こんにちは。てんこです。まぎれもなく、私です。ここでは、彼もおとなしくしてくれるようです。だから、わたしも自分の考えていることが書ける。
全く、本館でとんでもないことをしてくれるものですから、私も、困っています。なので少し、みなさんのお気持ちを考えて、書きたいと思う。
さて、確かに彼の言うとおり、この世には、にせものの美人と本物の美人がいます。本館ブログで今日紹介した絵の美女は、すべて本物の美女です。見ていると、個性的な美というのが、表に立っているのがわかるでしょう。美人というより、ああ、その人だ、という感じがするでしょう。ついでに言いますが、本館の今日の記事の中で、一番人間としてのレベルの高い美女は、誰だと思いますか? わかる人はわかる。もちろん、冒頭にあげた、マルゲリータ・ルーティです。
「ラ・ヴェラータ」…ヴェールの女という絵は、完璧に、画家よりもモデルによって成功した絵です。マルゲリータはすばらしい女性、たぶん、ラファエロの工房は彼女によって成功していたのだと思います。
で、冒頭に掲げた絵ですが、知らない人はいませんね。モナリザ、ラ・ジョコンダ、永遠の美女と言っても過言ではない女性。ですが、残念ながら、この絵のモデルになった女性は、にせものの美女です。それも、あまり魅力的な美女ではなかった。
それなのに、出来上がった絵は、美しいというレベルではない絵になった。なぜでしょう。それは、レオナルド・ダ・ヴィンチが、この魅力的ではない女性を、美しく描くために、偽物の仮面の下の、もっと奥の、人間の神性まで深く入っていって描いたからです。
つまりは、人間というもの、存在というもの、その奥の奥には、誰もが持つ、本当の愛の美が燃えているのです。レオナルドは、それが描ける画家だったのです。ゆえにモナリザは、モデルではなく、画家によって成功した絵です。
みなさん、美人と言われる人も、不美人と言われる人も、みな、本当の自分自身の奥には、永遠に燃え続ける明星のような美しい愛の火があるのです。美は、存在なるもの、すべての属性です。美しくないものは、この世界に存在しません。
みなさんに、お尋ねします。誰もが知っている、ある女性、それは、テレサという名の女性でした。彼女は、貧しい人々が住む町に住み、貧しい人々を助けるために、生涯を捧げました。その顔を思い出してください。彼女を、不美人だと言える人は、いますか? 醜いと言える人は、いますか? いたら、みなさん、その人を、あなたは人間ではないと、遠慮なく言ってください。
彼女より美しい女性を見つけることは、太平洋の中で、たった一つの青い真珠を見つけることよりも難しい。
美は、形ではありません。あなたが、何をなす人なのかということです。
わたしは人に、美女と言われますが、そういわれることが、すきではありません。なぜならば、その人は、わたしのなしていることを、決して見てはくれないからです。わたしの美は、わたしの顔ではなく、わたしの生きてなしてきたことにあります。
わたしは、美しいです。なぜならば、愛のために、正しいことをやってきたからです。
美しくなりたいのなら、美しいことをしましょう。そして自分自身の奥にある美を、見つけましょう。あなたの美はどんなものか、それは誰も知らない。でもいつか、あなた自身が見つけることでしょう。
美は、形と関係を持っていますが、それそのものではありません。美そのものは愛に含まれる甘美な幸福です。勉強をしましょう。美人と言われる人も、不美人と言われる人も、みな、その人として、美しいのです。
正しいことを学び、愛に生きましょう。
人はみな、美しいのです。あなたは甘いとまた言われるかもしれないが、これは真実です。