いもりんのヒルズ的生活+貧乏昔話

教師から起業家へ。無一文の外国人夫との超ビンボーな暮しから脱出、奮闘の末つかんだ、ちょこリッチな生活をおバカ調で公開。

せっかく白人に生まれたのに2

2010年05月19日 07時00分19秒 | 海外での体験談(米、豪、アジア各地)
ぐうたらな母親に育てられ、時には父親と暮らし、多感な少年期を過ごした甥。
私はこの母親には3回くらいしか会ったことが無い。
4回目に帰省した時には、もう別れていたからだ(1995年頃)。

二人でランチに出かけたこともあった。
私は夫と結婚したことで、「白人を誇り、他の有色人種をさげすむ人」を、微妙に感じ取れるようになっていた。が、彼女にはそれは感じなかった。

唯一言えるのは、彼女は「人のせいにする」のが得意な「言い訳」の天才だということ。
例えば全てがこんな感じ。
「私、本当は大学に行けたの。でも親が裕福でないから、弟と私とでどっちかを選ぶ時、弟に進学させたいから身を引いたの」

これに対し夫は「母が離婚した時は貧乏だったけど、奨学金で進学できた」とバッサリ。
夫は怠惰な人間が大嫌いなので(バイトと学業の両立で苦労してきた人なので)甘えを許さないのある。

さて、この母親から引き離す方法はないか?と二人で考えた。
そこに私の「甥を日本に呼ぶ計画」の勃発である。

義母が大喜びしたボストンパイ

お義母さんのダイヤ、1カラットはある!重そう。(パソコン打ちにくいので、指輪が嫌いな私)

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