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孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

青島の旅 Part 1 ジャパンブランド展

2013年03月10日 13時13分13秒 | 旅行(中国)
3月7日から9日まで山東省の青島へ出かけてきた。 青島へいくのは10年ぶりくらいか・・・
9日は、青島のAEON内で3月11日まで開催の青島ジャパン・ブランド展を見学してきた。
主催: JETRO青島代表処、在青日資企業代表

昨年の反日感情悪化時に青島の日系企業は多くの被害を受けた。
その青島でジャパンブランド展がともかくも開催できたことは喜ばしいこと。
本当は、ジャッパンディの名称だったようだが、中国当局側とはいろいろまだまだあって、最終的に名称は青島ジャパン・ブランド展として粛々と行われていた。
進出している日系企業の日々の苦労、そして日系製品を試食したり購入する中国の人たち。
幾つかの食品を試食したけど、青島の日系食品は美味しかった!!

会場のAEON 青島東部店 (開店と同時に多くのお客さんが買い物に来ていました)



青島ジャパン・ブランド展(青島日本品牌展)のパンフレット


青島ジャパン・ブランド展



開店すぐだったので、まだ準備中です。
福島県


群馬県


日系企業の園芸


TOMYとキヤノン


パイロット



そして、青島はなんと言っても日系企業にとっては食品産業の街

冷凍食品メーカー




ソースメーカーはお好み焼きを
(この試食は食べそこねた、残念)


あんこがとても美味しかったです。 


かんぴょうは中国人は食べなれない食材の一つ
これも美味しかったです



青島のみなさん、頑張ってください。
AEON内で販売していたパンも美味しかったです。

このサンドイッチは、なんと8元。 肉もしっかりしていたし、玉子も美味しかった。

延慶峡第27回泳灯芸術節

2013年02月24日 22時33分44秒 | 旅行(中国)
北京市内から北に向かって約85kmの距離にある延慶県の延慶峡第27回泳灯芸術節へ出かけてきた。
徳勝門から919号のバスで約1時間半。八達嶺の長城を越えた頃からバスの車内は少し寒くなってきた。
会場の場所は良く知らないので、途中の延慶南菜園で何名かの乗客が下車したし、街中なので何とかなるだろうということで、ここで下車しタクシーに乗る。
タクシーは北京市内では見かけない車が走っている。 これって電気自動車??

延慶県のタクシーの運転手に氷祭り会場までいくらと聞くと40元と答えるので、OKと回答乗車した。
運転手、タクシーのメーター倒さなかったなぁ。 ま、領収書が必要な旅ではないので、アッシには関わりが無いことで。途中、タクシーの運転手と、最近、空気悪いね~などと会話しながらすいている道を会場に向かう。
帰りを待とうかというので、バスあるでしょと聞くと、有るというので、バスで帰るので不要。
タクシーの運転手さんからは、夜はバス無いからね!!とアドバイス。


会場到着。 タクシーを下車し広大な駐車場があり、そこを抜けると、こんなものが


そして、ここから徒歩1kmの表示が・・・
途中、こんなオブジェも・・・


入場料は100元でした。 ここは夜か一泊すると夜景が綺麗で楽しいと思えた。


いよいよ氷祭りです。 園内には氷の彫刻があるのですが、もう最終日に近く、氷の彫刻が何の彫刻だか分からなくなってきている。

“福”という字が読めますが・・・


動物? 人間の顔?? のっべらぼうでワカラナイ







この先が氷祭りの一番の見所の場所です。室内会場での展示です。


ハルビンほどではないが、氷の彫刻や氷を使った建物などには圧倒。




















会場を出ると、そこはダム直下で、約70mのダム。
ドラゴンの中を登って行けそうなので挑戦することにする。 階段で疲れるなぁと思ったらエスカレーターでした。


ダムサイトから見た、氷祭り会場。 ドラゴンの口のあたりです。


ダムサイトには満々と水があり、氷祭り会場は、この直下で開催していることになる。
コワッ!! 宮が瀬ダム直下の半原の住民より怖いなぁ・・・
もし、ダムサイトに亀裂が入り、ダム崩壊したら・・・
氷の様子から春が近いことが感じられる


途中、この滑り台で降りられるので、スイスイ降りてきました。 20元でした。 高ッ!!
追突した時は自己責任で!!


