Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

BLANC CERAMIC

2007-02-11 | 物質偏愛
 

 人は土から造られたから、土にほど近いくすんだ色合いで生まれてくる。

 その中で、眼の一部と歯というほんの僅かな部分だけ、人は白という色を貰った。

 眼。
 それは美しいものや穢らわしいもの、分類不可能なものやその他記憶にも残らない雑多な「どうでもいいもの」を次々に映し続けるという厳しい役割を与えられた器官。美しくあり続けさせることが非常に困難な器官。
憤りの炎に煤け、悔し泪に曇ってもなお独力でその艶と透明度を取り戻すことを強いられる。


 歯。
 それは本来身体の中に収まっているはずの骨の一部が露出した器官。死してなお、燃やされてなお残る器官は、容易く腐敗し燃え尽きるその他の器官の動きを止めないために、日々休みなく食物を咀嚼し、体内に送り込む。
水車屋の職人のように、日々絶え間なく、その先端をすり減らしながら。


白は、人を試す。

白いシャツに腕を通し、ぱりっとした糊を身体で崩すとき。
和紙に最初の墨を下ろすとき。
実験白衣の袖を捲りあげるとき。
白い靴で出掛けた日の通り雨。
病院の屋上に並ぶ洗濯物を眺めやるときの恐怖。


それを目にし、身に付けても、心は自らのものであり続けられるか。
心が白に侵され、白の思惑に誘導されはしないか。白が汚染される恐怖と自らが汚される恐怖とを同一視して動揺したり、あるいは無意味に白を汚してみることで嗜虐的な高揚感を得たりはしないか。



白は、いつでも人を試す。

白い爪紅を贈られる私もまた、試されている。