CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その17 すし喜でのランチ

2015年04月20日 15時39分28秒 | 旅行記

萩の散策とグルメシリーズの第17回となります。
久しぶりに筆を再開します。

今回は2014年10月5日に食べた「すし喜」でのランチを紹介します。

すし喜の基本情報
住所:萩市東田町西区146  TEL:0838-22-0745
料理ジャンル:寿司
営業時間: 11:30〜13:30/17:00〜22:00
定休日:水曜日


Goo地図はこちら
 


バスを使用しての移動なので久しぶりに昼からのお酒。
何かしあわせを感じます。













上の写真のにぎりを頂きました。 大満足です。


上の写真はお店の外観です。

過去16回の萩の散策とグルメシリーズの記事内容は以下のとおりです。

第1回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その1 旧湯川家屋敷

第2回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その2 萩市指定史跡 桂太郎旧宅

第3回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その3 松下村塾と松陰神社

第4回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その4  松浦松洞誕生地

第5回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その5 厚東 常吉(ことう つねきち)翁像 in 松陰神社 

第6回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その6 「薩長土連合密議之処」の石碑  in 松陰神社

第7回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その7 割烹「千代」でのランチ

第8回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その8 唐樋高札場跡

第9回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その9 井上剣花坊の川柳碑

第10回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その10 萩八景 遊覧船めぐり

第11回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その11 萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)

第12回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その12 野山獄跡、岩倉獄跡

第13回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その13 住吉神社

第14回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その14 旧萩藩 御船倉

第15回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その15 梅屋(山本)七兵衛旧宅

第16回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その16 旧山村家住宅

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鶴林寺の修正会/鬼追い on 2014-1-8

2015年04月19日 11時49分17秒 | 神戸市以外の兵庫県
毎年1月8日に鶴林寺で恒例の鬼追い(正式には修正会)が行われます。
この行事は天徳年間(957年10月27日~960年2月16日)から続く
伝統行事で1,000年以上の歴史があります。

2014年1月8日に初めて鶴林寺の修正会/鬼追いを観てきましたので
動画と写真で紹介します。

鶴林寺の基本情報
宗派は天台宗  本尊:薬師如来
創建:崇峻天皇2年(589) 播磨の法隆寺とも呼ばれています。
開基:聖徳太子
住所:加古川市加古川町北在家424  TEL:079-454-7053


公式HP:http://www.kakurinji.or.jp/mainpage/top-kakurinji.htm

鶴林寺の修正会の流れ

13時から鬼追いの由来を述べる謡曲「安田吉道」の奉納。

14時から悔過(けか)法要。

15時ごろ鬼が登場し、追儺(鬼の舞)があり

16時ごろ餅まきと法印授与があり終了となります



上の動画は鬼追いの由来を述べる謡曲「安田吉道」の奉納です。
鶴林寺の鬼追いと謡曲「安田吉道」とは深い関わりがあります。
鬼追いの始まりは村上天皇の御代(946-966)、播磨の国守として
具平(ともひら)親王が赴任された頃とあり具平親王の家臣に安田勝之進が
おりその子孫は代々安田吉道を名乗り慶長の頃から安田吉太夫(きちだゆう)
と名を改め鬼追いの世話役を務めてきたと記されています。
鬼追いの行事に先立ち披露されます。現在も鶴林寺仁王門の前の地域は安田と
呼ばれ鬼役などの世話役を務められています。


具平親王についてデジタル大辞泉の解説を引用させていただきます。
ともひら‐しんのう[964~1009]平安中期の文人・歌人。村上天皇の第7皇子。
中務(なかつかさ)卿。六条宮・千種(ちぐさ)殿・後(のちの)中書王とよばれる。
文才豊かで、和歌・漢詩文に長じ、音楽・陰陽(おんよう)・医術などにも
通じた。著「弘決外典抄(ぐけつげてんしょう)」など。

播磨鑑に具平ノ陵が見られる。実際に存在しているようです。



上の動画は本尊の薬師如来の前で行われる悔過(けか)法要です。

須弥壇に12カ月をあらわす「燈明12ヶ」右から1月・・・一番左が12月で
燈明の火の長さで天候をみる天候占。

早稲・中稲・晩稲をあらわす三把の「鬼の花」の穂のたれ具合で田占いも
見どころである。


悔過(けか)とは災禍の原因である私達の過ちを仏さまの前で懺悔し許しを請う
ことで修二会で有名な東大寺の二月堂では練行衆が悔過(けか)・懺悔(さんげ)
の行を2週間に渡り行います。


