シルバーバーチを拠り所にして

スピリチュアリズムを学んでいます。

いつかは、こう祈りたい

2015-06-29 20:52:23 | 祈り
次の読み上げられた質問は、祈りや願いごとは誰に向けて発すべきかという、とかく意見の衝突する問題で、こう述べてあった。
「情愛によって結ばれている人の精神的健康、肉体的健康、および物的事情の問題でお役に立ってあげたいと思うとき、私たちはどういう心掛けが大切かについてお教えねがえませんか。つまりその人へ私たちの思念を直接送ってあげればよいのでしょうか。それとも祈りの形で神へ向けて送るできでしょうか」

「とても良い質問です。人のために何とかしてあげたいと思われるのは真摯な魂の表れです。全ての祈り、全ての憧憬は神へ向けるできです。ということは、いつも嘆願を並べ立てなさいという意味ではありません。たびたび申し上げているように、祈りとは波長を合わせることです。すなわち私たちの意志を神の意思と調和させることであり、神とのつながりをより緊密にすることです。そうすることが結果的に私たちの生活を高めることになるとの認識に基づいてのことです。意識を高めるということは、それだけ価値判断の水準を高めることになり、かくして自動的にその結果があなた方の生活に表われます。何とかして宇宙の心、宇宙の大中心、宇宙をこしらえた神にまず自分が一歩でも近づくように、真剣に祈ることです。それから、何とかしてあげたいと思っている人がいれば、その方を善意と、ぜひ自分をお役立てくださいという祈りの気持ちで包んであげることです。ですが、それを自分が愛着を覚える人のみにかぎることは感心しません。たとえ崇高な動機に発するものであっても、一種の利己主義の色合いを帯びているものだからです。それよりはむしろ全人類のためになる方法で自分の精神が活用されることを求めることです。ということは、日常生活において自分と交わる人に分け隔てなく何らかの役に立つということです」『シルバーバーチの霊訓2』



最近の私は、どうか早く病気が治りますようにと、2人+動物一匹のために日々祈っていました。

一人は近所の子で、最近脳腫瘍が肺のあたりに転移したみたい。
おばあちゃん曰く、元気で痛みと戦っているそう。

もう一人は、紫斑病で入院している、近所のお嬢さん。

あと、偶然見かけた、見るも痛々しい団地の皮膚病ちっくな野良猫ちゃん。

祈ることで、なんか少し役に立ったような気がしてたのですが、
私の好きな対象物で固めているので、これも一種の利己主義かなあ。
冷静に考えてみると、祈るだけでは何のお役にたちそうにない・・・。

知っている人のために祈ることはそれはそれで、真摯な魂の表れだそうですが、シルバーバーチは更に上を、高みを目指す指針を示してくれています。

全人類のためになる方法で自分の精神が活用されることを求めることです。ということは、日常生活において自分と交わる人に分け隔てなく何らかの役に立つということです。


シルバーバーチの霊訓は、どこを読んでも崇高だなぁ、と恐れ入りますが、これもその一つです。
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