Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

少年の夢 -SPEED-。

2006-11-05 | 物質偏愛
「これを買ってあげるともし言ったら、君はそれを喜ぶかい?」
 
 誰かから、突然に、何かを貰うことは本当に思いがけず、嬉しく、そしてこそばゆいものだ。

私の部屋の玄関を上がってすぐの廊下の幅を半分弱占拠している本棚、その上は数少ない娯楽場になっていて、違う大陸から運ばれてきた石や、コインや、そして沢山のミニカーで埋もれている。そのミニカーの半分はフェラーリのそれで、その真っ赤な並びに今日新しい仲間が加わった。それは20センチ以上はある真っ赤なイヴェコのトランスポーター。つまり、F1マシンを戦地まで運ぶトレーラー。そして、面白半分で購入したセイフティカー。

小さくて軽い車たちを左手に下げてぷらぷらと揺らしながら帰宅すると、私はまるで子供のようにわくわくと、眉間に皺を寄せながらその配置を考え、どうにか定位置を定めて飾りつけを完遂させた。満足気ににたりと笑う私の顔は、幼い少年が虫かごに入れた戦利品を眺めるときのそれときっと同じだ。

思えば私は子供の頃から車が好きだった。
三歳にも満たないような子供が車のことを「ぶーぶ」と表現したりするような頃、私は頑固に首を横に振り、「チガウの、あれは、トアック(*「トラック」と言えていない)。」などと、バスやショベルなど幾つかの種類を分類することに拘り、大人たちの機嫌を少なからず悪くさせた。

小学生にもなると、夏の旧盆の支度の一部は私の担当だった。
胡瓜の馬と、茄子の牛を作った。そして、その意味を知った。私は子供心に、「馬の足がいくら速いと言っても、ご先祖様は何人もいるのだし、馬が一頭きりじゃ限度があるに違いない。」と思った。そしてある日の学校帰りに、私は近所の玩具屋に寄って、小さなミニカーを大事に抱えて帰宅すると、自慢気に仏壇にそれを並べた。

それはくすんだ黄色をしたロータスホンダ。
どうしても待ちきれなくて、すぐにでも逢いに来たいと思ったら、ご先祖様はこれに乗って来ればいい。子供の私にとって、この世で最も速い乗り物はF1だった。
「運転できるのかしら?酔っちゃうかもしれないわよ。」
そう云って、親は苦笑した。

何年か経って、旧盆の仏壇にはロータスホンダの隣に、90年代当時の真紅のフェラーリと、ブリティッシュグリーンのジャガーが並ぶようになった。エンジン音が各社で異なることを知り、車の安定やら形の美意識やらも知り、ご先祖様の好みによって選択の幅があったほうがよいと思ったからだ。

あれからもう15年も経った今でも、あのときのフェラーリが私の傍にずっと居る。
新幹線を知り、リニアモーターカーを知り、戦闘機を知った今でも、多分私にとって「この世で最も速い乗り物」である実感を与えてくれるものは最高級な車なのだ。私に少年期というものがもしあったとしたならば、それは未だに輝きを放ち続ける少年の夢そのものだ。


実家にあるはずの残り2台が今でも旧盆の仏壇に並べられているかを私は知らない。
そして、ご先祖様がそれを一度でも利用したことがあるのかどうかも。