CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

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富岡製糸場の歴史

2021年11月02日 03時41分33秒 | Weblog

NHKの大河ドラマ「青天を衝け」を熱心に視聴しています。

10月17日放送、第31回「栄一 最後の変身」で富岡製糸場の操業を始めたい尾高惇忠

(田辺誠一)は、工女が集まらないことに悩んでいた。西洋式への誤解(仏人がワインを飲酒)

から、「生き血を取られる」と噂が立っていたのだ。誤解を解かねばならない。

初代場長の尾高惇忠は、娘の尾高ゆう(畑芽育)に伝習工女になって欲しいと頼み込む。

尾高惇忠尾高ゆうの実際の写真は下記サイトに掲載されています。

 富岡製糸場パンフ_OL(D) (tomioka-silk.jp)

最後の紀行で富岡製糸場の紹介があった。そこで富岡製糸場の歴史をテーマとして

記事を書くことにした。特記していない写真はすべて上述の番組からのものです。

富岡製糸場は殖産興業のため明治3年(1870)2月に設立が決定、初の官営模範工場として

群馬県富岡に工場が建設され、明治5年(1872)10月に操業開始した。

生糸は輸出品として明治初期からお茶と共に重要な産品であった。日露戦争後の

1909年には、日本は世界第1位の生糸輸出国となっています。

絹織物工業の先進地フランス・リヨンから機械と技術者ブリューナを招き、主に武士の

子女から募集した工女へ技術教育を行った。

背景としては幕末以来、生糸は最大の輸出品であり、製糸業は欧米向けの輸出産業として

急速に発達。従前は簡単な手動装置による座繰製糸が普及したが、ついで富岡製糸場の

輸入機械に学んで在来技術を改良した器械製糸を全国に普及させていった。

日清戦争(1894年)の頃、器械製糸の生産量が座繰製糸の生産量を上回った。

上の写真は尾高家で娘の尾高ゆう(畑芽育)左から2人目を説得する1番右の

尾高惇忠(田辺誠一)、1番左の尾高やへ(手塚理美)、右から2人目の惇忠の妻

尾高きせ(手塚真生)。

番組では尾高ゆうが工女として出向いてからその翌年の明治6年(1873)には全国から

工女が500人程度集まったとの話がありました。

上の2枚の写真は富岡製糸場の操糸場(製糸場)を視察する4人の遠景と近景

左から渋沢栄一(吉沢亮)、尾高惇忠(田辺誠一)、渋沢喜作(高良健吾)、

ポール・ブリューナ(マッシモ・ビオンディ)

 

富岡製糸場については2007年7月3日に訪問して下に添付のブログで纏めています。

 富岡製糸場 訪問記 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)

訪問時に頂いた資料も利用して富岡製糸場の歴史に迫りたいと思います。

現在の富岡製糸場

上の写真は現在の富岡製糸場の場内案内図 出典:2007-7-3に入手の資料

富岡製糸場の基本情報

住所:富岡市富岡1番地1 TEL:0274-64-0005

開場時間:9:00~17:00  定休日:12月29日~12月31日

見学料:大人1,000円、高校・大学生(要学生証)250円、小・中学生150円

    団体割引制あり 詳細は公式サイトで確認下さい

公式サイト:富岡製糸場 | しるくるとみおか 富岡市観光ホームページ (tomioka-silk.jp)

富岡製糸場を紹介したYoutube動画をGooで共有させていただきました。

 世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」プロモーションムービー ~富岡製糸場~|文化振興課|群馬県

 【空から】近代化の息吹~世界遺産・富岡製糸場

1.旧富岡製糸場 東繭倉庫(国宝)

 重要文化財 平成18年(2006)7月5日に指定 国宝 平成26年(2014)12月10日に指定

 東の置繭所は繰糸所と直交方向に建つ桁行104m、二階建の建物である。繭を乾燥

 貯蔵し乾燥のために多数の窓を持つ。柱は約30cm角で、全て通柱

 幅12.3m、高さ14.8m、建設面積1,493.1㎡、延べ面積2,979.7㎡

 入口正面の建物でアーチの要石に「明治五年」の銘を刻む。

上の写真は正門から正面の東繭倉庫

上の写真は東繭倉庫の壁に刻まれた明治5年の銘板

上の写真は東繭倉庫の内部

2.旧富岡製糸場 3号館(重要文化財)

上の写真は3号館(検査人館) 出典:2007-7-3に入手の資料

 重要文化財 平成18年(2006)7月5日に指定

 明治6年(1873)の建築  別名:検査人館

 木骨煉瓦造、建築面積224.72㎡、二階建、東面及び南面ヴェランダ付、桟瓦葺

 