動画はメインイベントの鬼追いです。赤鬼と青鬼は本堂の内陣を7度半周ります。
7度半を迎えると赤鬼と青鬼は中央まで進むものの後ずさりしてしまう。
これは仏(薬師如来)の力で悪い鬼が良い鬼になり仏の使いになっていくのである
4匹の子鬼は2組に分かれ内陣の左右で棒で床を叩いたり棒どうしを打ち合わせる




動画は鬼追いが追いが終わると本堂の内陣の東側に高く吊られた鏡餅の所へ
赤鬼、青鬼、子鬼が集まり子鬼は棒でつついて餅を落とす所作をする。
良い鬼に変わった赤鬼と青鬼も手助けをする。



上の動画は修正会・鬼追いの見どころ説明 場面です。


動画は最後に参詣者が鶴林寺の僧侶から牛王宝印の判を額に押してもらう場面です。






上の写真は当日(2014-1-8)の鶴林寺仁王門と会場となった国宝の本堂。









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林仔(ラムチャイ)でのランチ on 2015-4-6

2015年04月18日 07時22分37秒 | 神戸情報
2015年4月6日(月)西舞子の林仔(ラム チャイ)でランチをいただきました
ので写真紹介します。

ラムチャイ Lam Zhai の料理ジャンルは中華料理 広東料理です。

林仔の基本情報
住所:神戸市垂水区西舞子2-12-54 フォーエバー林 1F
TEL:078-781-3963  定休日は火曜日


公式HP 

Goo地図はこちら
 

当日は950円のAコースを注文しました。


まずオードブルとスープが出てきます。


次に点心で揚げ物と蒸し物がでます。


お粥かご飯を選択できます。お粥を選択。


上の写真はメインの酢豚


上の写真はメインのイカと五目野菜炒め


上の写真はデザートの杏仁豆腐


上の写真はランチのAセットとBセットの内容説明


上の写真はメインのメニュー表


上の写真はお店の外観です。







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ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その8 Cafe OVEST on 2015-4-3

2015年04月18日 06時52分32秒 | 神戸情報
ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)の第8回で2015年4月3日に
いただいたCafe OVEST でのランチを紹介します。

Cafe OVESTの基本情報

住所:神戸市中央区磯上通5丁目1−13  TEL:078-252-9919

公式HP:
http://www.ovest.jp/

ランチパスポート神戸三宮版 第2弾の時にも訪問しました。訪問記↓
ランチパスポート神戸三宮版(第2弾)を利用した500円ランチ その9 Cafe OVEST on 2015-1-23

地図は上記ブログに記載しています。



上の写真が今回頂いたランチパスポートメニューで今回は鶏肉料理です。
(前回は豚テキでした)


上の写真はお店の外観です。


当日、お店の前の六甲商会グループが桜茶の振る舞いのイベントをされていました。


上の写真は通常のランチメニューメニュー看板です。

第3弾過去の訪問記

  第1回 ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その1 いっぽ亭 on 2015-3-6

  第2回 ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その2 旬花 on 2015-3-9

  第3回 ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その3 Momiji もみじ on 2015-3-18

  第4回 ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その4 Mosrite Cafe 0n 2015-3-19

  第5回 ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その5  カフェサンタマリア on 2015-3-21

  第6回 ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その6 畑舎 on 2015-3-26

 
  第7回 ランチパスポート神戸三宮版(第3弾)を利用した500円ランチ その7 ナーノ三宮店 on 2015-3-31

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義民碑と宝蔵 in 三木市 本要寺 on 2015-4-12

2015年04月15日 14時43分38秒 | 神戸市以外の兵庫県
2015年4月12日(日)、金剛寺の春祭りの鬼追い式を観るために三木市に
出かけていました。帰りに本要寺に立ち寄り境内にある元禄7年(1694)に建立
された宝蔵と岡村源兵衛と大西与三右衛門2人の義民碑の写真を撮りましたので
紹介します。