暖かくなったらまた来よう・・・
(この写真はキヤノンのG12で撮影しました)

航空母艦(重航空巡洋艦) キエフ

2012年11月19日 01時01分01秒 | 旅行(中国)
10月に横須賀で護衛艦のいせに乗ったので、久しぶりに天津のキエフを見たくなり、11月18日(日)天津へ出かけてきた。

天津南駅から新幹線で天津駅へ、そして地下鉄9号線に乗り換えて終点まで行く。
地下鉄は約1時間で運賃は9元でした。

新幹線の窓に装備されている非常脱出用のトンカチ


地下鉄9号線


こんなコインのようなものが乗車券。電子チップが入っている。


タクシーに乗り換え、空母のある天津滨海新区航母旅游区に到着
入場料は160元。 高ッ!! ま、しょうがないか・・・


空母の全景は大きすぎて写せませんでした。
キエフの性能は、
基準排水量 36000トン 満載排水量 43500トン
全長 273m 全幅 32.7m 喫水 9.5m
フライトデッキ 全長180m×幅20m


レーダー(左側のレーダーが動いていました)
それらしく見せるために動かしていただけですが・・・


キエフのオペレーションルーム
なんせ1980年代の艦ですから、電子機器の感じは古いです。 しかもソビエトの船です・・・


以前来た時は(数年前)マネキンは無かった気がします。


未改修の部分はこんな感じでボロボロです。


「中国ではお約束!!」の抗日教育 日本軍のヘルメットや手りゅう弾




甲板に上がってみました。 夕方だったのでノスタルジックな雰囲気


76mm連装砲


艦首から艦橋をながめる




対空ミサイル


対艦ミサイルが顔を出していました
SS-N-12サンドボックス連装発射筒


65口径30mm6連装CIWS
1分間に6000発を打つことが出来ます。


甲板
搭載機は
Yak-38 (短距離垂直戦闘機)
Ka-27、Ka-25 (ヘリコプター)


離着陸の指示ブースかな?


こんなお土産売ってました
パッケージを良く見ると、艦橋の位置が、一番上と2番目のパッケージでは逆。
艦橋が逆と言うことは、航空甲板の位置も逆。
おもちゃと言えども、安易でいい加減な中国らしい・・


こんなお土産も売っていました


逆ルートで天津駅まで戻りました。 新幹線のチケットは満席で2時間先のチケットしか買えませんでした。 しょうがないから、天津駅前の夜景を散策。




天津駅構内の吉野家で牛丼(じゃない、なに丼??)を食べ、時間をつぶす。
食べていると服務員が掃除をはじめ、椅子を片付けだしました。
そんなことでクジケル私じゃないので、ずーずーしく席に座っていました。



2時間前待って北京行きの新幹線で帰ることが出来ました。


キエフは第2次世界大戦時代の航空戦艦のような思想が残ったかなり古い艦。
空母に強力な対艦ミサイルを搭載したり、何でもありの艦。
航空機もカタパルトが無いため、装備が貧弱な垂直離着陸機しか搭載できなかった。
よってヘリコプター空母をチョッとだけ進化させた船と言ったところか・・・

ま、それなりに見るところはあるので、2度目の見学であるが面白かった。

北京市観光のたび Part2

2012年08月07日 01時28分08秒 | 旅行(中国)
8月5日の北京市観光の写真です。

8月5日 盧溝橋(マルコポーロ橋)、抗日博物館、前門、天安門広場、故宮、中山公園、天壇公園、紅橋市場を見学。 夜は居酒屋で夕食後、北京最後の夜を2次会で楽しむ。


盧溝橋(マルコポーロ橋)を歩く人たち


最近の雨が多いせいでしょうか、川には水がありました。
(以前の記憶では、川の水量はそれほど多くなかったはずなのだが・・・)


中国人民抗日戦争博物館


正門の前で合唱していました


前門 数日後に、この場所で式典があるようで、そのために工事中。
電車も運行停止していました。


鉄道博物館を横目に天安門に北上


天安門広場も人が多かったです


天安門広場の警備の人たちの制服が干していました。 


故宮も人手が多く、中への入場は時間がないのでパス


中山公園の中山堂


中山堂の中が見学可能でした(有料なのでパスしましたが、中は写真のように孫文の像がおいてあります)


