Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

遺言。

2007-02-22 | 徒然雑記
 僕は、遺言の権力をあまり期待していない。
 どのみち紙っぺら一枚のことであるし、燃やしてしまえば跡形もない。それに、人の心はその周囲の人の心や行いによってどうとでも変化するものであるから、物理的にも、またその物理的なものを支える目に見えない力だって確固たるものではない。
けれど、こうして遺言を書いている。

 僕は結婚もしていないし財力もないから、自分が居なくなったあとの心配ごとは殆どないと言っていい。でも、だからこそ書ける遺言もある。
僕が遺したもののせいで誰かと誰かがいがみ合ったりすることなど、多分まるでないだろうからだ。

 僕が大事にしているものは沢山ある。
書棚を飾る本もそうだし、子供の頃から手に馴染んだ辞書、日々身につけていた装身具に時計、日に何度も手に取る煙草まわりの品々。使いさしの香水、書類と気概を詰めて運んだ鞄。

 それらの中でも思い入れのあるものを書き出して、もし構わないならばそれを僕の代わりに持っていてくれるといいなと望まれる人の名前を別表に示した。居なくなった後の僕には何も口出しできないから今のうちに云っておくと、できるなら僕が書き出した「もの」と「ひと」の組み合わせは変更しないで欲しい。不必要なものが割り当てられていたら勿論それを受け取らなくても構わないのだけれど、ぼくが描いた「もの」と「ひと」の組み合わせは、僕なりの勝手な思い出やイメージで出来ているから、それが崩れてしまうことは今の僕には少し淋しいのだ。
どのみち、僕は僕の選んだ誰かがそれを持っていてくれる様子を目にすることはないのだけれど。ただの自己満足だ。

 次にもしできるなら、僕の葬式はパーティーのように愉しいものにして欲しい。
僕を知るみんなが思い思いの服を着て集まって、まるで社交場のように話をして、新しい友人を増やして欲しい。みんなそれぞれ、僕にまつわるおかしなエピソードや内緒の話を持っているだろう。それらを互いに投げ合って、僕を仲介とした新しい繋がりが生まれてくれることを心から望む。きっとそれは結婚式のパーティーよりももっとずっと純粋で、きっとそこから、なんの利害関係もない、ただ愉しく豊かなだけの関係が築かれるに違いない。

 結婚もしていない僕が、そして結婚をしてもよいと思う相手さえいる僕が、結婚式よりもずっと鮮やかなリアリティーを伴って葬式のヴィジョンを思い浮かべ、それをこうして言葉にしていることを、多分みんなは僕らしいと云って苦笑するだろう。


 いや、そんな愉しげな場面が来ないほうが、ほんとうはもっと愉しくてあるべきなのだ。だから、万一のときのために、僕がそれを放棄しているわけでないことを、最後に追記しておくことにしよう。

そんなところも僕らしいといって、どうか笑ってくれると嬉しい。