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孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

北京 香山公園の紅葉

2011年11月12日 23時06分47秒 | 旅行(中国)
午前中のテニスを終え空を観ると眺めると快晴。 もうすぐ冬なので、紅葉のシーズンも最後。
どこに行こうかなと考え、そういえば、香山公園には一度も出かけていなかったのでカメラ片手で出かけてきた。 香山公園付近って、軍の街なんですね。
さてさて、香山公園に近くなると車で大渋滞。 公園も人が沢山。
イメージとしては、元旦の高尾山って感じか??

公園の入り口です。 入園料10元
 

大きな銀杏の気がありました。 みなさん、ここで記念写真を写していました。


山登り、なだらかな道で整備されているんだけど、日頃の運動不足で疲れた…




香山寺の樹木。 なんと壁の横から成長。


何気なくあった土管を写しました。 そういえば、1960年代の東京の下町の公園や空き地って、どこにでも土管が置かれていませんでした? 土管の山に登ったり、土管の中で遊んだり…
何となく懐かしかったです。


山から下山したら、ミッキーマウスが迎えてくれました。
いや、待てよ。 耳が下に垂れているから、これはミッキーマウスじゃなくて、中国独自のデザインって事?? ここでパクリを見るとは思ってもいなかった。
偽ミッキーさんに手を振って下山しました。


紅葉した葉っぱを使った土産が沢山ありました。


お芋を蒸かしているところ。 美味しそうでした。


市内に向かうバスを待つ乗客。 バスはラッシュ並みの大混雑…


半日じゃ、この公園廻りきれなかったです。 雪の日も良いかも…
午前中のテニスで、頑張りすぎてネットに飛び込んでしまった影響で、散策していたら足が痛くなった…

天津へ行ってきました

2011年09月26日 21時44分48秒 | 旅行(中国)
先週、仕事で天津へ出かけてきました。
天津までは100kmちょっとしか離れていない隣町です。

高速道路を走っていると新幹線が天津方向へ向かっていきました。


高速道路では、写真のように積載量満載のトラックもあり、こわーーー


金威啤酒ではビールの試飲を味わいました。 このビール、酵母が入っている状態のビールです。
市販のビールは酵母を抜いています。 普通のビールより濃い味で美味しかったです。


この金威ビールは北京で見ないなぁ??? 説明を聞くところによるとシンセンを中心に活動している企業とのことです。この金威ビール美味しいよ!!!


見学した地帯の信号です。 LED点滅の信号は珍しくないのですが、このように、赤・黄・緑の全面表示で、かつ時間によって色の長さが変わるので、後どれくらいで信号が変わるのかが判断できる信号です。


天津空港に隣接してエアバスの工場もあるので見学してきました。 この天津工場ではエアバスA320を製造しています。
写真撮影は禁止なので、この写真はパンフレットに載っている写真を写したものです。A320クラスといえども工場は広かったなぁ。

坂の上の雲 威海・煙台の旅 Part 3 (最終回)

2011年09月18日 14時22分20秒 | 旅行(中国)
さて、9月12日は中秋節での祝日。 日本はまだ残暑厳しいようようだが、中国はもう秋。
朝、朝食前に煙台の海岸を散歩した。 盛夏の頃なら、海水浴の観光客でにぎわっただろう海岸は静かだった。

