それぞれの予想を比較しながら馬券を購入した。

1) あまりベタなものは買わない。
2) あまり狙い打たない(※連単は買わない)。
3) 馬を見てから新聞を見る。

という自分ルールを決めてみた。
結果、気に入りの子がスタートで躓いたり、途中で失速したりと惜しいところで外した。そうして、殆どの人々がみな「おしいところで外したぜ」と思っているに違いないことが推察できた。そういう感情になるようにうまい仕組みができているのだ。

 そして、ゲームセンター感覚で愉しめればよいのだと思った。ゲーセンでは、そのうち事故ったりプレイヤーが死んだりしてゲームオーバーになることを予測したうえで数百円を投入する(※コンプリートしたい人は別だ)。数百円でゲームをしている短い時間の享楽気分を買っているわけなので、それと同じ気分で競馬を愉しめればコストは一緒である。しかも、目の前に美しい競走馬がぱかぱかしているのだから、それを見て綺麗とか可愛いとか感じることは充分に可能だ。


さて、来週も同じ仕事が待っている。
今から楽しみだ。