天壇公園 (祈年殿)


天壇公園 (皇穹宇)


ヒトヒトヒトで北京ではパンダを見るほうが楽です


天壇公園 (圜丘壇)


紅橋市場






天壇公園の圜丘壇から見たCRSAの建物

北京市観光のたび Part1

2012年08月06日 23時57分06秒 | 旅行(中国)
老朋友が中国に始めて遊びに来たので、8月2日から6日の早朝便で日本帰国まで即席の北京市観光ガイドを引き受けた。
普段、歩く機会が少ないので、結構な運動になったなぁ。
北京観光の行き先は、下記です。
結構ハードな日程です。

8月2日 夜便で北京首都空港到着出迎え。
その足で、歓迎会をすることになり光華路のスナックに直行。

8月3日 7時に出発し、八達嶺、明の十三稜、大湯山の航空博物館、頤和園、中関村の無線機外散策と買い物、北京動物園見学。
夜はバーベキューパーティの後、麦子店の足裏マッサージで2時間。

8月4日 終日、通州区で業余無線活動。夜は羊肉のバーベキュー。 
中国人と強い酒の乾杯で、帰宅したらバタンキュー。

8月5日 盧溝橋(マルコポーロ橋)、抗日博物館、前門、天安門広場、故宮(午門まで)、中山公園、天壇公園、紅橋市場を見学。 夜は居酒屋で夕食後、北京最後の夜を2次会で楽しむ。

8月6日 6時、出発し、空港まで送迎
の旅立った。

さて、各工程での写真ですが、まずは8月3日の各場所のトピック写真です。
中国も学校が夏休みなど旅行の季節ですので、どこも人手が多かったです。


万里の長城(八達嶺の休憩所 人の山)


八達嶺


明の十三稜 (定稜) 地下宮殿の中


地下宮殿を出てきた人たち



航空博物館
サメ顔が似合うP40が迎えてくれました


VHFのレーダーアンテナ


頤和園も観光客が多く、昆明胡には多くのボートが


蘇州街


北京動物園 (パンダ館)


大熊猫のそばに猫が・・・


パンダも迎えてくれました。

寧波で見たもの・・・

2012年07月08日 13時24分29秒 | 旅行(中国)
6月29日~7月1日まで浙江省寧波市を旅行してきた。
寧波の着陸する30分くらい前、下を見ると空港が有り、飛行機が離陸したところだ。
中国は空港が多いなぁ。 下記の空港はどこだろう??




暑い!! 気温は37度との事。
暑いので交差点で赤信号待ちのバイクや自転車には日よけがある。


街中をブラブラして、小学校があった。 かなり立派な学校だった、その小学校の道路側に設置されていたのが、○○の自動販売機。 日本じゃ、教育上しないだろうなぁ・・・


そしてホテルにあったのが、馬の置物で夜はスタンドとして照明していた。結構、立派なものをリアルに作っているのね。



そして、帰りの寧波空港の店で地元の土産を売っていたが、中国製なのに日本語で書かれていた。 これは日本語が有ると信頼性が高いという意識をうまく使ったもの。
うーん!!

天津 楊柳青

2012年05月22日 20時31分09秒 | 旅行(中国)
楊柳青は天津市の中心部から16kmの距離にあり、北京から天津までは約130km。
隣の市までちょいとバス旅行を行った。
北京市内は曇っていた(PM2.5の影響??)が、天津に近づくにつれ天気は快晴になってきた。

石家大院は楊柳青博物館となっているのだが、清朝末期(1875年創建)の建築物。邸宅跡で、邸宅と言っても、その広さは、敷地7200平方メートル、建築郡が占める面積は2000平方メートルの広さ。国民党時代には軍の駐留、文化大革命での荒廃が続き、1987年から6年の歳月と560万元の費用を投入し修復し現在は博物館となっている。

楊柳青






石家大院の中では、あちこちに白菜の置物がありました。 結構大きく立派なものでした。
中国人は白菜好きですからねーー 何故好きかって?
その理由は、白菜の中国語の発音が、「発財」や「百財」など多くの財を生むという意味合いの単語と似ているからです。




当時使用のものが展示されていました


中華人民共和国初期時代、この扇風機や電話機(机に2台ある)のが贅沢として、この主、粛清されたとのこと。 当時の人が今の中国の贅沢ぶりを見たら、何と思うだろうか??