煙台の砂浜が綺麗な海岸



ホテルでの朝食を終え、煙台市内の旧市街部へ向かった。
なんとなく風情を感じました。 


この道の角にあったのが、克利頓飯店。
すでに使用されておらず閉まっていましたが、ここに1912年孫文が来たと書かれていました。




煙台山景区です。 入場料は50元。 たいした建物無さそうなので、入場せずに入り口で写真を写しただけ。



近辺は歴史的な建物が多かったです。
この建物はフィンランド領事館の建物でした



そうすると、この通りに面している場所は領事館街って事なんでしょう。いまはみやげ物屋の店に変わっています。フィンランド領事館の隣りも領事館の建物でした。


近くの日本食屋さん。 当時では比較的美味しい店との事です。 北京や上海と異なり、地方で暮らす日本人にとって日本食屋の存在はありがたいことなのでしょう。


海岸に行きました。 延々と続く岸壁で沢山の人が釣りをしていました。


その傍で、ある測定をしている人が。。。。 これ、たぶん●●●です。 日本と違って測定には資格が必要で外国人が同じ事を行うと国外退去されてしまうでしょう・・・



しばらく歩いて、張裕酒文化博物館に行きました。 張裕葡萄酒は中国最大手のワインメーカー。中国で最大の 葡萄栽培面積を保有する会社で全国の4分の1を占めています。 そのワインメーカーの博物館で、ワインの歴史や試飲も可能です。 入場料50元。


博物館の地下の蔵です。


ワインの試飲がありました。 3種類のワインを試飲させてもらいました。 美味しかった!!!



その後、又しばらく歩き旧市街部をブラブラ


ここは、しばらく前までは日本人オーナーの床屋さんだったそうです。


海岸傍の店でピザとスパゲッティを食べた後、煙台空港に向かい北京へ帰りました。
気候は穏やかで生活しやすい街と感じました。 煙台も威海もハングル文字が多かったなぁ。 海の向こうは韓国。 そして、領事館の建物があったことから、山東半島の過去から歴史も感じた旅でした。


煙台は山東半島にあり渤海をはさんで大連がある遼東半島と向かい合い、東は黄海をはさんで朝鮮半島と海で繋がっている。1858年7月、清は天津条約を結び、西洋諸国に開港された。
第2次アヘン戦争の際にイギリス・フランス連合艦隊が煙台を占領した。
17カ国が煙台に領事館を設置し、1876年に芝罘条約が結ばれている。
漁港だった煙台はイギリスの条約港となり急速に都市化したが、20世紀初頭に山東半島全域でドイツ帝国の力が増すと、煙台もドイツに支配されることとなった。
また、清も北洋艦隊の拠点とし、1903年に設置された煙台海軍学校は1928年まで中国の海軍士官を育成した。
第一次世界大戦でのドイツの敗戦により、煙台はアメリカ海軍のアジア艦隊の夏の駐留港となった。日本も交易のために煙台に拠点を置いた。
日中戦争では、この地域の抗日運動の中心となった。

一方、威海も清末に李鴻章率いる北洋海軍基地となり、1890年劉公島に北洋水師学堂が設置。
日清戦争末期、丁汝昌率いる清国北洋艦隊は日本軍の攻撃を受けて壊滅した。
下関条約締結後、日本が一時保障占領した。
1898年にイギリスが清国から租借し、イギリス海軍の管轄下に置かれ、1900年には行政長官署が設置されてイギリス植民地省の管轄下に入った。
ワシントン会議でイギリスは威海衛の返還を声明していた。1927年、蒋介石によって建てられた南京国民政府が、翌年に北伐を完了させた後、1930年10月1日に返還式が行われた。
日中戦争では再び日本軍が占領している。

坂の上の雲 威海・煙台の旅 Part 2

2011年09月13日 01時27分33秒 | 旅行(中国)
9月11日 威海から煙台まで約60km。 バスは高速道路を一路、煙台に向かい海岸線沿いを走る。
煙台のホテルについて、知人と合流して夕食に向かった。

煙台のホテルに到着


ホテルの近くからはfoxconn行きのバスが頻繁に出ていました


美人すぎるシェフに料理していただきました
年を聞いたら、20歳左右(二十歳前後)と軽ぁるくかわされましたが、美人でした・・・・


フォアグラを料理しているところ
この料理、絶品でした




あわびのステーキ
このあわびは大連産かと聞いたら、地元産だそうです。


玉子蒸し(?) 茶碗蒸しではなく、椀の代わりに玉子の殻を使っていました

坂の上の雲 威海・煙台の旅 Part 1

2011年09月12日 23時43分08秒 | 旅行(中国)
9月の中秋節の連休を利用して、NHK“坂の上の雲”でも登場した、清国の定遠を見に威海へ出かけた。
参考URL:
http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/specials/meiji20/
威海の後は煙台へ向かうことにした。 さて、9月11日朝7時10分の早朝便で北京から威海へ行くはずが、フライトキャンセル。 なんと予定より4時間半遅れになってしまった。 
あーー、連休の予定が狂ってしまった!!!
などと、ぼやいてもしょうがないので、威海に着いたら定遠のある港に向かった。