上の写真には右手が義民碑左手に宝蔵の一部が写っています。


上の写真は現地の説明板です。

ここで本文に入る前の前置きとして本要寺について簡単に述べる

本要寺の基本情報
住所:三木市本町2-3-6 TEL:0794-82-0233
宗派:日蓮宗 山号:吉祥山  御本尊:久遠の本師釈迦牟尼佛
開基:建長5年(1253)4月28日


さらに現地の本要寺説明板から若干加筆して紹介します。
「日蓮宗の吉祥山本要寺は、もともと天台宗の寺でしたが、鎌倉時代
花園天皇の御代の正和4年(1315)に日蓮聖人の法孫、
魔訶一院日印(まかいちいんにちいん)上人が関西布教の途次に立寄られ、
住職と問答を行って勝ったために日蓮宗に改宗し、寺の名を本要寺とした。
今日まで宗徒の信仰の場として続いてきた伝統のある寺です。
古くから湯の山街道、ひめじ道、あかし道が分岐する市街地の中心部に位置し、
門前の県道周辺も戦前までは寺の境内に含まれていました。
戦国時代、羽柴秀吉の三木城攻めの時に火災に見舞われましたが、幸運にも
本堂のみ戦火を免れました。天正8年(1580)1月三木城が落ちると、秀吉は
平井山本陣からこの本要寺の本堂に本陣を移し、当寺を三木町各宗の
16か寺院の主席に命じました。
また、秀吉は、戦火をのがれて各地に四散した町民百姓を呼び戻すために
三木を免租地とする制札を建てました。それが三木を金物の町として
復興させる起爆剤になり、その制札が今も
本要寺境内の市有宝蔵に大切に保存されています。
ところが延宝5年(1677)徳川4代家綱の「延宝の検地令」によって免租の
恩典が取り消されようとしました。
本要寺を会合場所として町民の会合を開いた結果、平田町の大庄屋「岡村源兵衛」
と、平山町年寄「大西与三右衛門」の二人が打ち首覚悟で江戸への直訴を
決行しました。
老中酒井雅楽頭(うたのかみ)の屋敷前で断食の座り込みを行い、免租は
そのまま、二人は死罪を免れ無事三木の地を踏むことができました。
宝永4年(1707)本要寺境内に顕彰碑が建てられ、毎年7月18日には
義民祭法要と宝蔵虫干しが行われています。
又、大西与三右衛門の墓がある本長寺では12月8日に法要と共に「冬の義民祭」
を執り行っており、二人の功績をたたえています。」


これくらいで前置きを終わり本論の義民碑と宝蔵に話を移します。


上の写真は延宝の義民碑の正面です。宝永4年(1707)の春に建立されました。

2人の義民「岡村源兵衛」と「大西与三右衛門」と法名 及び実名の「成次」と
「勝家」が刻まれています。

下記の記事(三木市 夏の義民祭 in 本要寺 on 2013-7-18 )に義民碑
正面を拡大した写真を掲載しています。

またこの義民碑の左側面、背面、右側面には福田貞斎(1661-1717)による
顕彰文が書かれています。


上の写真は左側側面の顕彰文 下記文章が書かれています。

 古三木町 別所長治城下免税賦也然
  延寶五年使松平大和守蒙
命而度民田及山沢為之三木町亦五百十四軒造
 一簿焉由是編戸者憂矣使源兵衛與三右衛門
 二人詣 江戸踰月而謹告之 官府滞留半年
 卒有辨證而如故



上の写真は背面の顕彰文 下記文章が書かれています。

 永復焉其二人功労不可勝言也故鐫其名千石
 也毎年夏於六月十八日相会町里正副戸長華
 首出夫辨證及簿各年蔵上下町於某家辨證曰
 寛永年中小笠原右近太夫領三木邑呼町里正
 及副問奮式法令如故免町税賦則賜後證嘉焉
 薾後同 寛永中水谷伊勢守領此地 亦同矣
 其二證今猶見寶蔵焉先是 天正中 別所長
 治三木砦不順
 信長公 使秀吉政之営壁羸師放火於




