Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

どこにいても、珈琲と煙草。

2004-08-11 | 徒然雑記
 数年ぶりに訪れた京都は、暑くて、そして夏休みで騒がしかった。
いつもであれば、京都に住む大親友と六曜社で待ち合わせをして、そして彼女は必ず時間通りには来なくて、本を読んだりして時間を潰している頃合だ。しかし彼女は今回ガーナの首都アクラから戻っていないので、一人きりで六曜社を訪れる訳にもいかない。なんか、抜け駆けは申し訳ない気分になるのだ。

 そんな訳で、奈良で美味しい珈琲を一切飲むことができなかった腹いせとして、イノダコーヒの本店に行くことにした。
かつて、研修授業をさぼって友人と珈琲を挟み、アップルパイを食べてお喋りに興じた。
今は、ひとりだ。

 当時の私の左手には存在しなかった煙草の紫煙をぼんやり眺めやり、寺社建築の本につらつらと目を通したりなんかしてみる。
これでもかと厚い生地のカップは飲み易いんだか飲みにくいんだか判らず、上方に特徴的な酸味の香る珈琲をちびりちびりと、まるで酒かなにかのように。

 ここで、私とテーブルを挟んでくれたことのある友人の顔をひとり、ひとりと思い出し、彼女らがそれぞれに長い年月を経つつも未だに私のかたわらに居てくれていることを想い、つい微笑む。自分の居住空間でないちょっと遠い地、だけども親しみと個人的な想いの染み込む地に居るからこそ独りで過ごす時の流れを実感し、かつこの地とこの珈琲の香る空気を共有した人物と自分との時間的・空間的繋がりを強く思い起こすべく海馬が私に強制する。

火災で再建された建物は昔のようではなかったけれど、そこに流れる香りはあの頃のまま。
アップルパイの変わらぬ味とともに。