神国の北洋艦隊の旗艦の定遠は日清戦争の黄海海戦(1894年(明治27年)9月17日)で日本の攻撃を受け、最終的には日本の接収を避けるため自沈し艦長の劉歩蟾は自決した。
この船は復元したレプリカ。こんなの作っちゃう中国って、すごいなぁ・・・

定遠の見学料は50元でした。




艦のレイアウトです


主砲の305mm連装砲  
ここに洗濯物が干してあり、東郷平八郎は艦の士気が高くないと感じたのでしょうか・・・
砲塔を近くで見ると威圧感あります




艦の全景です




艦首方向を見る 艦首付近にあるのは副砲
向こう側に見える島は劉公島


射砲砲です


遠方に見える島が、劉公島。かつて、北洋艦隊の基地があった島。
今は観光地で島に渡る渡船費用(島の観光も含む)は128元でした。 今回は時間が無いのパスしました。


なお同型艦の鎮遠は日本に接収され、日露戦争では日本の軍艦として戦っている。


威海ではいろいろ見たいところがあったが、夜は煙台で食事の予定があったので、バスで煙台に向かった・・・

成都 旅行 その5

2011年07月23日 07時37分02秒 | 旅行(中国)
四川地震の災害復興現場の視察で都江堰に向かった。
成都市内から高速道路で30分から1時間の距離。
本当はもう少し奥地の災害現場をそのまま保存している場所に行きたかったのだが、天候不良で高速道路が不通のため断念。
この都江堰も四川地震の際は大きな被害を受けた場所であるが、あれから3年たち、すっかり復旧していた。
東日本大震災は3年でこのように復旧できるのかなぁと脳裏をよぎった。
四川地震の復旧に際しては、中国は支援するカウンターパートナー都市を決めた。都江堰は上海市が担当した。

 
都江堰市内の住宅地


都江堰市の震災陳列館




展示されていた像 乳児を抱いた母、 発見された時、母親は死亡していた。



天満鎮という農村 (エツ、これが農村の暮らし?)


被害の様子を示した表示


地震復旧の際に、農地改革を行い、住居を集中させて農地を増やしたと説明


温家宝総理が視察時に書いた書


この筆とすずりで書いたそうです。


胡主席のスローガン


都江堰の地震復旧陳列館では、どのような人たちが現場を訪れ励ましたか、が記載されていた。
日本も東日本大震災で政府首脳、国会議員等が視察に行っているが、・・・
記憶に残り記録にも残る感謝のしかたをしている。 と、感じた。

成都 旅行 その4

2011年07月20日 02時12分09秒 | 旅行(中国)
成都での移動は車であるが、環状線の道路工事などもあり天候も悪かったせいもあるが市内は大渋滞。
なかなか目的地に進まなかった。

成都市内の道路渋滞


じゃ、2009年に成都を訪問した際はどうだったのかというと、これが2009年8月の時に写した写真。
やっぱり市内は大渋滞だった。
中国は土地も広いが、人口も多い、そして車も多い。だから集中する場所では大渋滞が発生。


そして、成都の中国人から話を聞いた中で、必ず出てくる日系企業名がイトーヨーカドー。
地元に溶け込んだ優良企業として成都市民の誇りになっていると感じた。

写真は2009年撮影のイトーヨーカドー。 この店でお土産を買いたかったのですが、今回は時間が無くて寄れませんでした。

成都 旅行 その3

2011年07月20日 01時42分40秒 | 旅行(中国)
成都には2001年に発見された紀元前の遺跡があります。
金沙遺跡は、2001年2月8日、住宅開発に伴う工事中に発見され、21世紀に入ってからの大発見の遺跡と言われている。

