Sweet Dadaism

無意味で美しいものこそが、日々を彩る糧となる。

新薬師寺(十二神将)

2004-08-16 | 仏欲万歳
 カーナビっていうのは、信頼するとよくない。
使い方と信頼度をよく判っていなかった私は、奴が指示する方向を友人に指示することになるが、そのうちやめた。
何故って。
 確かに目的地付近ではあるけどさ、そこで案内終了するなよ。
 駐車場まで責任もって連れてけよ。
 まだ到着してないんだから、帰路の案内とかするなよ。
 リルートするなら愚図愚図しないでしてくれよ。信号変わっちゃうじゃん。

まぁそんなこんなで。
新薬師寺の駐車場へは、7年前の私の淡い淡い記憶に頼って到着。

 新薬師寺がもつ独特の「胡散臭さ」は形を変えても健在だった。
門を入ってすぐ、正面の大層邪魔になる場所にあった
『圧感(ママ)!世界的国宝』と字が間違っているうえに世界と国とをごっちゃにして、概念まで間違ってる看板は撤去されていた。あれ、結構すきだったのに。しかも、新薬師寺は世界遺産のエリアから外されているけれども、東大寺とか興福寺とか、国宝で世界遺産の登録物件ってある意味「世界的国宝」なんじゃないの?そう思えば、あれは時代を先取りした新しい概念だったということか。返す返すも、看板撤去が勿体無い。

その代わりに、入り口には金と銀のカエルが鎮座していた。なになに。
『やさしく頭を撫でてやって下さい。無事カエル』
・・・勘弁してください。
霊験あらたかな薬師さんの寺、じゃないんですか、ここは。薬師如来と眷属の十二神将がびっちり揃っているというのに、両生類のカエルになんでわざわざお願いしなくちゃいけないの。

 まぁ、こういうのは新薬師寺のお約束なので、相変わらずお約束のシタールが奏でるムード音楽みたいなのが流れる本堂へ赴く。
眼病祈祷ということで、不自然なくらいアーモンド型のぱっちりとしたお眼を持つ薬師は、恐らくその眼のお陰で、「ドモ。」と片手を挙げて挨拶しても怒られなさそうな親しみ易さを感じる。如来さまは概して悟りの境地においでになるので、頼りにはなるがどうもとっつき難い印象を与えるものが多い中、ここの薬師は別格。下々の者にもにこっと微笑んでくれる懐の深さと人情が滲み出ている。貴重な文化財でなかったら、お手てを繋いでみたいくらいだ。

 十二神将は、もう云うことないよね。
天平時代の、ちょっと控えめな躍動感。鎌倉時代のように鉄パイプ振り回しているような恐ろしさはないけれども、懐の内ポケットに静かに手を入れるやんわりとした仕草が奏でる迫力、というものか。内ポケットに例えハンケチしか入っていないとしても、「ゴメンナサイ」って云っちゃう。
歌舞伎の見得の仕草は仏像から来ているというが、ここの十二神将を見ずして歌舞伎だけ鑑賞するっていうのは無粋というもの。見得の真髄というものをきちんを押さえるべきだ。

 十二神将の足元には、怪しい標語がある。いつもある。
胡散臭いというより、意味不明だったり不吉だったり、どこから拾ってきたのか判らない標語。
昔はよく記憶したりメモしたりしたものだったが。飽きた。

 いざ。世界的国宝たちが寸分の隙もなく護る、突っ込みどころ満載の寺へ。