和田神社の常夜灯と兵庫津岡方新町で船宿を経営していた車屋五兵衛をテーマとして
記事を書きます。
和田神社の常夜灯の写真はすべて2012-2-1撮影のものです。
上の写真は鳥居の左右にある常夜灯です。
鳥居の外側に立ち、和田神社を見て右手を右側の常夜燈、左手を左側の常夜燈と
定義しています。
上の2枚の写真は右側の常夜灯です。
正面の台座には
願主 深川 久住五右衛門
同 丸屋七右衛門
江戸 大坂屋伝兵衛
同 久住伝吉
取次 車屋五兵衛
左面の台座には
江戸深川 湯浅興右衛門
同 水戸屋治良吉
同 渡辺権参良
同 北村富之助干鰯店
同 同 塩店
江戸 長島屋松之助
同 栄屋仁右衛門
同 遠州屋蝶四良
相州浦賀 松崎興兵衛
同 木屋市兵衛
背面の台座には
細工任 灘御影 石屋清兵衛 と書かれています。
上の2枚の写真は左側の常夜燈です。
正面の台座には
世話人 尾州内海 住田屋豊吉
同 角佐兵衛
同 日比勝治良
同中須 大岩彦太良
同常滑 滝田文三良
右側面の台座には
尾州知多郡
常滑
野間 廻
小野浦
内海 松
久村
中須 中
当津
長濱屋吉松
下村屋安兵衛
背面の台座には
細工任 灘御影 石屋清兵衛 と書かれています。
この常夜燈が江戸の商人達が発起人となり、尾州廻船が組織をとりまとめをし、
和田神社への取次ぎを兵庫津の車屋五兵衛がしたと思われる。
この常夜燈は1995年の阪神淡路大震災で倒壊した為、上部は金属製のものに
付け替えられたが、台座部分は江戸時代後期のもので健在である。
参考書:斉藤善之著『海の道、川の道』山川出版社(日本史リブレット)、2003年
尾州廻船のネットワークが兵庫津の商人と江戸の商人を結びつけた例として
貴重な資料である。
2014年6月28日 兵庫津遺跡 第62次発掘調査の現地説明会が開催されました。
発掘調査地の中に車屋五兵衛の屋敷跡も2軒入っています。
上の写真は
神戸市文書館に岡方文書の中の新町水子帳絵図の原図が保管されています。
この絵図は天保9年(1832)に作成されたものです。
この原図を基に東北学院大学経営学部教授の斎藤 善之氏の著書「内海船と幕藩制市場の解体」
柏書房 1994.6 の Page207-209でまとめられている図から引用したもので車屋五兵衛に
焦点をあてるために宝塚市市史資料室の石川道子氏が市史研究紀要 たからづか26号2013年
3月のPage34で車屋五兵衛の居宅に協調の図柄を加工したものです。
拡大版はこちら
http://seiyo39.blog.eonet.jp/default/files/hyogotsushinmachiezu.pdf
新町の大通りに面して間口5間4尺奥行13間約90坪の屋敷と
間口3間4寸奥行18間の屋敷でした。
記事を書きます。
和田神社の常夜灯の写真はすべて2012-2-1撮影のものです。
上の写真は鳥居の左右にある常夜灯です。
鳥居の外側に立ち、和田神社を見て右手を右側の常夜燈、左手を左側の常夜燈と
定義しています。
上の2枚の写真は右側の常夜灯です。
正面の台座には
願主 深川 久住五右衛門
同 丸屋七右衛門
江戸 大坂屋伝兵衛
同 久住伝吉
取次 車屋五兵衛
左面の台座には
江戸深川 湯浅興右衛門
同 水戸屋治良吉
同 渡辺権参良
同 北村富之助干鰯店
同 同 塩店
江戸 長島屋松之助
同 栄屋仁右衛門
同 遠州屋蝶四良
相州浦賀 松崎興兵衛
同 木屋市兵衛
背面の台座には
細工任 灘御影 石屋清兵衛 と書かれています。
上の2枚の写真は左側の常夜燈です。
正面の台座には
世話人 尾州内海 住田屋豊吉
同 角佐兵衛
同 日比勝治良
同中須 大岩彦太良
同常滑 滝田文三良
右側面の台座には
尾州知多郡
常滑
野間 廻
小野浦
内海 松
久村
中須 中
当津
長濱屋吉松
下村屋安兵衛
背面の台座には
細工任 灘御影 石屋清兵衛 と書かれています。
この常夜燈が江戸の商人達が発起人となり、尾州廻船が組織をとりまとめをし、
和田神社への取次ぎを兵庫津の車屋五兵衛がしたと思われる。
この常夜燈は1995年の阪神淡路大震災で倒壊した為、上部は金属製のものに
付け替えられたが、台座部分は江戸時代後期のもので健在である。
参考書:斉藤善之著『海の道、川の道』山川出版社(日本史リブレット)、2003年
尾州廻船のネットワークが兵庫津の商人と江戸の商人を結びつけた例として
貴重な資料である。
2014年6月28日 兵庫津遺跡 第62次発掘調査の現地説明会が開催されました。
発掘調査地の中に車屋五兵衛の屋敷跡も2軒入っています。
上の写真は
神戸市文書館に岡方文書の中の新町水子帳絵図の原図が保管されています。
この絵図は天保9年(1832)に作成されたものです。
この原図を基に東北学院大学経営学部教授の斎藤 善之氏の著書「内海船と幕藩制市場の解体」
柏書房 1994.6 の Page207-209でまとめられている図から引用したもので車屋五兵衛に
焦点をあてるために宝塚市市史資料室の石川道子氏が市史研究紀要 たからづか26号2013年
3月のPage34で車屋五兵衛の居宅に協調の図柄を加工したものです。
拡大版はこちら
http://seiyo39.blog.eonet.jp/default/files/hyogotsushinmachiezu.pdf
新町の大通りに面して間口5間4尺奥行13間約90坪の屋敷と
間口3間4寸奥行18間の屋敷でした。