BC1700~1200年の三星堆文化の後、BC1200~500年の十二橋文化の代表遺跡と解明された。
三星堆遺跡は2009年8月に見学したことがある。そして当時の技術力の高さにぶったまげたが、金沙遺跡も同じ感想を持った。 そして、この2つの遺跡に共通するのは謎の文化ということだ。祭祀として使用されたものが殆どであるが、それ以外にも象牙や黒壇の樹根があった。黒壇は足元がガラス(アクリル?)で発掘現場を上から眺めることが出来た。当時は気候も暖かく、又象牙が出土されていることは像もいたと考えられている。

博物館入り口近くにある太陽神鳥金箔のシンボル像


遺跡の発掘現場が保存されており、西安の秦始皇帝兵馬俑博物館と同じイメージ


この場所で、外径12.5cmの太陽神鳥金箔が発掘された。


太陽神鳥金箔


この場所で、金面具が発掘された。


金面具


三星堆文化と同じようなものも


これらの加工技術の高さには驚くばかり





成都 旅行 その2

2011年07月18日 02時03分35秒 | 旅行(中国)
成都に行ったら、パンダ。
と、いうことでパンダ写真のPart2です。
パンダはお食事中でした。
竹を美味しそうに食べていました。

このパンダはアメリカ生まれなのだそうです。
なので、英語で話しかけても分かるようです。


竹をむしゃむしゃ


パンダ2頭が寝ながらお食事中 (座っていないので、食事としてはお行儀が悪いですね)


このパンダの拡大写真がこれ


立っているのが、このグループの中ではボスだとか・・・

成都 旅行 その1

2011年07月13日 02時39分14秒 | 旅行(中国)
7月11日12日の2日間、四川省の成都へ行って来た。天候は残念ながら恵まれなかったが、パンダを見ることが出来た。 パンダ以外は、都江堰(四川地震での災害地)や金沙遺跡博物館を見学してきた。

パンダはいくら見ていても飽きないですね。。。
小雨の中、パンダたちが元気な顔を見せてくれました





無錫・上海のたび Part7 上海では・・・

2011年06月10日 22時18分14秒 | 旅行(中国)
さてさて、無錫から上海へ高速鉄道で移動し、ホテルにチェックインして浦東の東櫻花苑のレスト連で食事した事は書いたが、後は業余無線活動を行ったぐらいで他にはなにもしていない。
そんな訳で、6月5日は虹橋空港に向かう途中で見た、上海の住宅の様子。
窓から洗濯物を干すためのパイプがにょきにょき。
このような景色は北京では見かけないなぁなんて思いながら、近くの地下鉄駅から空港に向かった。
と、いうことで、あっさり終わった上海Partでした。
     



無錫・上海のたび Part6 高速鉄道 実名制

2011年06月09日 00時59分59秒 | 旅行(中国)
6月から高速鉄道のチケット購入にあたり身分証明書がないと購入できなくなった。
何とも不便。
そして、チケットには実名が書かれているとか、身分証明書番号が書かれているとかの噂があった。
ホントかなぁ??
と、おもって、6月4日に無錫~上海のチケットを昨年のチケットと比較したら・・・

これが6月4日に乗車したチケット
よく見たら、青で塗りつぶした部分がパスポート番号のアルファベットを抜いた数字部分だった。


これが昨年のチケット。 購入時に身分証明は不要だったので、当然パスポート番号は印字していない


チケットは本人しか使用できないことになる。
不便になったなぁ・・・

無錫・上海のたび Part5 南禅寺

2011年06月09日 00時38分11秒 | 旅行(中国)
6月3日は、無錫空港から、霊山大仏を見た後、約束していた中国人の知人と会食。
国営企業での経営者層と管理職の意識の違いなどを話す。
国営企業って、競争意識が薄いから、経営者層は管理職の自覚の育成には苦労しているんだなぁと感じた。
再見!!を約束しホテルに向かう。
どうせ寝るだけなので、ホテルは中山路の中国のビジネスホテルにチェックイン。
最近の中国的ビジネスホテルは侮れません。 外国人が泊まる少し良いホテルよりも部屋は良いし、食事だって朝食は14元だったかな? メニューの品数は少ないけど十分です。
そんな訳で、今回は、今まで10年の定宿だった無錫大飯店はパスしました。
しかし、友人との待ち合わせで、無錫大飯店のロビーは時間つぶしに1時間ほどソファーを使わせてもらいました・・・
(ホテルのロビーはパブリックスペースだもんね・・・ 使わにゃ損!!)

