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第10代崇神天皇陵(行燈山古墳) on 2015-11-5

2017年02月16日 04時58分47秒 | 奈良情報
2015年11月5日、天理市柳本町の第10代崇神天皇陵に行ってきましたので
写真紹介します。

崇神天皇陵に治定されている行燈山古墳は宮内庁により管理されており正式名称は
山辺道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)です。

第10代崇神天皇陵(行燈山古墳)の基本情報

住所:天理市柳本町字行燈 
TEL:0743-66-2279( 宮内庁書陵部畝傍陵墓監区山辺部事務所)
古墳の形式:前方後円墳 墳丘は3段造成 
築造年代:4世紀中頃
被葬者:不明だが宮内庁では第10代崇神天皇の陵に治定
発掘調査:昭和49-50年(1974-1975)外堤・渡堤・後円部墳丘裾部の発掘調査
      (By 宮内庁書陵部)







上の3枚の写真は行燈山古墳の外観
第10代崇神天皇の陵に治定されている行燈山古墳は柳本古墳群の中にあり第12代
景行天皇陵と治定されている渋谷向山古墳とともに盟主墳とも呼べる古墳である。

行燈山古墳の現地説明板







上の4枚の写真が現地説明板で古墳の規模が理解できます。
全国で16番目に大きい前方後円墳だそうです。
龍王山西麓の緩斜面に築かれたため東西で高低差が生じており3か所の渡堤で
区切られています。江戸時代末期に柳本藩により修陵事業が実施された。
アンド山古墳・南アンド山古墳を含む周辺の4基が陪塚に指定されています

行燈山古墳を含めた周辺古墳を紹介の説明板






第10代崇神天皇について簡単に記述しておきます。
崇神天皇は実在が確かな初めての天皇と言われています。

崇神天皇の基本情報

生没年:開化天皇10年(紀元前148年) - 崇神天皇68年(紀元前30年)12月5日
     118歳で死去  古事記では168歳で崩御
在位期間:崇神天皇元年(紀元前97年)1月13日 - 同68年(紀元前30年)12月5日
父:第9代 開化天皇 母:伊香色謎命(いかがしこめのみこと)
皇后:御間城姫(みまきひめ)
子供:垂仁天皇・彦五十狭茅命・国方姫命・千千衝倭姫命・倭彦命・五十日鶴彦命・
 豊城入彦命・豊鍬入姫命・大入杵命・八坂入彦命・渟名城入媛命・十市瓊入媛命
陵所:山辺道勾岡上陵
御名・異称:御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらのみこと)
      御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)
皇居:磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)


上記で御肇國とは「初めて整った国を治める」という意味を持ち初期国家の
君主としてふさわしい呼び名である。
崇神の代になって初めて他地方にまで渡る記述が出てくる(四道将軍の派遣など)
ことから、神武から9代開化天皇までは畿内にしか力の及ばなかったヤマト王権が、
崇神の代になって初めて全国規模の政権になったと考える説もある。


皇居跡は現在の志貴御県坐神社の場所とされており過去にブログを書いています
のでリンクしておきます。

 第10代崇神天皇の磯城瑞籬宮跡 現在志貴御県坐神社 訪問記 on 2013-7-20

ヤマト王権の推定初期大王墓について白石太一郎 『古墳からみた倭国の形成と展開
(日本歴史 私の最新講義)』 敬文社、2013年、pp. 181-186。
面白い表なのでそのまま引用紹介しまし

代       古墳名
1       箸墓古墳
2       西殿塚古墳
3       外山茶臼山古墳
4       メスリ山古墳
5       行燈山古墳
6       渋谷向山古墳











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