上の写真は右側側面の顕彰文 下記文章が書かれています。

 城畔民屋殊死戦卒抜之即 秀吉呼町耆老曰
 法令如奮式各項禁條書千松板掲於門側禁條
 亦如故免町税賦也其禁條至今在此寺聊刻千
 石以為後證焉
寛永四年丁亥仲春朔旦 福田尚存謹識
             三木町編戸者建



上の写真は2013年7月18日の夏の義民祭で奥に宝蔵が見える。

宝蔵についてであるがその建立年代は上記の顕彰文が作成された宝永4年(1707)
にはすでに存在していたか?
宝永7年時点で、毎年6月18日に上下家の某家保管とあり宝蔵でなくても
それに代わる蔵施設が存在していたことは確認できる。

宝蔵の建設にあたっては十河与一右衛門養隋(三木町下5ケ町惣年寄、酒造家)が功労者で
「三木町御免許大意録」の著者でもあります。
十河与一右衛門は貞享元年(1684)11月中町の光明寺の八角堂を寄進した。
堂内には仏師安阿弥作の如意輪観音菩薩他33体の仏像が安置されています。
光明寺について小生のBlogで写真紹介しています。(下記サイト)

三木市散策記 on 2013-2-3 その2 光明寺



 

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原津玖紫の歌碑と鈴鹿野風呂の句碑 in 三木市 本要寺 on 2015-4-12

2015年04月14日 04時36分50秒 | 神戸市以外の兵庫県
2015年4月12日(日)、金剛寺の春祭りの鬼追い式を観るために三木市に
出かけていました。帰りに岡村源兵衛と大西与三右衛門2人の義民碑と宝蔵で
有名な本要寺に立ち寄り表記の歌碑と句碑の写真を撮りましたので紹介します。



上の写真は原津玖紫の歌碑と鈴鹿野風呂の句碑の遠景です。


上の写真は原津玖紫の歌碑で
 本要寺宝蔵制札
 「すみ色の薄れたれども
   秀吉の制札花押の
    あとたしかなり」
         原津玖紫

 と書かれています。


原津玖紫全歌集は国会図書館などで閲覧できます。
  http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001744674-00

原津玖紫先生は1902年の地元三木の生まれで
 日本歌人クラブ会員 「丹生」主宰

歌集については上記1985年に発刊の「原津玖紫全歌集」
 丹生集 1967年 初音書房、北石集 1940年 高嶺社
 
上記の歌集は兵庫県立図書館で見れます。

雲龍寺に「向うべの林拓かれ 丹生を望むなぞ へにうぐひすなくも」の歌碑




上の写真は鈴鹿野風呂の句碑で
 野風呂
   「実南天
    白壁に
      照る
    御宝蔵」
 と書かれています。

揮毫は鈴鹿野風呂先生ご令息 「京鹿子」主宰 丸山海道先生

京都の著名な俳人鈴鹿野風呂先生についてWikipediaより引用紹介します。

鈴鹿 野風呂(すずか のぶろ、1887年4月5日 - 1971年4月5日)は、俳人。本名・登
京都生、京都帝国大学卒。高濱虚子に師事、「ホトトギス」同人。
1920年、「京大三高俳句会」を母体として日野草城らとともに「京鹿子」創刊。
同誌はのちに野風呂が主宰となり、関西におけるホトトギス派の中軸となっていった。
俳諧活動の傍ら学校でも教鞭をとり、戦後の一時期には旧制京都文科専門学校の
最後の校長を務めている。1968年京都市文化功労者。
句集に『野風呂句集』『浜木綿』 『俳諧大矢数』ほか多数。1971年に83歳で死去した
「京鹿子」発行所でもあった生家は現在は京鹿子社により野風呂記念館として
運用されている。


鈴鹿野風呂先生の次男 丸山海道先生の略歴(コトバンクより引用)
生年大正13(1924)年4月17日
没年平成11(1999)年4月30日
出生地京都府京都市
本名丸山 尚(マルヤマ ヒサシ)
旧姓(旧名)鈴鹿
学歴〔年〕京都大学文学部国文選科卒
経歴鈴鹿野風呂の二男として幼少より句作。昭和23年「京鹿子」復刊と共に編集に携わり、46年野風呂逝去後「京鹿子」主宰。同誌を全国有数の俳句結社誌に育てた。象徴主義的作風で知られ、句集に「新雪」「獣神」「青嶺」「露千乃」「寒雁」「風媒花」「遊行」などがある。また、「俳句歳時記」の編さんや京都市左京区の野風呂記念館の建設など俳句の普及にも尽力した。