6月4日、起床してホテルで14元の食事を食べ、近くの南禅寺に向かう。
実は、南禅寺の中に入るのは今回が初めて。
中山路をしばらく歩くと、
←南禅寺
と、書いてある。 方向的にも近道のようなので、その路地に入る。


しばらく歩くとショッピング街にでた。 屋根の形が、この地域独特の反り返ったスタイル。
さて、肝心の南禅寺はどこなんだろう??


と、迷いながらも、先に進むと寺の搭が見えたので、その方向に向かう。

南禅寺の入り口です。


寺の境内は線香の香りが・・・


しばらくすると雨が強くなってきた。 本堂から寺の搭を見る。


見学後に、南禅寺からタクシーをピックアップして無錫駅に向かう。

無錫・上海のたび Part4 霊山大仏

2011年06月08日 22時02分22秒 | 旅行(中国)
次に向かったのは、モスクのような建物。
この梵宮が2010年第2回世界仏教フォーラムの会場となった場所との事で、広すぎて広角レンズでも入らない。

梵宮の正面。 広すぎて人がいないのではと思うほど。


中に入ると、土足厳禁。 靴カバーを掛けて中に入ります。
そして、この扉を開けると・・・・


おおおぉ!!! 思わず口をあんぐり!! 絢爛豪華!!の一言。


上を見上げると、豪華な装飾が



梵宮の真上を見上げると。 


遠くに黄金の仏像がありました。


劇場(ここで、仏教フォーラムが開催された)の天上には無数のはずの形をしたものが光のイリュージョンを。
いろいろな色に変化する天井は見事!!




一日数回のショーが行われます。この劇場は円形なので、270度くらいのステージはダイナミックの一言。
そして床は何故かしっかり作っていないので弾む感じ。
いや、床を共鳴させているように感じた。 音響の低音(倍音)効果では??
仏教音楽のありがた~い効果を感じるよう設計されているのでは??
まさに、現在技術の粋を投入したハイテク劇場。
ショーは、まずプロジェクターでの画像投影なのだが、超広角ワイドなので画面がゆっくり動くと、まるで自分が上下左右に動いているように感じ巧みな効果に関心。 そしてスクリーンが上に昇り、劇とダンサーの踊り。
うーん、このショーが50元なのだが、50元以上の価値はある。



気がつくと、このテーマパークに4時間ほどいた。
出口に向かうと、途中でお土産屋や軽食レストランなど。 (この場所を通らないと出られない)
抜け目の無い商法に感心!!

そうそう、このテーマパークで買ったお土産は、NHKの関口知宏が鉄道旅行の中で氏名を含めた詩を書いてもらう場面があったが、氏名を盛り込んだ詩を書いてくれる店があり、お願いした。
私の名前と愛人の名前を盛り込むようお願いした。 2名分の名前で詩を色紙に書く価格は80元。 そして額縁代が30元だった。ま、愛人との記念用でいいか・・・

無錫・上海のたび Part3 霊山大仏

2011年06月07日 00時18分56秒 | 旅行(中国)
やっと大仏の近くまで来ました。 ここで小休止することにしました。
何やら人垣が出来ているので、覗き込むと、中国人がトランプをしていて、観客が輪を作って取り囲んで眺めていました。


お札(?)のようなものに願い事が書いてありました。
日本のような“おみくじ”があれば流行るだろうなぁ!!


さてさて、大仏までのこの階段も216段でした。 もうひと頑張り!!!


階段を登りきると仏教博物館なるものがあり、仏教の歴史やいろいろな仏像のお勉強が出来ます。
そして、エレベーターがあり、それに乗ると・・・


大仏の足元に到着です。 大仏の足の大きさはこんなサイズです。


見上げると、ちょうど太陽の光が手の間からさし込んでいました。


周囲の遠景です。 今日はガスッていたので遠望ができませんでした。


霊山大仏の旅はまだ終わっていません!!