青年画などみやげ物やが並んでいました。


関帝廟がありました


関帝廟で獅子の化粧直し中??

天津 楊柳青 番外編

2012年05月21日 01時50分41秒 | 旅行(中国)
5月19日、天津の郊外にある楊柳青へ行ってきた。
ここは絵画や楊柳青博物館(石家大院)で有名な場所です。 まず、番外編から・・・

天津まではバスで移動。 約2時間のたび。 高速はすいていたので、車窓を楽しむことが出来た。 天津までの車窓風景から・・・

太公望が川で釣りを楽しんでいました


羊だと思うけど、やせている。 毛を刈られているのだろう


生殖健康服務中心
人工授精のセンター??


ロバも化粧していました


アンテナが屋根の上にありました。 これ430MHzかなぁ? それとも業務用??



お昼は豪華で美味しかったです。食べきれないので、打包して夕食にしました。




ビールは、北京では見かけない雪花でした


昼食を食べた店の招き猫


お土産にサイコロを買いました。 1個5元だというので、3個買うから10元にしてとまけさせました。

清明節 大同の旅 Part5

2012年04月12日 01時01分58秒 | 旅行(中国)
大同の郊外にある雲岡石窟と懸空寺の見学を終え、タクシーは市内に戻ってきた。
市内中心部にある華厳寺で車を降りて、一日のタクシー代を払う。
320元で交渉したけど、結局350元を渡した。
華厳寺はかなり大きなお寺だが、残念ながらもう夕方で、寺は閉まっていて拝観は出来なかったが、付近は人通りが多くて賑やか。
この寺の菩薩像は東洋のビーナスとよばれていると観光案内本には記載されていた。見てみたかったなぁ・・・

大同の城壁 (旧市街に入るところ)


華厳寺付近で


街をぶらつくとすっかり夜。 お茶屋さん


名古屋のたこ焼き屋?? いえ、名の屋です。


市内にこんな像がありました


胸のあたり、ずいぶん、触られて剥げていますね


北京に戻るのは深夜便(23:30)だったので、ケンターッキーとかネットカフェで時間を過ごしました。


大同の空港チェックインカウンター (地方空港なので小さな空港です)


搭乗した聨合航空のB737-800


飛行機は定刻より早く出発し(搭乗客が乗ったら別に定刻まで待つ必要はないし、最終便だし)約45分のフライトで北京南苑空港に着陸。 空港からはタクシーで帰路に着いた。

清明節 大同の旅 Part 4

2012年04月09日 00時00分33秒 | 旅行(中国)
懸空寺に到着。 駐車場はあふれるほどの車だ。 マイカーを持つ人が増えた事で3連休に観光地はどこも混雑。 懸空寺を見上げると、ありゃりゃ、人だらけ!!
入場券は130元。 ここも高ッ!!!

空中見仏って、何となく分かる気がする




人の姿、分かります??




切り立った山の中腹にへばりつくように建てられたお寺というのがよく分かります。


観光客で超満員で進むことも、戻ることも出来ない・・・ 大渋滞
外国人のグループもいました。 彼ら、英語でペラペラしゃべっていたが、周囲の中国人で英語が分かる人が、周りの中国人に、こんなことしゃべっているよと、通訳していました。
ここは中国だから、日本語(英語)でしゃべってもワカラナイなぁんて、思わないこと・・・
壁に耳有り、いや、渋滞場所に耳有りです。




懸空寺そばのダムサイト


付近の水はまだ凍結していました

清明節 大同の旅 Part3

2012年04月06日 02時53分06秒 | 旅行(中国)
雲岡石窟の見学を終え、懸空寺に向かう。
おそらく距離は100km位はあるだろう。 タクシーの運転手は渋滞になると別の道を進む。
細いガタガタ道に揺られたり楽しかった??

