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原津玖紫の歌碑と鈴鹿野風呂の句碑 in 三木市 本要寺 on 2015-4-12

2015年04月14日 04時36分50秒 | 神戸市以外の兵庫県
2015年4月12日(日)、金剛寺の春祭りの鬼追い式を観るために三木市に
出かけていました。帰りに岡村源兵衛と大西与三右衛門2人の義民碑と宝蔵で
有名な本要寺に立ち寄り表記の歌碑と句碑の写真を撮りましたので紹介します。



上の写真は原津玖紫の歌碑と鈴鹿野風呂の句碑の遠景です。


上の写真は原津玖紫の歌碑で
 本要寺宝蔵制札
 「すみ色の薄れたれども
   秀吉の制札花押の
    あとたしかなり」
         原津玖紫

 と書かれています。


原津玖紫全歌集は国会図書館などで閲覧できます。
  http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001744674-00

原津玖紫先生は1902年の地元三木の生まれで
 日本歌人クラブ会員 「丹生」主宰

歌集については上記1985年に発刊の「原津玖紫全歌集」
 丹生集 1967年 初音書房、北石集 1940年 高嶺社
 
上記の歌集は兵庫県立図書館で見れます。

雲龍寺に「向うべの林拓かれ 丹生を望むなぞ へにうぐひすなくも」の歌碑




上の写真は鈴鹿野風呂の句碑で
 野風呂
   「実南天
    白壁に
      照る
    御宝蔵」
 と書かれています。

揮毫は鈴鹿野風呂先生ご令息 「京鹿子」主宰 丸山海道先生

京都の著名な俳人鈴鹿野風呂先生についてWikipediaより引用紹介します。

鈴鹿 野風呂(すずか のぶろ、1887年4月5日 - 1971年4月5日)は、俳人。本名・登
京都生、京都帝国大学卒。高濱虚子に師事、「ホトトギス」同人。
1920年、「京大三高俳句会」を母体として日野草城らとともに「京鹿子」創刊。
同誌はのちに野風呂が主宰となり、関西におけるホトトギス派の中軸となっていった。
俳諧活動の傍ら学校でも教鞭をとり、戦後の一時期には旧制京都文科専門学校の
最後の校長を務めている。1968年京都市文化功労者。
句集に『野風呂句集』『浜木綿』 『俳諧大矢数』ほか多数。1971年に83歳で死去した
「京鹿子」発行所でもあった生家は現在は京鹿子社により野風呂記念館として
運用されている。


鈴鹿野風呂先生の次男 丸山海道先生の略歴(コトバンクより引用)
生年大正13(1924)年4月17日
没年平成11(1999)年4月30日
出生地京都府京都市
本名丸山 尚(マルヤマ ヒサシ)
旧姓(旧名)鈴鹿
学歴〔年〕京都大学文学部国文選科卒
経歴鈴鹿野風呂の二男として幼少より句作。昭和23年「京鹿子」復刊と共に編集に携わり、46年野風呂逝去後「京鹿子」主宰。同誌を全国有数の俳句結社誌に育てた。象徴主義的作風で知られ、句集に「新雪」「獣神」「青嶺」「露千乃」「寒雁」「風媒花」「遊行」などがある。また、「俳句歳時記」の編さんや京都市左京区の野風呂記念館の建設など俳句の普及にも尽力した。


上の写真は歌碑と句碑の説明板です
 
コメント
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