3.旧富岡製糸場 2号館(重要文化財)

上の写真は2007年7月3日に撮影の2号館(当初はフランス人女工の宿舎、その後改造し食堂等に使用)

 重要文化財 平成18年(2006)7月5日に指定 

 当初はフランス人女工の宿舎、その後改造して食堂等に使用 別名:女工館

 木骨レンガ造、建築面積381.50㎡、二階建、階段附属、桟瓦葺 2階はベランダを巡らす

 

4.旧富岡製糸場 繰糸所(国宝)

 上の写真は2007年7月3日に撮影の繰糸場の内部

上の写真は繰糸場の内部

 重要文化財 平成18年(2006)7月5日に指定 国宝 平成26年(2014)12月10日に指定

 繰糸所は敷地の中心に位置する繰糸を行う建物で、木造の軸組に壁を煉瓦積とした

 木骨煉瓦造である。桁行が140mと長大である。キングポストトラスの小屋組や高い天井、

 鉄製ガラス窓で明るい大空間を実現している。幅12.3m 高さ12.1m 面積1,726.9㎡

5.旧富岡製糸場 ブリューナ館(重要文化財)

 重要文化財 平成18年(2006)7月5日に指定

 首長のポール・ブリューナの館として使用 別名は首長館

 木骨煉瓦造、建築面積917.03㎡、地下室及び四面ヴェランダ付、北面玄関及び廊下・

 東面教室及び便所附属、桟瓦葺 明治6年(1873)の建築

 内部を改造して片倉富岡高等学園の諸施設として使用された時期もある 

左の写真はブルューナ館 撮影2007-7-3

6.旧富岡製糸場 レンガ積排水溝(重要文化財)

上の写真はレンガ積排水構(下水溝) 出典:2007-7-3に入手の資料

  重要文化財 平成18年(2006)7月5日に指定

  明治6年完成  工場排水と各建物の雨水を集め、鏑川へ流す。

  レンガ造で、目地は漆喰。上部はアーチ状

7.旧富岡製糸場 記念碑

  創業して半年後(明治6年)に明治天皇の皇太后および皇后が富岡製糸場に

  行啓されました。この記念碑は、行啓70周年を記念して片倉兼太郎氏(片倉工業3代目)

  が昭和18年(1943年)に建てられた碑 文章は徳富蘇峰、書は高田忠周

       昭憲皇太后が詠まれた歌(下記)も刻まれています。

  いと車とくもめぐりて大御代の冨をたすくる道ひらけつゝ

8.旧富岡製糸場 乾燥場

 

9.旧富岡製糸場 煙突

 現在の煙突は昭和14年に建造されたコンクリート製ですが、当初は4.4mの

  レンガ積の基礎に径1.3m高さ1mの鉄製の筒を32段積み上げ四方に鉄鎖を張った。

10.旧富岡製糸場 西繭倉庫(国宝)

 重要文化財 平成18年(2006)7月5日に指定 国宝 平成26年(2014)12月10日に指定

 平面構造は東繭倉庫とほぼ同じ 中門(通路)がなく窓数が異なります

11.旧富岡製糸場 鉄水槽(重要文化財)

上の写真は鉄水槽  直径15m、深さ2.4mで貯水量は376㎥ 出典:2007-7-3に入手の資料

 重要文化財 平成18年(2006)7月5日に指定

12.旧富岡製糸場 蒸気釜所(重要文化財)

  蒸気釜による乾燥所 明治5年に建設 

  木骨煉瓦造及び木造、建築面積346.14㎡、桟瓦葺及び鉄板葺

  重要文化財 平成18年(2006)7月5日に指定

 

上の写真は現在の富岡製糸場の航空写真 出典:2007-7-3に入手の資料

上の写真は上新電鉄「上州富岡駅」から富岡製糸場までの徒歩経路(駅から徒歩10分)

出典:2007-7-3に入手の資料

 

操業開始頃の富岡製糸場

明治5年(1872)10月4日に操業開始

上の2枚の写真は繰糸場の内部の様子

 

上の写真は官営富岡製糸場の錦絵(群馬県立日本絹の里所蔵 上州富岡製糸場図)  

出典:2007-7-3に入手の資料

 

経営の移り変わり

(1)官営時代   明治5年(1872)10月~明治26年(1893)10月

(2)三井製糸時代 明治26年(1893)10月~明治35年(1902)9月

(3)原製糸時代  明治35年(1902)9月~昭和14年(1939)7月

(4)片倉工業時代 昭和14年(1939)7月~平成17年(2005)9月

   操業停止は昭和62年(1987)3月

 

最後に2007年7月3日に訪問した時の見学券を添付して筆を置きます。


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