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フェルディナント・ホドラー展 on 2015-4-3

2015年04月03日 16時29分47秒 | 神戸情報
兵庫県立美術館で開催中のフェルディナント・ホドラー展が4月5日で閉幕と
いうことで2015年4月3日(金)に観に行ってきました。

フェルディナント・ホドラー(Ferdinand Hodler、1853年3月14日 -
1918年5月19日)は65年の生涯でした。

記憶の薄れないうちに展覧会の内容や印象を書き留めておこうと筆をとりました

まず、フェルディナンド・ホドラーの一生についてSwissinfo.chのサイトで
スイス国際放送、屋山明乃氏が簡潔に纏められていますので引用、転載します。

クリムトに匹敵する ホドラーの世紀末絵画  09.29.2003

巨匠、フェルディナンド・ホドラーは日本人には馴染みが薄いが、スイスでは
ジャコメッティにならうほど有名だ。クリムトと同時代に生きた幻想的な
象徴主義の画家だが、ホドラーの人生はゴッホに比較されるほど苦難に
満ちたものだ。

世紀末芸術は「死」や「夜」と言ったテーマが好まれるが、ホドラーはまさに
19世紀末の時代を象徴した人といえる。成功を博した晩年も死と苦難に彩られる。
生誕150年を記念して、ホドラーの風景画を鑑賞できる
ホドラー・スペシャルをどうぞ。

苦難の初期

 ホドラーは「家族の間には、いつも死が支配していた」と語っているが、
一家は常に結核という死神に付きまとわれていた。弟妹を次々に失った後、
父親も貧困の中、長男のホドラーが7歳の時に肺結核で死去。
母親はやもめの家具職人シューバック(5人の子連れ)と再婚するが、
やがてシューバックが酒びたりになる。ホドラーが14歳の時、母親がまたもや
結核で息を引き取る。貧困のあまり、兄弟と母親の死体を荷車に載せて
貧窮院から運んだと回想している。不幸はさらにつのる。
義父シューバックが子供たちを置き去りにして英国へ逃げてしまうのだ。
母親の兄弟の靴職人が子供たちを引き取ることになった。

 スイスの風景画家に弟子入りした後、18歳、単独でジュネーブへ飛び出す。
義理の妹宅に居候しながら、看板書きや観光客相手に絵を売って生計をたてる。
ジュネーブ、ラート美術館で模写をしているところをコローの友人画家、
バルトロメ・メインに見出され、初めて美術学校に通うことになる。

「夜」のスキャンダルが成功へ

 ホドラーはこうして、20年間、貧困の中に暮らしたが、1891年に脚光を
浴びることになる。死の恐怖をテーマにした「夜」(ベルン美術館所蔵)と
題するこの巨大な絵は裸で何人もの男女が床に寝そべっているが、真中の男は
恐怖の表情で何か、黒い物体を押しのけようとしている。
若きホドラーの自画像と言われ、手前左手の女性は後に息子へクトールを設ける
オーギュスティーヌがモデルだ。

サロンお断り

 この絵は「風紀紊乱」という理由でジュネーブ市長がサロンへの出品を断る。
そこで、ホドラーはクールベのように、サロンの真向かいに会場を借り、
入場料1フランを取って絵を展示する。スキャンダルに大衆は好奇心を煽られ、
1300人もの観客が来る。パリのシャン・ド・マルスのサロンでも大成功を収め、
主催者のピュィビ・ド・シャバンヌも賞賛する。ホドラーのキャリアの始まりである。

それでも付きまとう死

50歳を過ぎてやっと世間に認められ、ホドラーにも幸せがやってきたかにみえる。
1908年、55歳のときに20歳若いヴァランティーヌ・ゴデ=ダレルと出会い
情熱的な恋に落ちる。だが、最愛のヴァランティーヌも癌にかかり、
女の子ポーリーヌを生んだ後、40歳で息を引き取る。オルセー美術館でも窺える、
ヴァランティーヌの肖像は出会いから死までの一連の作品の一つである。
この時期、ホドラーはヴァランティーヌと自画像しか描かなくなる。
まもなく、ホドラーも病気に伏し、1918年ジュネーブで息を引き取る。享年65歳。

19世紀のホドラーの景色は今?

 死の画家といったイメージの強いホドラーだが、同時に多くのスイスの大自然を
描いた。ホドラー生誕150年際を記念にゆかりの多いジュネーブのラート美術館で
「ホドラーと風景画」と題する回顧展が来年の2月1日まで開催されている。
(来年の3月2日から6月6日まではチューリヒ美術館へ)この記念に
スイスインフォは写真家クリスチャン・ヘンメレに依頼し、ホドラーが描いた
景色の足跡を追ってみた。風景画と現実の景色と比べてみるといかに、
ホドラーが単純化、抽象化し、自分独自の象徴的な世界を作り上げたかが分かる。


スイス国際放送、屋山明乃(ややまあけの)



下記の7つのチャプターに分けて展示されていました。
詳細はホドラー展公式サイトで解説されています。


Chapter 1 光のほうへ ― 初期の風景画

Chapter 2 暗鬱な世紀末? ― 象徴主義者の自覚

Chapter 3 リズムの絵画へ ― 踊る身体、動く感情

Chapter 4 変幻するアルプス ― 風景の抽象化

Chapter 5 リズムの空間化 ― 壁画装飾プロジェクト

Chapter 6 無限へのまなざし ― 終わらないリズムの夢

Chapter 7 終わりのとき ― 晩年の作品群



展覧会で写真撮影禁止のため作品を観ることが出来るサイトにリンクします。
 http://www.wikiart.org/en/ferdinand-hodler

Chapter7のホドラー晩年の作品
ホドラーの恋人だったヴァランティーヌ・ゴデ=ダレルを描いたもの及び自画像
について興味があったのでこの点を焦点に書いていきます。


死を扱ったホドラーの作品群を観れるサイト
 http://jco.ascopubs.org/content/20/7/1948.full

ホドラーの作品を年代別にまとめたサイト
 http://www.wikiart.org/en/ferdinand-hodler/self-portrait-1900

ホドラーが亡くなる2年前1916年に描かれた自画像が掲載されているサイト
 http://www.thearttribune.com/Ferdinand-Hodler.html

ホドラーが1917年に描いた緑のジャケットの自画像が掲載のサイト
 http://www.soho-art.com/oil-painting/oil-painting/1251332049/Ferdinand-Hodler/Self-Portrait-in-Green-Smock-1917.html

白鳥のいるレマン湖とモンブランなど晩年の風景画を展示のスイスでの展覧会(2013)
 http://genevalunch.com/2013/01/27/ferdinand-hodlers-final-geneva-inspired-years-at-basel-exhibit/





上の写真は当日撮影出来る場所での写真。
















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