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旧アーサー・トムセン邸 in 諏訪山町

2015年07月05日 16時05分50秒 | 神戸情報
旧二葉小学校にある神戸アーカイブ写真館の2015年6〜7月企画展示を観た。
今回展示のテーマの一つが旧アーサー トムセン邸であった。

これら展示の写真を紹介すると共に、諏訪山町のアーサー・トムセン邸の現況
について紹介します。
 撮影日は展示品が2015年6月30日、諏訪山の現況は7月4日である。





上の写真は明治時代後期のアーサー・トムセン邸とアーサー・トムセン邸の説明

この異人館は明治33年(1900)、ドイツ人アンドレアス・トムセンが子息の邸宅
として現神戸市中央区諏訪山町5丁目に建築された。
木造2階建てで1階115.8㎡、2階138.3㎡。設計者はイギリス人ミッチェルで
現在、市立博物館に展示されている異人館は、現当主アーサ・トムセン氏から
寄贈された建具と、建築当時の写真や解体時の調査にもとづき、
旧トムセン住宅を再現したもの。
居間や寝室など家族のための場所が2階に集まり、1階が来客用および使用人用で、
家族のプライバシーが重視されている点に特色がある。
 ひじ付き倚子(11ページ掲載)は旧トムセン住宅で使用されていたものである。

設計者の造船技師ジェームズ・ファウラー・ミッチェル について詳しく解説されている
サイトがありましたのでリンクさせていただきます。
上の写真は山本通り付近からアーサー トムソン邸を撮ったものです。
右手に諏訪山稲荷の階段や鳥居があります。参道の下に池があることから明治20年(1887)
頃の写真と推定されます。A.トムセン氏は外国航路の船長をしていました。神戸では
 神戸港の水先案内人として活躍しました。2018-12-14追記
出典:我が家のアルバム百年史 むかしの兵庫 明治編 昭和51年(1976)10月10日発行
神戸新聞写真部 No.150










上の11枚の写真は展示されていたトムセン邸関連のパネルです。








上の7枚の写真は旧アーサー・トムソン邸跡の現況です。
現在解体されていますが門塀だけが残されています。
トムセン邸の原寸復元展示を神戸市立博物館で見れます
遺族から寄贈された建具や写真資料、解体当時の調査
 をもとに玄関・居間・食堂が再現されています。

私も観たことはあり写真も撮った記憶がありますがすぐにひっぱりだせないので
神戸市立博物館他のサイトにリンクさせていただきます。
 


2015年12月4日に神戸市立博物館で大英博物館展を観覧した折に常設展
 の旧アーサー・トムソン邸展示写真を撮ってきましたので追加添付しておきます

上の4枚の写真は展示物。

旧アーサー・トムソン邸の見取り図。

上の写真は説明板。

上の写真は邸宅のあった場所を説明したパネル。

トムセン家について調べた結果を少し述べていきます。

トムセン家は明治後期から神戸に在住するドイツ人一族です。
祖のアンドレアス・パウル・ウィルムヘルム・トムセン氏は1845年生まれ、
1884年に来日し、日本郵船の前身、郵便汽船三菱会社に一等航海士
(1884~1896年)として勤務された
神戸には1891~92年頃、横浜より移住されたそうです。

そして邸宅の設計者のジェームズ・ファウラー・ミッチェルは1829年
スコットランド・アバディーン生まれ。1859年、30歳の時に長崎に移住。
ミッチェルは造船技師であり、長崎の居留地の下り松ではミッチェルの
造船場があったそうです。
また、同郷アバディーン出身のグラバーが関わった長崎の小菅修船場建設
(1869年に落成)にもミッチェルは関わっていたそうです。

ミッチェルはその後神戸へ移り、1903年に亡くなっていて、神戸の外国人墓地に
お墓があります。









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