goo blog サービス終了のお知らせ 

いもりんのヒルズ的生活+貧乏昔話

教師から起業家へ。無一文の外国人夫との超ビンボーな暮しから脱出、奮闘の末つかんだ、ちょこリッチな生活をおバカ調で公開。

被災地の恩師を探しにいくその1

2011年11月28日 08時05分57秒 | 東日本大震災311

年賀状を整理していて、中学時代の恩師の住所が東松島市になっていることに、飛び上がるほど驚きました。
印刷をプリンターで自動でやっていると、住所を記憶してないことが多いんですね。失態です。

まずGoogle earthでお宅を確認しました。
被災直後の地図で、屋根はあるようですが、1階は浸水した模様・・・。
ここにお住まいなのだろうか、仮設にいらっしゃるのだろうか・・・・。

次の休日、めずらしくスポーツの予定も学校行事もない空いた日。
「先生に会いたい」と、気づいた時には、既に車を出して向かっていました。
(思ったことをすぐに行動するのは、私の欠点でもあります)

夫が止める暇もなかったくらい、それは衝動的な行動でした。
(来年で結婚20年ですが、こんな活動的な私とよく生活してくれたと思う)

しかしその割には、寒くない格好(スポーツウェア)、がれきを歩ける運動靴、ボロい宮城ナンバーの大衆車を選び、被災地域に行くマナーみたいなものはバッチリで、先生からの手紙を持参(この手紙が後で役に立ちます)。

ご無事だろうか。いただいた恩を返したい。うまく会えるだろうか・・・・。

松島までの道は観光客で混んでいました。ありがたいことです。

カーナビが案内したその家は、無人でした。
玄関にはべニア板が張られており、壁には青いビニールシートがかかっています。
ブロック塀が跡形もなく、電柱が折れ曲がっていました。
しかしよく見ると、庭木に手入れした跡があるし、ガラスも磨かれているような感じ・・・・。

今はお住まいではないけれど、週末にはお帰りになって、片づけている?
私はそう直感しました。

続きます。

今回訪ねた場所は、この地域です。水田が地盤沈下しており、海水魚がいます。

前に新聞記事を紹介していました↓


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ドイツ語の劇を見る*資産は... | トップ | 被災地の恩師を探しにいくその2 »
最新の画像もっと見る

東日本大震災311」カテゴリの最新記事