上の写真は歌碑と句碑の説明板です
 
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和ごころ 万彩 でのランチ on 2015-4-8

2015年04月12日 04時51分55秒 | 神戸市以外の兵庫県
明石市の和食の店 万彩でのランチを写真紹介します。初訪問です。
訪問日:2015年4月8日

和ごころ 万彩の基本情報
住所:明石市本町1-3-14  TEL:078-920-8535
料理ジャンル:創作料理
営業時間:ランチ 11:30~14:00  ディナー 17:30~22:30
定休日:日曜日


公式HP:http://www.wagokoro-banzai.com/

2013年11月にリニューアルオープン 元は明石駅前にあったようです。

上の写真は当日いただいた万彩弁当御膳 レディース御膳 1,300円です。


食後のデザートと飲み物。




上の写真はランチメニュー。





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花祭 in 舞子東光庵 on 2015-4-8

2015年04月11日 05時38分36秒 | 神戸情報
花祭は正式には灌仏会(かんぶつえ)と呼ばれ、釈迦の誕生を祝う仏教行事です
日本では原則として毎年4月8日に行われる。

釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が旧暦の4月8日に生まれたという伝承に基づく。
別名として降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)
龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)などがある


花で飾られた花御堂(はなみどう)の安置された
お釈迦様の立像に香水・甘茶などを注ぎ、またいただく行事です。

舞子・東光庵では当日9時から始まり9時30分から青木禅寺の住職による
法要があったようです。


以前に訪問してブログ記事にもした舞子東光庵での花祭の様子を写真紹介します






上の写真は花御堂の飾りつけです。
釈迦如来を意味する なうまくさんまんだ ぼだなんばく
(のうまくさんまんだぼだなんばく)Mantra/Namah samanta-buddhanam bhah
が書かれていました。
御真言の意味---お釈迦さまを始めとする十方の仏さま、どうか私に悟りを
得させてください

Namah.(ナーマハ):真言の初めにつけて、帰命する、お願いします、などの意
        (胎蔵界)
samanta(サマンター):三千世界、全世界、あまねく、などの意
-buddha-na-m.(ブッダハーナーム): 諸仏
bhah.(ブハーハ):釈迦の種字





上の写真は2015年4月8日の舞子 東光庵の遠景。


上の写真は当日(2015-4-8)の石仏。

舞子東光庵について少し記載しておきます。

現地の看板には山田東光庵と表記されています。
この辺りは旧山田村であったので正式名としては山田東光庵が正しいと思うが
舞子東光庵と呼称する。

舞子東光庵は宝暦年間(1751-1763)に創建された尼寺で初代寿仙尼により
東光寺の系列下の臨済宗南禅寺派の庵です。

明石郡四国八十八ヶ所の78番霊場でもあります。

7代存続したそうですが現在は無住で地元の方々が管理委員会の組織を結成し
維持管理されています。後桜町天皇(女帝)の代(在位1762-1769)

当日、お聞きしたら阪神淡路大震災の前から無住状態だそうです。




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やすらぎの泉 in 神戸駅 on 2015-1-6

2015年04月10日 06時03分27秒 | 神戸情報
2015年1月6日、神戸駅のコンコースにあるやすらぎの泉
写真を撮りましたので紹介します。

やすらぎの泉は昭和5年(1930)7月1日、3代目神戸駅駅舎の開業以来
コンコースに設置されていた水呑器である。

神戸駅は昨年5月11日に開業140周年を迎えました。




上の写真がやすらぎの泉です。


上の写真はやすらぎの泉の遠景です。旅行社の入り口左手(山側)にあります。


上の写真はやすらぎの泉の説明版。


上の写真は2015-1-6撮影の神戸駅(浜手側)


