CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

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兵庫津ミュージアム「初代県庁館」が本日(11月3日)にオープンします

2021年11月03日 04時29分06秒 | 神戸情報

県立兵庫津ミュージアムの初代県庁館が2021年11月3日にオープンします。

昨日(11月2日)報道陣に公開され私はNHKテレビの報道番組を視聴しました。

神戸の“兵庫津”の地に「初代県庁館」 3日オープン|NHK 関西のニュース

上述番組の写真及び兵庫津ミュージアム整備室が作製した最近のリーフレットより

解説も付加して写真紹介していきます。興味のある方は是非、お出かけ下さい。

私は11月4日(木)に観覧予定です。

上の写真は初代県庁館の全体図です。

尚、平成31年(2019)3月に策定された基本計画は下記サイトで公開されています。

 兵庫県/「県立兵庫津ミュージアム(仮称)基本計画」を策定しました! (hyogo.lg.jp)

また、2020年12月8日に公開された兵庫県からの整備状況情報は下記サイトで参照できます

 兵庫県/兵庫津ミュージアム(仮称)の整備に取り組んでいます (hyogo.lg.jp)

再都市化の下記サイトでも簡潔に紹介されています。

 兵庫県が初代県庁を復元する「兵庫津ミュージアム」を計画、県政150周年事業の一環として整備 | Re-urbanization -再都市化- (saitoshika-west.com)

 

大国正美「軍事拠点としての近世兵庫城と尼崎の再検討」
河野未央「兵庫津の歴史を調べてみよう-兵庫城石垣の発見にふれて-」
いずれも尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第113号(2013.11)に兵庫城や

兵庫津の歴史について詳しい説明されています。

兵庫津ミュージアムの場所

住所は神戸市兵庫区中之島2丁目1-17 

イオンモール神戸南の南側、阿弥陀寺の東側に建設されました。

 

兵庫津ミュージアムの全体平面図

報道陣に公開された初代県庁館

上の3枚の写真は勤番所の建物と内部

上の2枚の写真は仮牢と取次役所

上の2枚の写真は多賀茂治さんからのメッセージ

上の写真は初代の県知事「伊藤博文」の執務室の復元

入場は無料

初代県庁館のみどころ

 

兵庫津ミュージアム構成施設

兵庫津ミュージアム(仮称)は下記の2つの施設で構成されます。

 1)復元施設初代県庁館   令和3年度(2021年度)11月3日に開館

 上の写真は初代県庁館のイメージ図  延床面積:約540㎡

兵庫勤番所については下記ブログで記載しています。

 兵庫勤番所 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

 2)展示施設ひょうごはじまり館 令和4年度(2022年度)下期に開館予定

上の写真は「ひょうごはじまり館」のフロアープラン 延床面積4,065㎡

 

上の3枚の写真は常設展示と企画展示の内容(予定)

 

兵庫勤番所

岡久殻三郎 福原潜次郎が昭和4年(1929)に著した「神戸古今の姿」Page45に

下記記述があります。
「勤番所は南北約23間、東西30間この中に門番所、与力同心屋敷、
勤番与力詰所、船見番小屋、土蔵、仮牢の建物がある
少し離れた場所に「時の鐘」がある。陣屋内にあった稲荷神社は転々とし
今は天王温泉の守護神として祀られ「豊国神社」として現存。
兵庫陣屋の時代に和田崎船見番所が設けられ物頭格役人、書役、足軽12名
が配属されていた。
勤番所時代の与力、同心は訴訟を受理して町奉行所として神事祭礼を巡視し
火付け盗賊を逮捕、市中巡視、地付同心の援助する仕事を担った。
直接兵庫津の町政に当ったのは北浜、南浜、岡方の三方より名主、年寄の
各1名を選出し合計6名が勤番所に出勤して仕事をした。」

詳細は小生の下記ブログを参照してください。

 兵庫勤番所 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

第1次兵庫県から第3次兵庫県

明治元年(1868)に始まった第1次兵庫県からほぼ現在の県域となった第3次兵庫県

について簡略に纏めると、

 第1次兵庫県:兵庫津周辺の幕府領を管轄地として兵庫県が誕生

         江戸幕府より約30名の職員が派遣されてきた

 第2次兵庫県:廃藩置県(明治4年)と行政区画の全面改正を経て、摂津西部に拡大

 第3次兵庫県:大久保利通によるグランドデザインのもと、ほぼ現在の県域となる

 

