部活日誌

部活動(ひとり文楽部)の記録など

取ろ取ろトロロ汁

2010-05-25 | その他いろいろ
しつこいようですが、「山の芋が鰻になる」について。


【意味】 
 (大昔、山芋が川に下って鰻になると思われていたが)
 ありえない、思いがけないことが現実に起きることもある。
 また、急に出世することのたとえ。


ということのようですが、そこから


「まだ鰻にもなってない芋を、いきなり蒲焼きにする=甚だしく早まった行為の例え。」

とも。 へぇ~、そりゃ知らなんだ。



すると野崎村での久作の

「山の芋は鰻になる。久松が年が明けたらば、われは又お内儀になる。
 それ楽しみによふ留守せい。ドリヤ往て来う」

のセリフにも、私には全然わかんないけど何か隠された意味でもあるのか? と、深読みしたくなります。



どっちにしろ、山の芋は鰻になることはないわけだけど。



この件でひとつ言える確かなことは、


 「とろろ飯、もしくは(できれば)うな重が食べたいな」

と言うことです。 お腹へったぐぅ~~




千秋楽

2010-05-24 | 文楽
今日は千秋楽でしたね。おめでとうございます。
しばらく東京はさびしくなりますが、待ち遠しい気持もまた楽し。
9月を楽しみに待つとします。



今回、2度目の一部鑑賞には、仮入部ではあるものの、新人を引率して伺いました。
ま、新人=オット なんだけど。

常々私が家でひとり喋くってるもんで、聞きたくなくても色々と聞こえてくるせいか、初心者にしたら色々と予習ができている新人ではありました。
そのせいか、少なくともがっくんがっくん寝る、というようなこともなく、初めてにしては楽しんでたんじゃないかなー、と思っていますが、さあどうでしょう。

「また行きたい」
という積極的な意見は今のところ聞こえてこず。 ちっ



【祇園祭礼信仰記】
 金閣寺の段
 爪先鼠の段


うーん、やっぱり金閣寺の後半の三味線の節はゾクゾクするほどかっこいいですねー
しかも、金閣寺が清治さん、爪先鼠でが寛治さんと、まったく違う三味線を続けて聞くことができるとは、なんと贅沢なことよ。

今回2度目で学習したのは、
「山の芋は鰻になる」
ってこと。
野崎村でも久作どんが同じこと言ってましたが、金閣寺でも「山の芋から鰻とは」って言ってました!

やっぱりね。お財布が寂しい時は鰻の代わりに山芋ですよ。


・・・そこはどうでもいいところですか? また? 
しかも意味も違う?


どうでもいいと言えば、オットが
「大膳は最後、カッコよく見得を切ってるけど、ひとり檻に入ってんだな。ふっ」
と、私と同じことを言っていたのにはちょっとショック。
レベル一緒なんだ・・・






【碁太平記白石噺】
 浅草雷門の段
 新吉原揚屋の段


ああ、やっぱりおのぶ可愛いい。 若干、うちの姪っ子に似ている。 
おのぶちゃんは可愛い上に、幼くしてしっかり者です。
文雀さんはどこか勝気というか男前の芯のある女性がやっぱりしっくり来ます。
和生さんの宮城野の知的な傾城ぶりも素敵。

そして、そして、文司さんの惣六のイキなこと。 
しかし、めっぽう涙もろい。ぷぷ、すぐにもらい泣きするんだもん。 
商売柄の割にえらく善人ですね。
鏡台から鏡をそっと持って出て、それで姉妹の剣を受けたりと、その後に活かす演出はよく考えられてますねー
照明もほんのり落とされて吉原の夜の粋がうまく表されているよう。

床も始大夫・清丈さん、千歳大夫・清介さん、そして嶋師匠&清友さんと揃って私にとっては大変嬉しく、楽しい演目でした。 

この話も三味線がいい風情ですよねー。 
・・・って、褒めたいんだけど、ド素人はどう褒めたらいいかてんでわからないので、「いい風情」なんつってお茶を濁して、わかった風なことを言っておく。



【連獅子】

連獅子といえばどうしても、中村屋、ですよね。歌舞伎座ではやんやの喝采を連日浴びていたばかりなので、初回見た時は

「ひ、人が・・・舞台に人がいっぱいいる・・・」

と思ってしまいました。

が、左・足遣いの方がそれはもう懸命に動き回ってるのを見ている内に、
 じ~~~~ん 

なぜか感動。

足を踏むリズムを外さないかとかも気になって、妙に私も手足に力が入ってしまいます。
そんないらぬ緊張をしているもんだから、毛振りが始まると

 おおお~~!

