Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

雪の高野。

2007-02-04 | 異国憧憬
 九月以来の出張で、私はいたくご機嫌であった。
 たとえそれが、極寒の高野山であっても。

 南海高野線に揺られながら、山が深くなるとともに少しずつ明らかになる雪の気配を眺めた。乗客もまばらな列車はキイキイと神経質な音を立てつつ、山道をのんびりと登っていった。

 ケーブルカーを降りると、夏の記憶が色濃い霊場はまだ降ったばかりの美しい雪に覆われてきらきらと清められていた。
「お山に雨が降っているときは、大師さんが奥の院に居るんだよ。」
と友人の阿闍梨が教えてくれたことを思い出し、雪が降っているときにも居てくれるのだといいな、と思った。

 バスの車窓からちらと見えた波切不動の向かいの公園に建つ多宝塔は、屋根に薄い雪を纏ってひときわ女性的な風情をしていた。ジャングルジムと並んで建つこの多宝塔は無償に美しくて、子供達の遊び場にまるで当然のように溶け込んでいて、そしてなにより私の気に入りであった。

 仕事は大層スムーズに、和気藹々とした空気の中で行われた。
「今ならまだ、特急連絡のケーブルに間に合うかもしれん。車出せ!」
課長の一言で、若い社員が慌てて車を出し、まるでつむじ風のように私は見送られた。
「雪道ですから、ガードレールぶち抜かないでくださいね。」
「僕、若い頃にここ、単車でぶち抜きましたよ。左半身五箇所折れました。」
そんな年期の入った高速山道カーブの連続に、私は大人しく後部座席でごろごろと転がされているほかなかった。程なく高野山駅に着くと、車のドアを開けた途端にケーブルの発車する警笛が聞こえた。
若手社員はひとえに運転の甘さを詫びながら、役場へと戻っていった。彼は一生のうちにもう一度くらい、どこか骨折するかもしれないな、と思った。

 橋本から連絡を入れておいたら、和歌山駅には修士研究の際にお世話になった方がマイカーで乗り付けていて、改札を出てきょろきょろしている私を迎え、「骨折はもう完治したか?」と笑った。
 昨年の春、和歌山城付近で肘の骨を砕き、真っ青な顔でホテルのロビーに蹲っていた私のところに自転車を飛ばして汗だくで駆けつけてくれた人だ。彼の笑顔は本物で、私はかつて迷惑を掛けた申し訳なさと、痛みと時間の不足で有難うさえまともに伝えられなかった後悔と、再会の嬉しさとが心の中でごっちゃになって、一応は治った右手を使って「これだけ治りました。」とその首元にぎゅうとしがみつきたい気分であった。
 
 そうして、一緒に御飯を食べた。
とりとめのない話も、仕事に関する話も、同じ温度を伴っていた。修士の学生と県庁勤務の職員という関係から始まったとは到底思えないような不可思議な信頼がそこにあった。

「ごめんな。いつもはもう少し元気なんやけど。最近いまひとつでな。」
「じゃあ、携帯で今のお顔を写真撮るね。次に来たとき、元気な顔になっていたら、ちゃんと新しいのを撮って、差し替えてあげるから。」
「ええよ。その代わり、ちゃんとまた来るんやで。次のときは、俺、呑むぞ。」
握手をした手はその笑顔と同じくらいに暖かくて、私は満足した。


 帰途の新幹線は、雪のために案の定、米原あたりで足止めを食った。新大阪を過ぎて、東京から大阪に戻った友人は今どうしているのかと頭を過ぎった。
帰宅すると、その友人から、まるで半年ぶりに「一緒に撮った写真は毎日持ち歩いています。いまでも大好きです。」というメールが届いていた。



 大好きな場所に行き、大好きな人に逢った。
 大好きな場所に、大好きな人に、何度でも好きなだけ逢えることは幸せなのだ。