通し狂言 妹背山婦女庭訓
【第1部】
初段 小松原の段
蝦夷子館の段
二段目 猿沢池の段
三段目 太宰館の段
妹山背山の段
【第2部】
二段目 鹿殺しの段
掛乞の段
歳の段
芝六忠義の段
四段目 杉酒屋の段
道行恋苧環
鱶七上使の段
姫戻りの段
金殿の段
【配役表】
全国的ホテル難の折り、初日からしか都合がつかず、欲張ってびっちり3日間観劇するという荒技にでてしまいました。顔には死相、腰は90度になりながら。
前回の通し上演の時の日誌 を見てみましれば、しょーーーもな!ってこと書いてましたけど、そうだそうだ、と色々と思い出しましたね。
前回いらした重鎮方はほぼ舞台から退かれ、6年の歳月を思ってしみじみと寂しさが。
そんな中簑助さんの雛鳥は6年経っても変わらずキラキラとしたなにかがあたりにこぼれているような可憐さで、見る者をうっとりとさせるのだから嬉しい限りです。
【初段】
なんといっても小松原の最後に
「数多のさむらい走りつき!」
でじゃーーんと登場するひとりのさむらいに笑いましたね。ああも堂々と「あまた感」がないのはむしろいいと思います。
そして蝦夷子館の段。
ここは後ろの席のお客さんが
「ほら朝忙しくてあれだったら、ここらは飛ばして太宰館からでもいいから、とにかく山の段は必見よ!」
言うてましたけど。
いやいやいや、ここ飛ばすと話わからんのでは!?と思います。
初段・二段目で大事な事全部言うてますよー
蝦夷子と入鹿親子の大望と、登場人物の血縁関係など、初めて観る方はできればここ抑えた方が…
「言うても殺す、言わいでも殺す、」って蝦夷子の非道っぷりとか、そんな父親を
「器小せえから芥の如く見捨てたったわ」言う更なる非道な息子入鹿のロングヘアーとか。
せっかく出てきてもすぐ死んじゃう清五郎さんとか。
とにかく、見た方がいいかと…
とくらちゃんも言ってました。
そういえば一輔さんも今回采女だけですからね。もったいないなーと思いますけどしかたないのか。
【二段目】
なんでか猿沢池の段がひとつだけ昼の部に挟まります。山の段を昼に持ってくるための策なんでしょうけど、かといって山の段の前に猿沢池やっとかないと意味不明になるし、山の段と金殿を二部で一気にやったら劇場で気を失う者続出するんじゃないかと思うし。
猿沢池でのこと、夜の部まで忘れないでー!
猿沢池から求馬がひと芝居打って天皇一行を匿うのが、夜の部・掛乞の段からの芝六一家が暮らす侘住居です。
芝六一家は誰も悪くないのに政争に巻き込まれて息子を失うはめになるんですが、これ、ほんと誰が悪いって求馬だと思うの!
「一体お前がこんな内で太平楽を仰るからぢや」って芝六にも文句言われてますけども。
その時の清十郎求馬が頭をポリポリと掻くところが、ちょっと情けなくていいですよね。
清十郎さんの求馬は、前回和生さんの時に感じた「ちょっといい男だからって心がない野心家め!」みたいな憎たらしさがあんまり感じられませんでした。
求馬を憎たらしいとかお前のせいで芝六が!とか言うのはたぶん間違ってます。
間違ってますけど!
憎たらしいもんは仕方ない。お許されよ。
玉翔さんの三作、健気でした。
床も、掛乞の始さん・龍爾さん、万歳の睦さん・清馗さん、共によかったですね~
ここでも「前回は相子さんと清丈'さんが掛乞だったよね…」と思い出して、またしみじみ。
ばばあ、いちいちじみじみし過ぎ。
【三段目】
太宰館は靖さん・錦糸さん。
靖さんの奮闘ぶりには胸をうたれました。
大笑いも3日間、毎回拍手が来てましたよ~
最後まで緩まず、注進~りんりんりんと乗馬のところまでの苦しいところもみごと語り切っていて、立派でした。たいしたもんだ。
その注進役が紋吉さんで意外な人来たなと驚いたね。でもかっこよかったです。
問題の入鹿の乗馬ですけども、初日はちょっとアレでしたが、二日目はビシっと決まってました。
でも3日目は ビ くらい。
そんなとこいちいちチェックすんなよというところですねすみません。
さあ、妹山背山の段です。
太宰館でのいきさつを胸に舞台は吉野川のほとり。「早かっし 定高殿!」です。気に入ってます、早かっし。
わたくし、求馬並みにくるくるよく回る頭で上手、下手、真ん中、と3パターンの席で聞いて参りましたのよおほほほほほ~
しかし、配役出たときはびっくりしましたよね。え??組み合わせ間違ってね?と思いましたもん。
千歳大判事、文字久久我之助、呂勢定高、咲甫雛鳥。
しかも藤蔵さんが背山というのも意外でした。
清介さんはピンクの肩衣がよくお似合い。
正直、やはり若いんですよね皆さん。当たり前ですけど。
だけどこの配役しか他に思いつかないし、きっと今のベストの布陣なんですしょうね。
舞台の上は、簑助雛鳥、和生定高、玉男大判事、勘十郎久我之助。こちらはもう間違いなし。
山の段の和生さん定高が思ったより柔らかく娘かわいの定高でしたね。呂勢さんの語りによってそう感じたのかな。
簑助雛鳥は何も言うことはありません。ただただ見惚れるだけです。ひとつひとつの仕草からほんとうにキラキラとしたなにかがこぼれるんですけどなんですかあれ、もしや妖精さんですか?