と、一気に清々しい気持ちになって拍手拍手。

人形の鬘がすっ飛んで行くこともなく、扇キャッチも成功、子獅子のジャンプも怪我なく(って知らないけど。怪我されてないことを祈ります)、最後は

は~~、面白かった! 面白かったねー

と言いながら劇場を後にするのでありました。




そうだ、新入部員(仮)が言ってたんだけど。
もっと幕間がゆったりしているとか、劇場でのんびりご飯を食べたり飲んだりする、こう、「ハレ」っぽさがあるといいのに。
休憩時間短くて忙しない感じが、いまひとつ、「楽しみ」感に欠ける、と。

確かにそれには同感。 
どじょうの手品が始まってもざわざわしてるのも、そこら辺に原因があるような。
毎度ご飯をかっ込んで、トイレから走って帰って来るんじゃあ、風情もへったくれもないもんねぇ。



新版歌祭文

2010-05-17 | 文楽
さあ、今日も意味のないことを熱く語ります。
 

【野崎村の段】

久作どんはいい人だなぁ。

久松のために久松の奉公先へ山芋を届けようとしたり、なけなしのお金を出してあげたり。
奥さんの連れ子であるおみつを可愛がり、久松と添わせてやろうと気にかけてあげたり。
何よりもおみつが(大根切るのはちょいと下手くそだが)働き者の孝行娘に育っていることが、久作のいい人・いい親ぶりを証明していますよね。

なのに、おみつと来たらそんなできた父親・久作どんの、よりによって頭に灸を据えるとは。
「アッツー! おみつ、どうするぞい、そこは頭じゃがな!頭に千里があるかいやい」
と、久作どん、恩を仇でかえされる、の巻。

玉女さんの久作、いい人でした。
爺語りは綱・住・文字久さん3人ともよかった。特に住さんの爺・婆は効きますね。
目の見えない母親におみつの出家を悟られまいと、
「暗き盲目にそれぞとも 知らず喜ぶ母親の、
 心を察し誰々も 『泣き声せじ』と喰いしばる
 4人の涙 八つの袖 」
のところなどでは、やっぱりじ~~~ん。
4人が泣き声立てないように喰いしばってるので、私も負けじと涙をこらえました。
冷静になってみれば、オレがこらえてどうする、なんですが。

簑助おみつ、かわいいねぇ。考えようによっちゃ、
「あなた達を思って私は身を引きます・・・ええ、こうして髪も下ろしましたしねぇ・・・」
と、情念系怖ろしさもないではないおみつですが、健気で可愛らしくなるのはさすが簑助さん、恋する娘さんは盤石ですな。



【油屋の段】

野崎村とはうって変って大阪の商家の賑やかさ。
ここは小助とだはの勘六が主役みたいなもんですね。
それはそうと、「だはの勘六」って、いつも裸だから「だは」と異名がついた、とのことだけど、その「だは」ってもしかして「はだか」の業界用語みたいなもん?
 「ルービーをみーのーしてろーげーろーげー」
みたいな。 そこ、相当気になるところ。

玉也さんの勘六は生き生きしていて、少々おバカながらも愛すべきキャラがしっかり。
勘十郎さんの小助は終始おいしいところを持っていきますね。
しまいには顔にこんもりご飯ものっけてるし。

一度、咲大夫さんの唾を頭に浴びるような位置で大音量で聞いてたんですが、よくまああのテンポでセリフ噛んだり声が裏返ったりしないもんだなーと。
それが当たり前なのかもしれませんが、あの熱演、客席も咲大夫さんの語りに巻き込まれ、自然と拍手が湧いていました。
隣で燕三さんが時々ニコニコしているのも目撃しましたが、燕三さんも咲さんの語りで笑ってたんでしょうか? 
それとも今夜の夕飯のことでも考えて・・・

しかし残念ながら私はこの段、笑えたけどホロリと来るには至らず。
だって、勘六の裸の胸にある突起・・・所謂ちくびですね。それがどうしてもおかしくて。
ああ、そんなところばっかりに気を取られる己が憎い!





【蔵場の段】


若いもんってヤツは、親や大人の言うことなんてなーんにも聞く気がないもんだ。


と、一言でまとめてみましたが、このお話、結果はそうなってしまいました。

お染久松は、あんなにおみつの父親・久作(いい人)がこんこんと言い聞かせても、
お染の母・お勝(後家)が衝撃の告白(若い男と懇ろになってうっかり妊娠しちゃったよ)までして言いくるめても、
結局は死んじゃった。

考えてみれば、おみつもお染・久松もみんな10代の若者。
特に久松のような10代男子つったら、エロいことで頭いっぱいだったり、盗んだバイクで走り出したり、校舎の窓割ってまわったりしてもおかしくないお年頃。
現に、だはの勘六なんかはそういうクチですね。荒れた10代、ってやつ。
え?そんなのは80年代あたりまで?
今の若者はそんなことしない?
すみません、金八世代なもんでつい・・・