少し大きな町に来たので、腹が減ったからタクシーの運転手に、おごるから何か食べようと告げる。
写真(右側)の店に入る。 注文をタクシーの運転手にまかせると地元の麺だといって不思議な料理がでてきた。 普通の麺とは食感が違う。 すこしゴムをかむような感じだった・・・
しかし、すきっ腹だったので美味しかった。 そして、この店のオバサンが親切でいろいろ名物(?)だといって店のものを薦めてくれた。

昼食を食べた店


初めて食べた麺の味だった


さて、この地帯は、浸食が激しい。
この山のふもとに溝があるが、おそらく水の浸食でできた谷。こんな地形がしばらく続く。
一万年位すると、侵食が進んで谷がどんどん深くなり、この平野部はグランドキャニオンのようになるのかなぁ??


また、草原で羊の群れを見ることもあった。 タクシー走行中の中から撮影


山は写真のように地形が丸出しで、木々の緑がない


幾つかの山肌には洞窟があった。 ヤオトンの跡なのだろうか?



清明節 大同の旅 Part2

2012年04月05日 00時38分36秒 | 旅行(中国)
さてさて、雲岡石窟の石仏地帯に入りました。
ここは、西暦460年ごろから作られた岩山をくり抜いて作った石仏。 こんな昔に、こんな大きな石仏を作る技術と財力に感心しながら見学。昔の石仏は風化しているものもあるし、今でも色が鮮やかなものもある。当時はきらびやかだったんだろうなぁ・・・

代表的な20窟の石仏のアップです。


20窟の石仏全景です。







石仏の写真を撮ってる人たちがいました。 なんでもこの耳を触るような位置で写真をとると幸福になるかとか・・・


初期の石仏は、このような洞窟をくり抜き中に石仏が彫られています。







17窟の弥勒仏


完成当時は鮮やかな色だったんでしょうね。


こんな洞窟が延々1㎞も続きます。


修理中で中を見学できない石仏もありました


石仏の全景は遠くから見れます。

清明節 大同の旅 Part1

2012年04月04日 11時30分35秒 | 旅行(中国)
2012年4月2日から4日まで、中国は清明節で3連休。
北京で部屋にブラブラしていてもつまらないので、4月1日の仕事が終わってからどこかに行こうと北京西駅で目ぼしい観光地への夜行列車のチケットを購入しようとしたらどこも満席。
北京西駅はすごい混雑。 しょうがないので、行き先を大同に絞り、4月2日の夜便を手配。
4月2日22:00、北京南苑空港から大同に向かう便を手配した。
大同は2回目の旅、どんな旅になるんでしょう・・・

南苑空港は中国の公式な地図には記載されていない。 タクシーへ南苑空港を告げたとき、行き先大丈夫かなぁと思ったけど、無事に到着。 こじんまりした空港です。
北京首都空港と違い、離陸したら北京の市内の夜景が見えて少し感激!!
北京から40分で大同に着きます。 機内ではピーナッツと水の配布だけ。

南苑空港のチェックインカウンター


機内では、日本の映画を上映
ステテコをはいた人が映画に出ていました。 題名は不明。
まさか、中国聯合航空の飛行機で日本の映画が観れるとは思わなかった。 だって、この会社の最初の経営母体は中国人民解放軍空軍なのです。つまり、軍が経営していた航空会社だったのです。儲かると思えば、何でもやる中国って、“超資本主義”の国なのです。


さてさて、大同に到着。 一泊200元程度の宿に泊まる。(だって、寝るだけ)
ホテルのシャワーは写真のように、シャワーとトイレがくっついているスタイル。
予想はしていたので、風呂は北京出発前に済ませてきました。シャワーすると、トイレが濡れるので、中国のこのスタイルは好きになれません・・・


朝、タクシーをチャーター。 幾らと聞くと350元。 高い!!と320元にまけさせ交渉成立。 最初の雲岡石窟に向かう。
(以前、大同に来た時、空港でタクシーをチャーターしたが700元とられた。 観光客用でボッタ繰られたのか・・・)

雲岡石窟は世界遺産に登録されている場所であり、入場料は150元。 高ッ!!
ま、それだけの価値はありますが、中国の観光地って高いなぁ!!!

何故か、耳にリボンをつけていました。


各寺院の仏像 (木造で新しいもので歴史的価値はないと思うが、みなふくよかな顔をしていたのが印象的)










姓名判断か何かでしょうか?