大判事も手に入ったもので頑ななまでの一徹武士ぶりでしたし、久我之助はキリッとした若武士だし、例のごとく自害してからえらい長いこと息があるんだけど誠に自然なのが不思議としか。
舞台中央の吉野川を挟んで描かれる「男」と「女」の対比が見事ですよね。
最初にこの演出を考えた人は天才だと思う。
色恋よりひたすら忠義を重んずる「男」と、好きな男に添うて尽くすことこそ喜びである「女」。
この時代ではそうした価値観こそを善しとしていたのでしょう、それを妹山背山で二分して対比する構図。
だから久我之助は権力に抗いつつ建前を守り通して死んでいく清らかさ頑なさが大事で、少しでも色気があったらそれはNO!なのだそうで。
そしてその価値観をもってすれば、わたし達からしたら一見鈍い頑固親爺に思える大判事などは立派な武士の手本であり、親であり、男。
そんな今どきちょっとイラっとするような価値観を、なんかわからんけど納得したような気にさせ、泣かせてくれるのだから、太夫の力というのがいかに大きいかということですよね。
妹山側、背山側と声柄がまさに女と男という組み合わせになっていました。
定高の最初の「でかしゃった」。ここは心底には別の思いのある部分。
ワシのようなすれっからしの観客はそれをわかった上で見てるので、
「ううっ・・・(涙)」
なんですけど。
それ以前に、川を挟んで雛鳥とやり取りする久我之助の
「命だにあるならば また逢うこともあるべきぞ」
で涙目なるおれがいて、年寄り涙もろすぎ。
そんなすれっからし部分を抜きにしてもこの「でかしゃった」は想いのこもったでかしゃっただと思いました。
「けがらはしい玉の輿、何の母も嬉しかろ」
の本心吐露からはもう一気に母娘の情愛のかたまり。
定高が雛鳥の首に紅をさすところでは、文雀師匠のことを思い出して違う意味で涙がほろり。
できればもう一度文雀さんで拝見したかった。
対する背山でも
「子の可愛うない者が凡、生有者に有ふか。
余り健気な子に恥て、親が介錯してくれる」
から初めて「私」「父」になって息子への情愛を吐き出すわけです。
そっからはもう武家の建前も義理も一旦置いて、ひとりの父親の部分全開になるわけですから、
ここで泣かずいつ泣く!
なとこですよ。
ま、すれた客代表の私は今回号泣するほどには至りませんでしたけども。
それでも、見終わった後にはぐったりするくらい舞台に入り込んでいた2時間。
これから千秋楽に向けてますます完成度が高まっていくことと思われます。楽しみですね。
あ、そうだ。川ですけどね。
あれはどんどんどんという太鼓の音がなってる時は流すという決まりとかじゃないんですかね?
なんか今回ぐるぐる流れてる場面が少なかったように思うんだけど気のせいでしょうか。
【四段目】
杉酒屋から金殿まではここんとこ何度も観ておなじみのとこですので、まあね改めて言うこともあまりないんですが。勘十郎お三輪はなんていうか別次元、人のようですね。
袖も袂も喰ひ裂き、で、ほんとに切れ端口にくわえてる体でした。
このままいくとお三輪ちゃん、今に血が流れ出すようになるんじゃないか…
若手会でもまた四段目やるそうで、いったいどなたがお三輪ちゃんを、鱶七を?
今回のを見てしまった客の眼は肥えてますからねー たいへんだ。
あ、道行!
今回は「里の童」の3人が登場するんですよね。
和馬・玉路・勘介という師匠の芸を足遣いで担うホープ達ですね。
めっちゃかわいいから!孫という名の宝物~みたいだよ。
若かりし頃の和生さん、勘十郎さんが遣っている写真がどこかに載ってましたね。
この3人もいずれ師匠方のような未来のスターになっていくかもしれません。
し、ならないかもしれません。それは神のみぞ知る。
それから、道行を華麗に軽やかにこれぞ道行!たらしめたのは寛治師匠の三味線でした。
なんですかね、ほんと。あの音色。
簑助師匠しかり、みなさん妖精さんの域に入っておられるんでしょうか。
古の空気を今のわたしたちに伝えてくれるまさに宝です。
そんな宝の至芸と若手の奮闘ぶりと、一日中見ても飽きることのない筋の見事さ、均整の取れた美しさ。
よく聞いてると掛詞とかエロトーク満載で面白いし、ぜひ多くの人に見てほしい舞台であります。