とにかく。
早まるなーー! と大人が止める間もなく先走ってしまうのは、まさに若気の至り。
そんな若さ故の愚かさを誰が笑えましょうぞ。

まあ、もしお染久松が結婚したとしても、一生「オレ達の幸せはおみつの犠牲のうえで成り立ってる」と思えば、それまた辛い話だしね。

人生、死んじゃった方が生きていくより楽に思える時もある。

が、ちょっと待て、若人よ。“わかと”じゃないよ、わこうどよ。

生きてればそのうち、
「あー、あの時あんなに思いつめてあんな男と結婚しなくてほっっんとよかった!」
と、思い出すたびに安堵したり、

「あの女、今頃どうしてるかなー。オレにはできなかったけど、どこかで誰かに幸せにしてもらってくれよ・・・オレの永遠の恋人よ・・・」
と見当違いの郷愁にひたったりもできるようになると言うもの。

特にお染、久松さん。あんた達、あと5分、いや、30秒、死ぬのを待ってさえいれば、人生まったく違ったものになったのですよ!
若者にとってその5分がこらえられないのかもしれないが(いやらしい意味じゃなくてね)、あなた方の未来にはどんだけ時間が残されてると思ってるの!
おみつのお母さんを見なさい!生きたくても、娘の嫁入り姿が見たくても、病魔に侵されあとわずかの命ですよっ!

若者よ、生き急ぐことなかれ!


・・・・・・


私は誰に向かって熱く説教をしているのでしょう・・・
相手、死んじゃってますし。
というか、そもそも架空のお話だし。
しかも人形。

誰かなんとかしてください、この暴走列車。




5月公演・第一部

2010-05-11 | 文楽
平日ですが有休を取って一部に行ってきました。

せっかく有休まで取ったというのに、若干の二日酔いのせいで睡魔と激しく闘い、ついには敗れる瞬間も・・・

で、寝てしまったヤツの話など聞いちゃいられないとは思いますが、ちょっとだけ言わせてくれ。


【祇園祭礼信仰記】

筋書きの鑑賞ガイドに、「浄瑠璃の詞章に囲碁の用語が巧みに読み込まれている」とあったけど、囲碁のことは何ひとつ知らない私。
「そうだ、勉強、勉強」と家にあったマンガ、『3月のライオン』を読んで囲碁用語を予習しようと思いました。

が。


『3月のライオン』は、将棋の話だったよ・・・

将棋と囲碁の区別もつかない私、浄瑠璃を100%理解し楽しめる境地には一生かかっても辿り着けそうにないと悟りました。
ま、別にぃ、それでもいいしぃ~ (負け惜しみ)



それはおいといて。


『金閣寺』は歌舞伎でしか観たことがなかった私ですが、初めて文楽で見ると、大膳殿が
 “抱いて寝る”“抱いて寝る”
ばっかり言ってる気がしてなりませんでした。
大膳殿、実悪というより、色ボケキャラ?(違います)

そんなところばっかり気になるのは、下ネタに敏感に反応する中学生男子か、この私くらいのもんでしょうか。

あと、碁を打ちながら「あるともあるとも有馬山」とか「国を取ろ取ろとろろ汁」なんておやじっぽくうまいこと言い合ってるのも面白い。

で、やっぱり私も最後に大膳が鉄格子の中に入ってるのには笑ってしまいました。
相変わらず大きい玉也さんの大膳、カッコいい。
カッコいいけど最後はひとりだけ檻の中・・・w

それにしても東吉殿。お年寄りは大切に! 
慶寿院様は背中に負ぶって降りるんじゃだめだったの? どうしても?



5月公演初日

2010-05-09 | 文楽
8日(土)は5月公演初日。

わたくしは初日、まずは2部から。


【新版歌祭文】
 野崎村の段
 油屋の段
 蔵場の段

【団子売】


「新版歌祭文」。今回、私は「野崎村」以外の部分を初めて見ました。
予想外にシュールな展開で面白かった。

ただ、「油屋の段」で久松の乳母・お庄に久松だけでなく、まさかのだはの勘六までもが膝に取りすがって大泣きし、お庄さんに背中をよしよし、してもらってたのにはちょっとびっくり。
「いったい、勘六っていくつよ?」
と思ったけど、久松が十代の若者ということだから勘六も概ねそんなもんなのか。

そこは結構まわりのお客さんたちから、くすくすくす・・・(笑うところ? 笑っちゃいけないところ?)という微妙な笑いが。

うーーん。

まさか、まさかの展開だらけでついて行くので精一杯だったんで、もう1回、後半に入ってからちゃんと見る。