久しぶりに逢うその女性は、私を覚えていて呼びかけた。
私は、ふらふらと彼女のほうへ導かれた。
渡岸寺の彼女(十一面観音)が琵琶湖畔の住処を離れて、こんな遠くまで行脚をしたのは初めてだ。
「ごめんね、こんな田舎まで、ごめんね。」
内陣も、須弥壇もない、がらんとしたむき出しの空間に、強いスポットライトを四方から浴びながら、彼女は居た。取り囲む人々の数は往時と同じかもしれないけれど、往時とはきっと異なるであろう明らかに無遠慮な視線に囲まれて。私は、みたび彼女に逢えた嬉しさを抱きつつ、ごめんね、と呟かざるを得なかった。
私が仏像を見るとき、常ならばその尊顔を拝し、徐々に視線は首元から腕釧へ、手指へ、そして天衣を伝って腰周りから足元へと視線が落ちてゆく。彼女の場合は、その腰に目が釘付けになり、若干の気恥ずかしさからそれを避けるように顔を俯けてしまうから、足元にはじまり腰へ、指へ、視線が纏わる。そして最後に恐る恐る、その顔を仰ぐのだ。
薄い衣は、仏師の掌が這った跡。低い位置で腰をたらりと覆う布も、肩甲骨からわき腹の高い位置にあるくびれたカーブを経て腰に巻きつく布も、仏師による独占欲の名残。だからこそこんなにも艶めいた彼女を、我々は物欲しげに、しかし気恥ずかしく、見上げる。
俺のもの。
触らせてなんて、やるものか。
そんな声が聞こえてくる。
彼女は、舞い散った桜の花弁を巻き上げる春のつむじ風のような人だ。
その印象は、かねてより変わらない。
その理由が、初めて解けた。
正面から見ると、彼女は右に腰を上げるように捻り、右足の膝を曲げて僅かばかり前に出している。右手はだらりと身体に沿わせて垂らし、左手は宝瓶をそっと掲げる。その姿勢はぴた、と止まって安定し、天衣が身体の後方に向かって舞うことで、風が彼女を包んでいることに気付く。
彼女の左に回ると途端に、彼女はふら、と前方に揺らいで、おっと、と手を差し伸べたくなるくらいに不安定に傾ぐ。身体の均衡を取るために、宝瓶を奉げる手指と肘に力を込め、肘から先をすいっと前方に突き出した瞬間だ。
彼女の背後に回ると、倒れそうに見えた彼女は再びの安定を取り戻す。右に捻られたように見えていた腰は後方にくいと持ち上げられ、前方に傾いでいたと思われた身体はゆうらりとこちらに戻ってくる。水草が揺らめくように、天から一本の糸で吊られたまま、まるで踊るように。
彼女の右に回ると、気紛れもいいところで、彼女は右足の一歩をいざ前に出さんとするまさにその瞬間。一度の瞬きの後にはきっとその踵が地面から離れているに違いない。曲げられた膝は、そのすぐ上の前腿の力によって引き上げられたばかりで、前方へ進もうという意思が、彼女のだらりとした右手を身体のやや後方へと置いてけぼりにする。
彼女が発する方向のベクトルは、重力と、天へと昇る力と、そして前方へ踏み出さんとする(しかもかなりの俊敏さで)力。それらが絡み合ってらせんを巻き、彼女自身を覆う。そのイメージが、私につむじ風を思い起こさせた。
彼女の瞬きはきっと何百年も先のことだけれど、彼女の右の踵が浮いたその瞬間を、私は見てみたい。
【過去記事】
渡岸寺(十一面観音)。
私は、ふらふらと彼女のほうへ導かれた。
渡岸寺の彼女(十一面観音)が琵琶湖畔の住処を離れて、こんな遠くまで行脚をしたのは初めてだ。
「ごめんね、こんな田舎まで、ごめんね。」
内陣も、須弥壇もない、がらんとしたむき出しの空間に、強いスポットライトを四方から浴びながら、彼女は居た。取り囲む人々の数は往時と同じかもしれないけれど、往時とはきっと異なるであろう明らかに無遠慮な視線に囲まれて。私は、みたび彼女に逢えた嬉しさを抱きつつ、ごめんね、と呟かざるを得なかった。
私が仏像を見るとき、常ならばその尊顔を拝し、徐々に視線は首元から腕釧へ、手指へ、そして天衣を伝って腰周りから足元へと視線が落ちてゆく。彼女の場合は、その腰に目が釘付けになり、若干の気恥ずかしさからそれを避けるように顔を俯けてしまうから、足元にはじまり腰へ、指へ、視線が纏わる。そして最後に恐る恐る、その顔を仰ぐのだ。
薄い衣は、仏師の掌が這った跡。低い位置で腰をたらりと覆う布も、肩甲骨からわき腹の高い位置にあるくびれたカーブを経て腰に巻きつく布も、仏師による独占欲の名残。だからこそこんなにも艶めいた彼女を、我々は物欲しげに、しかし気恥ずかしく、見上げる。
俺のもの。
触らせてなんて、やるものか。
そんな声が聞こえてくる。
彼女は、舞い散った桜の花弁を巻き上げる春のつむじ風のような人だ。
その印象は、かねてより変わらない。
その理由が、初めて解けた。
正面から見ると、彼女は右に腰を上げるように捻り、右足の膝を曲げて僅かばかり前に出している。右手はだらりと身体に沿わせて垂らし、左手は宝瓶をそっと掲げる。その姿勢はぴた、と止まって安定し、天衣が身体の後方に向かって舞うことで、風が彼女を包んでいることに気付く。
彼女の左に回ると途端に、彼女はふら、と前方に揺らいで、おっと、と手を差し伸べたくなるくらいに不安定に傾ぐ。身体の均衡を取るために、宝瓶を奉げる手指と肘に力を込め、肘から先をすいっと前方に突き出した瞬間だ。
彼女の背後に回ると、倒れそうに見えた彼女は再びの安定を取り戻す。右に捻られたように見えていた腰は後方にくいと持ち上げられ、前方に傾いでいたと思われた身体はゆうらりとこちらに戻ってくる。水草が揺らめくように、天から一本の糸で吊られたまま、まるで踊るように。
彼女の右に回ると、気紛れもいいところで、彼女は右足の一歩をいざ前に出さんとするまさにその瞬間。一度の瞬きの後にはきっとその踵が地面から離れているに違いない。曲げられた膝は、そのすぐ上の前腿の力によって引き上げられたばかりで、前方へ進もうという意思が、彼女のだらりとした右手を身体のやや後方へと置いてけぼりにする。
彼女が発する方向のベクトルは、重力と、天へと昇る力と、そして前方へ踏み出さんとする(しかもかなりの俊敏さで)力。それらが絡み合ってらせんを巻き、彼女自身を覆う。そのイメージが、私につむじ風を思い起こさせた。
彼女の瞬きはきっと何百年も先のことだけれど、彼女の右の踵が浮いたその瞬間を、私は見てみたい。
【過去記事】
渡岸寺(十一面観音)。