池はまだ凍結していた。 風が少しあり寒い。



雲岡石窟の石仏はPart 2で・・・

頤和園

2011年12月31日 23時49分52秒 | 旅行(中国)
2011年大晦日の12月31日、頤和園へ出かけてきた。
元旦に行くことが多いのだが、2012年は元旦の早朝便で上海へ行くため、大晦日の12月31日に出かけた。 ここ数日、北京の空気は悪く、視界が良くなかった。 今日も晴天ではあるが、何となくぼやけている。
今日は快晴の方だが、アメリカ大使館発表の汚染度はUnhealthyのレベルだ。
今年一年を考えながら頤和園を歩くことにする。

頤和園の傍にあるのが、中共中央党校。 車が何台か慌ただしく入っていく。
ここは、中国共産党高級幹部を育成する学校。 だから、歴代の校長は劉少奇、胡錦濤 、習近平等、中国の指導者になる者が勤めていたこともある。 頤和園も一時、中共中央党校が置かれていたらしい。 ここら辺は秘密の空港もあったり、北京の中でも軍の臭いがプンプンする場所だ。

中京中央党校の正門


ま、今日は大晦日だし、そんなとこを忘れて、入園料20元を払って園内にはいる。

いきなり目に入ったのが、イギリス・フランスの連合軍によって破壊されたという碑。


蘇州街の水は凍結していました。


蘇州街の氷上を親子が遊んでいました。 氷上で楽しそうだなぁ・・・


昆明湖の凍結。 観光船がつながれて、春を待っていました。


石舫


恋人が写した写真を見ていた・・・


昆明湖を横断することにして氷上を歩きました。
氷上は雪が溶けずに残っていて、女性が雪を舞わして遊んでいました。


昆明湖からみた石舫


昆明湖からみた仏香閣


昆明湖からみた十七孔橋




昆明湖の氷上で遊ぶ親子


昆明湖から見た西堤の建物


ここで氷上から西堤に上がることにする。


けっこう歩いた・・・ 万寿山がかすんで見える。

一番南にある南如意門から出た。


歴史に、もしは無い・・・
 しかし、西太后の浪費が適度の所で止まっていたら、頤和園への投資が限られていたら・・・
 1894年、西太后の還暦を祝うために白銀540万両が使われた。
 もし、が起きていたら・・・
 その後起きた日清戦争の結果は変わっていたかもしれない。
 ということは、その後の世界が大きく違っていただろう・・・

2011年、危機管理体制が十分に理解し機能していたら・・・
 福島のあの惨劇は、もう少し変わっていたかもしれない。 
 無能な首脳者による判断ミス・判断遅れに伴う人災の部分が多かったのではないだろうか・・・

そんなことを考えながら、頤和園を歩いた・・・
そのため、いつもと違ってupした写真の色を消しました。

                  2012年こそ、良い年を!!

坂の上の雲 203高地

2011年12月18日 01時01分01秒 | 旅行(中国)
NHK 坂の上の雲で203高地の放映が終わった。 ロシア軍の銃弾にバタバタと倒れる日本兵。 明治の時代における、まさしく近代戦としての戦いが描かれている。 
2009年に大連を旅行し203高地を訪れた。 当時のことを思い出し、203高地の写真をupする。

203高地から見た旅順口。 ぼやけているが拡大すると港に停泊している船舶が分かる。


ロシア軍の150ミリキャノン砲
無邪気に中国人が写真を写していた。 戦いは日本とロシアであるが、この土地は中国のもの。
当時の大陸の状況を思うと複雑な感傷になる。


この場所から旅順口への砲撃の観測を行い、港に停泊していたロシアの軍艦を壊滅した。
後方は28センチ榴弾砲


203高地での戦いで大きな戦果を挙げた日本の28センチ榴弾砲
砲は旅順を向いていた


野木希典司令官の息子の野木保典戦死の場所。 頂上から、すぐわずかの場所です。


203高地には、野木希典司令官が作らせた10.3mの慰霊塔がある(材料は、戦闘で使用した砲弾の断片)



明治、まことに小さな国が大きな戦いを行ったものだと感じる・・・