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月の岩戸

世界はキラキラおもちゃ箱・別館
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ソル・20

2015-10-13 04:20:25 | 詩集・瑠璃の籠

ふと気がつくと
わたしは床の中に横になって
岩戸の小部屋の天井を見ていた
まだぼんやりとしたまま
半身を起こすと
プロキオンが ちり と
やさしげに鳴く

わたしはずいぶんと長く眠っていたのだろう
身を起こすと背中や首のあちこちが痛かった
それでわたしは少し体を動かそうと
床を出て文机に向かおうとした
と 何か不思議な匂いがするのに気がついた
まるで明るい日向の草原を吹きぬける風のような
さわやかな匂いだ

だれかを思い出すような気がする
どこからこの匂いはくるのだろう
わたしは小窓の方を見た
だが小窓は
隙間風の一筋も入っては来れないように
しっかりと閉まっていた

ああ わかった
わたしはプロキオンの方を見ながら言った
さっきまで ここに誰かいたのですね
誰なのでしょう
ああ 起こしてくださればよかったのに
するとプロキオンは
とても優しい声で言ったのだ

机の上を よく見てごらんなさい

そう言われて わたしは床からはいだし
文机の上を見た
するとそこにずいぶんと奇麗なとんぼがいた
まあ何でこんなところにとんぼがと
よく見てみたら
それはとんぼの形をした美しいエマイユだった
なんてきれいな細工物だろう
まるで生きているとんぼにそっくりだ

それはある方からあなたへの贈り物です
美しいでしょう
机の上にそのままおいて
見つめているだけで
あなたの病気がよくなっていきます

プロキオンの言う通り
わたしがほれぼれととんぼを見ているうちに
心臓の棘がまた緩やかに溶けて
なくなっていくような気がした
わたしはとんぼをそっと手にとり
小部屋の灯りにすかしてみた
ああ なんてきれいなとんぼだろう
透き通った翅から細長い胴の先まで
本物そっくりに作ってある
複眼の目ときたら虹色をひめた深い孔雀色の玉のようだ
こんなに美しくて
すばらしいものを作れる人はだれだろう

するとわたしの脳裏に
誰かの面影がよぎった
ああ そうだ
あの人はこんな美しい細工物を作るのが好きだ
指先を細やかに動かして
何ともいえぬ美しいものを作るのが好きだ

来てくださっていたのですか
あの人が
わたしがプロキオンに言うと
プロキオンはちるちると
美しく鳴くばかりで
答えてはくれない
だがきっと
わたしの推測は外れていない
このとんぼを作って下さったのは
あの人に違いない

美しいものを見るということは
とても快いでしょう
と プロキオンが言った
わたしはうれしくて
まったくそのとおりですと答えた
こんなに美しいものを作れる人は
きっとあの人でしょうね

わたしが言うと
プロキオンはまた少し横を向いて
ちる と一声鳴いた

ああ わたしは知っています
あの人は美しいものを作るのがとても好きだ
わたしも好きだけれど
あの人のようにすばらしい細工物は
なかなか作れない
ああ なんとやさしいのでしょう
この人は愛している
とんぼを愛している

ああ 起こしてくださればよかったのに
少しでもお話ができたら
うれしかったのに
わたしがとんぼを見ながら残念そうに言うと
あのお方もお忙しいのですよ
と プロキオンが言う

お忙しい?
何かの活動をなさっているのですか?

さあ
わたしには何も言えません
ただ
愛する者のためにできることをするのは
わたしたちの血に溶けた塩のようなもの
あの方も
黙っていてくれと言われて
おとなしく黙っているお方ではないということです

わたしはとんぼを見ながら
深くうなずいている自分に気づいた
ほんとうに あの人は
そう言う人です
涙が目にふくらんで 
静かにほおを流れて落ちた

さあ そのとんぼの美しさを
心に刻みつけて
今はお眠りなさい
それがあなたの仕事です
プロキオンが言った
わたしは もうわかっていたので
はいと小さく返事をすると
とんぼを机の上にそっと置いて
床の方に向かった

目を閉じると
美しいエマイユのとんぼが
わたしの心の中を飛んでいた
それだけでわたしの心の中の
寒かった場所が生き返るように
暖まってくるような気がした

あの方は今
何をなさっているのだろう
きっと素晴らしいことに違いない




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