詳細については下記の小生のブログで書いています。

 150年前の兵庫県 県庁舎を仮想体験 と兵庫県の誕生経過 on 2017-3-29 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

初代兵庫県知事 伊藤博文

 

伊藤博文は初代の兵庫県知事で知事であった期間は下記のとおりです。
自:慶応4年5月23日  新暦換算では1868年7月12日
至:明治2年4月10日  新暦換算では1869年5月21日


1869年1月(新暦)『国是綱目』六カ条いわゆる「兵庫論」が問題視され短期で
兵庫県知事を辞任することになった。実際は後任(2代目久我通城(こが みちき)後に
北畠通城と改姓、3代目中島錫胤(ますたね))は実務をできない状況であったので
4代目の陸奥宗光(陽之助)に業務を引き継ぐまで知事を代行しています。
明治2年6月20日 新暦換算1869年7月28日
兵庫県知事を知事を辞任した後は東京に移り会計院の権判事に任命され上司の
大隈重信とともに初めての鉄道敷設に尽力することになります。
さらに明治3年(1870)財政・銀行・貨幣制度調査のためアメリカに派遣や
明治4年(1871)岩倉使節団の副使として米欧を視察、英語力もブラッシュアップされ
ご存知のとおり初代の総理大臣にまで出世していきます。

さらに詳細は小生のブログ(下記サイト)を参照してください。

 初代兵庫県知事 伊藤博文の神戸時代の遺構や遺物 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

 

上の写真は若き日の伊藤俊輔(左)、中島信行(中央)、アーネスト・サトウ(右)

 

兵庫津を中心とした歴史年表

兵庫津を中心とした歴史を年表型式で纏めてみました。

 741年(天平13年)  行基が大輪田泊を修復
 812年(弘仁3年)   大輪田泊を修復
 914年(延喜14年)  三善清行大輪田泊の修築を提言
 947年(天暦元年)  大輪田泊を修築するために「造輪田使」を任命
 1173年(承安3年)  平清盛が大輪田泊に兵庫島(経ケ島)を築き日宋貿易を行う
 1196年(建久7年)  僧重源が兵庫島(経ケ島)を修復

 1289年(正応2年)  一遍上人が和田の観音堂で死去。墓所は真光寺に五輪塔造営
 1338年(暦応元年) 興福寺が兵庫南関での関銭の徴収が認められる
 1401年(応永8年)  日明貿易の拠点 兵庫島において足利義満が高麗船を見る
 1445年(文安2年)  東大寺「兵庫北関入船納帳」で約2.000隻が兵庫津に入船

 1469年(文明元年) 応仁の乱の中、山名勢により兵庫津が焼き打ちされ多大な被害

 1578年(天正6年)  荒木村重が織田信長に背き、織田勢が花隈城を包囲、兵庫津も攻撃

 1580年(天正8年)  花隈城落城

 1581年(天正9年)  池田恒興が花隈城の材を利用して兵庫城を築城

 1582年(天正10年) 本能寺の変の後、兵庫城は秀吉直轄地となる
 1596年(慶長元年) 慶長の大地震(伏見地震)で兵庫津が壊滅的な被害を受ける
 1619年(元和5年)  菱垣廻船の大坂・兵庫・江戸の航路開設

 1785年(天明5年) 工楽松右衛門が松右衛門帆を創作する
 1799年(寛政11年) 高田屋嘉兵衛がエトロフ航路を開く 北前船の隆盛
 1855年(安政2年) 網屋吉兵衛が神戸村に船たで場を設置
 1858年(安政5年) 日米修好通商条約 兵庫が開港場に指定
 1864年(元治元年) 勝海舟が神戸海軍操練所を開設、和田岬砲台が完成
 1867年(慶応3年) 兵庫港(神戸港)が開港 新暦では1868年1月1日

 1891年(明治24年) 能福寺の大仏建立

 1945年(昭和20年) 3月17日の空襲で壊滅的な被害

 

建設予定地の発掘調査

下記要綱で発掘調査が実施されました。 

場所:神戸市兵庫区中之島2  調査面積:約1,600㎡ 調査期間:’20年9月14日-12月18日

調査事由:兵庫県が「兵庫津ミュージアム(仮称)」を整備するに当たっての調査 

兵庫津遺跡の時代:江戸時代~明治時代(約300~100年前)

 

詳細については下記の小生のブログで記載しています。 

兵庫津遺跡発掘調査現地説明会 on 2020-11-13&2020-11-14 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 


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