桐生市広沢町にある賀茂神社にいってきた。

2018-03-03 16:24:38 | Weblog

googleマップで八王子丘陵を見ていると唐沢山の西側、天王山の北側に神籠石(かわご石)なるものがある。
前々から気になっており今回見に行くことにした。



神籠石(かわご石)
『桐生市史 上巻』で以下のように記述されているとのこと。
当石は、同所賀茂沢川の水源賀茂沢谷頭の上流ダイマチ窪から左折して登ること約三町、右折してカワゴ石沢に存在し、丈量巾一丈、長さ一丈一尺厚さ四尺の珪岩質の箱形石である。その形状の皮籠(かわご)あるいは香盒(こうご)に類似するにより皮籠石・香盒石等の称がある。その環境はその上部約三間隔てて高さ六尺一面平らな破面をなし、下部巾九尺、上部巾七尺五寸、厚さ五尺余の珪岩塊峙立し右二岩の主軸は北六十度東の方向を指して磐境(いわさか)の感じのするところである。この石が上代の祭祀趾であることは、この石を賀茂神が降臨した霊石として、維新前までは賀茂神社祭典の前夜神職はこの地に登り降神の神事を行ない、その際に用いた榊を捧持して途中のダイマチ窪に下り、ここより神輿に乗りヤスメ石に休憩し、威儀を整え賀茂神社に奉遷して翌日祭儀を行なう習俗となっていたという伝承から推定されるのである。ちなみにこのヤスメ石は高さ三尺五寸余厚さ四尺四寸余下部の巾九尺七寸、山状をなす珪岩塊である。

それじゃまず賀茂神社をみてこなくっちゃいけないな。
ということで賀茂神社にいってきた。


神社前の案内板にも神籠石の場所が描かれている。荒れた沢の上流のようだ。
ここから行くのは無理だな。



菅塩側から登って峠を少し下ったあたりだから菅塩からいくことにしよう。
以前天王山から下って稜線遊歩道に合流するベンチのある場所に広沢側に下りる道らしきものがあった。
きっとあの先に神籠石はあるはずだ ^^




びっくりした ^^
立派な神社だ。
式内賀茂神社と記した石柱がたっている。
上野国延喜式内社12社のうちの11の宮らしい。




【賀茂神社(かもじんじゃ)】
崇神天皇の時代に、上野・下野国の建国神とされる豊城入彦命が、賀茂神を勧請して東国鎮護のために創建したものと言います。延喜式内上野十二社のひとつで、上野十一之宮とされています。
奥州平定に向かう源義家が戦勝祈願のために舞を奉納したとも伝えられ、諸武将の崇敬を得て栄えたとされています。 老樹の茂る境内には、流造の本殿のほか拝殿・神楽殿などがあります。
毎年節分(2月3日)の夜に行われる「御篝神事」(みかがりしんじ)は、勇壮な奇祭として知られて市指定の無形民俗文化財になっています。
       「群馬十二社巡り」  http://www13.plala.or.jp/gunmanotabi/jb-sikinaisya.html
祭神 
賀茂別雷命
かものわきいかずちのみこと



延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)は、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧である。
延喜式神名帳に記載された神社、および現代におけるその論社を「延喜式の内に記載された神社」の意味で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっている。
延喜式神名帳に記載された神社(式内社)は全国で2861社で、そこに鎮座する神の数は3132座である。

論社とは似たような名の神社が二つ以上あって、どれが『延喜式』に記されている神社か決定し難いものをいう。







              拝殿


             

              本殿


              神楽殿 




次回 神籠石(かわご石)をみてきます ww







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