何にかというと、「ひらかな盛衰記」の逆櫓、私は、権四郎とおよし一家の哀れさ、不憫さがいかに表現されているかを一所懸命見ていました。
しかし、
「いや、ここは権四郎達の哀れさが主眼ではなく、実は、義理の息子を失ったことの哀しさと忠義の板挟みになって苦悩する樋口、が一番の見るべきところ」
なんだと聞きました。
なるほどねー、と思いながらも、お筆同様に樋口も血はつながっていないとはいえ自分の息子を若君と取り違えられて殺されたにしては、
「御身代りに立ったるは二心なき某が忠臣の存念」
とか言っちゃって、自分の(義理の)息子の命を持って主君に忠義を立てられたことを、ただ喜んでる風にしか取れないけど?
板挟みの苦悩、って、どの辺にそんなセリフが・・・??
と、何回見てもわかりませんでした。
うち、2回目はただでさえ腹弱活動が活発で、ココロここにあらず腹にあり、といううつろな時間が多かった、という私的事情もあるにはあったけれども、だ。
しかし。
浄瑠璃にとても詳しい某えるさんが教えてくれました。
権四郎に向かって、忠義と板挟みで苦しむ心情を打ち明ける樋口の長セリフがカットされている、ということを。
ははーーー。なるほど!
なーんだ。
ただでさえ読解力も聞き取り能力もないワタクシですが、そんな大事なところカットされちゃあ、余計にわかんないのも致しかたあるまい。
調べてみたら、松右衛門内で
「その夜一所に泊り合はせ、取換へられて助かり給ふ若君は御運強く、
殺されし槌松は樋口が仮の子と呼ばれ、御身代りに立ったるは二心なき某が忠臣の存念。
ハヽヽア天の冥慮に相叶ひ、血を分けぬ子が子となって、
忠義を立てしその嬉しさ、なにに類のあるべきぞ、」
の後にすぐ、
「御立腹の数々御嘆きの段々、申し上げやうはなけれども、親となり子となり夫婦となるその縁に、・・・」
と続いてるんだけど、そこの間に本来ある樋口の苦悩を表す台詞がカットされていました。
まあ、だからと言って私は今回の舞台が、そこがないばっかりに台無しだった、とも思ってないし、十分楽しませてもらいましたから、特に文句もありませんけど。
でも、知ったことでスッキリ。 教えてくれてありがとう。
そして、樋口。
貴様のことを
「ひとのあたまの皿を踏み砕くとか、どんだけ強いかは充分わかったけれどもさ。
忠義優先で権四郎やおよしに対してあんまりにも心配りなさ過ぎなんじゃないの?」
などと思ったりして、まっことすまぬ。
不勉強なわしが悪かった。許してたべ。