上の写真は2015-1-6撮影の山手側の駅前。
新宮晋氏の風で動くモニュメントが目立つ。


上の写真は明治22年(1889)3月から昭和9年(1934)11月まで存在した2代目神戸駅。

昭和9年(1934)11月5日  3代目神戸駅(鉄筋コンクリート)完成
   3代目神戸駅は未完成のまま昭和5年(1930)7月1日から開業


神戸駅関連の年表
 

慶応3年(1867)12月   兵庫港開港・神戸運上所開設
明治5年(1872)      湊川神社造営
明治7年(1874)4月30日  初代神戸駅 レンガ・木造 開業
明治7年(1874)5月11日  大阪・神戸間の鉄道開業
明治10年(1877)2月5日   京都~神戸間が開業
明治22年(1889)3月   2代目神戸駅(レンガ造り)完成
明治22年(1889)     神戸市 市制実施
明治22年(1889)9月1日  山陽鉄道 神戸~兵庫間開通
明治27年(1894)5月   日清戦争勃発
明治37年(1904)2月   日露戦争勃発
明治39年(1906)12月1日  山陽鉄道を国有化
明治44年(1911)     大倉山公園開園
大正2年(1913)      市街電車兵庫線(楠公前~西柳原)開通
昭和9年(1934)11月5日  3代目神戸駅(鉄筋コンクリート)完成
    神戸駅は未完成のまま昭和5年(1930)7月1日から開業
昭和22年(1947)     生田地区戦災復興事業着手
昭和25年(1950)10月1日 急行銀河(神戸~東京)国鉄神戸駅発着
昭和31年(1956)10月1日 特急列車「あさかぜ」(東京~博多)開通
                国鉄神戸駅停車
昭和34年(1959)     神戸駅南側広場整備
昭和36年(1961)     浜手幹線(神戸駅南側)開通
昭和41年(1966)     阪神高速道路(京橋~柳原)開通
昭和43年(1968)      高速神戸駅開業
昭和49年(1974)     国鉄神戸駅北側広場整備
昭和49年(1974)     さん神戸地下街開業
昭和60年(1985)     ハーバーランド整備が着工
昭和61年(1986)     浜手バイパスが開通
昭和62年(1987)4月1日   国鉄民営化で JR西日本に



上述のように神戸駅は明治7年(1874)5月11日に明治5年の新橋ー横浜間の
鉄道開通に次ぎ日本で2番目に大阪ー神戸間が開通に合わせ開業しました。

神戸駅は東海道線の終点と山陽本線の起点の駅でもあります。




上の写真は神戸駅の歴史を記した説明板と起点を示す「ゼロキロポスト」


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フィラデルフィア市長から贈られた「友情の鐘」 in 学園都市

2015年04月09日 06時24分55秒 | 神戸情報
昭和61年(1986)10月、神戸市はフィラデフィア市と親善協力都市提携を
結びました。

本日は学園都市にあるフィラデルフィア市長から贈られた「友情の鐘」について
紹介していきます。
所在地:神戸市西区学園西町1丁目




上の2枚の写真は友情の鐘が入っている鐘楼の遠景です。




上の写真は友情の鐘のアップ写真。





上の写真は友情の鐘の説明版です。

説明文は下記のとおり

Since 1986  友情の鐘
 アメリカ合衆国の独立宣言が採択され、憲法が起草された合衆国誕生の地
 フィラデルフィア市はこの友情の鐘を神戸市に贈ります。

 1985年にフィラデルフィアで製造されたこの鐘は1753年に鋳造され、
 インディペンデンス・ナショナルパーク(国立独立記念公園)に設けられている
 自由の鐘の実物大のレプリカでフィラデルフィア市と神戸市との友情の証であり
 自由を探求する両市の情熱を表すものであります。
     フィラデルフィア市長
      W.ウィルソン ウッド


友情の鐘はフィラデルフィアの「リバティ・ベル(自由の鐘)」の実物大複製品
ですがフィラデフィアの自由の鐘を紹介したサイトにリンクさせていただきます。


 http://www.carillon.co.jp/america.htm

 http://blogs.yahoo.co.jp/randykuma/23595191.html

 http://en.wikipedia.org/wiki/Liberty_Bell

 http://www.nps.gov/inde/learn/historyculture/stories-libertybell.htm


親善協力都市:フィラデルフィアについて神戸市のサイト
 http://www.city.kobe.lg.jp/culture/international/sister/philadelphia.html





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