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 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その6 「薩長土連合密議之処」の石碑  in 松陰神社

2014年11月23日 06時29分39秒 | 旅行記
2014年10月4日、松陰神社の境内に建てられている「薩長土連合密議之処」と
書かれた石碑の写真を撮りましたので紹介します。

萩の散策とグルメシリーズの第6回となります。
過去5回の記事内容は以下のとおりです。






上の写真が「薩長土連合密議之処」と書かれた石碑です。
石碑は明治維新から100年を記念して昭和43年(1968)に建立。
石碑には右側に「薩州 田上藤七 長州 久坂玄瑞 土州 坂本龍馬」、
中央に「薩長士連合密議之處 岸信介書」、
左側に「文久二年一月 鈴木勘蔵宿之跡」と刻してあります。

石碑の所在地 : 萩市椿東1537 (萩市松本市) 松陰神社内
Goo地図はこちら
 

坂本龍馬は文久2年(1862)1月14日から9日間剣術の研鑽を名目として萩の地を
訪れています。吉田松陰亡き後、攘夷派のリーダーとして長州志士たちの
中心的存在であった久坂玄瑞を訪ね、武市半平太の書を携えてやってきたのだ。
ちょうどその頃、華山三円の書を持った薩摩藩士の田上藤七も萩に滞在
していて、図らずもこのとき 薩摩・長州・土佐の三藩の志士が一堂に
 街道沿いの鈴木勘蔵の旅館(現在は松陰神社の境内)で談合することになった。

坂本龍馬が帰る時に、久坂玄瑞は武市瑞山宛の書簡を託している。それには、藩そのものを
否定しても草莽の志士が結合して実践に移ろうというもので、
松陰の「草莽崛起(そうもうくっき)論」と思想的なつながりを持っている。
 その2か月後、龍馬は土佐藩の政策に反対し脱藩。そして江戸で勝海舟の門に入っています。

シリーズの目次

萩の散策とグルメシリーズの記事内容は以下のとおりです。

第1回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その1 旧湯川家屋敷

第2回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その2 萩市指定史跡 桂太郎旧宅

第3回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その3 松下村塾と松陰神社

第4回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その4  松浦松洞誕生地

第5回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その5 厚東 常吉(ことう つねきち)翁像 in 松陰神社 

第6回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その6 「薩長土連合密議之処」の石碑  in 松陰神社

第7回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その7 割烹「千代」でのランチ

第8回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その8 唐樋高札場跡

第9回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その9 井上剣花坊の川柳碑

第10回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その10 萩八景 遊覧船めぐり

第11回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その11 萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)

第12回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その12 野山獄跡、岩倉獄跡

第13回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その13 住吉神社

第14回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その14 旧萩藩 御船倉

第15回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その15 梅屋(山本)七兵衛旧宅

第16回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その16 旧山村家住宅

第17回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その17 すし喜でのランチ

第18回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その18 田町・御成道

第19回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その19 旧益田家物見矢倉


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