オークションを覗いて
フライ用品一式を出品している方がいたりすると
・・ああ、この人は釣りを止めちゃうんだなあ・・
などと思うと他人事ながらもふと寂しい気持ちになってしまう事があります(^^;
趣味が変わって手放すならまだしも、
中には『体調を壊し釣りを断念する、云々・・』などとコメントが書かれていたりすると尚更寂しいキモチになってしまいます
何もフライフィッシングが唯一無二の遊びでもないのですが
何事にも始まりと終わりがあるわけで
終わりというものは何時でも寂しいと思ってしまうわけです
番組の最終回見ているような
そんなキモチでしょうか
最後の日は突然やってくるもので
何も釣りとか遊びとかばかりではなく、
人間の寿命なんてあっという間
過疎化の進む土地に長く住んでいると尚更そう思うんですよね
子供の頃に通った駄菓子屋のおばあちゃん
文房具屋のおぢいちゃん
肉屋のおじさん、おばちゃん・・
この町に生まれて40年 車窓からの景色のように街も人も
どうしようもなく変わっていくものですね
隣町のAさんのお宅の前を車で通るたびに家主を失ったお店と
もう釣りに連れて行ってもらえないランクルが未だ寂しくテープで囲われています
悲しい最後を遂げたAさんとご家族
あの日あの場所で逢って話してくれたAさんには、ちょっと予感めいたものでもあったのかな・・
と
今でも思うことがあります
命は一瞬の連続だから一生なんてくくりで考えても仕方ないんですけどね
今を楽しく精一杯 ってとこでしょうか
過ぎて来た分、新しい景色と新しい命が生まれてくるわけですから
ストーブで背中をあぶりながら
夜中までゴソゴソとものづくりをしていると
ふとそんな事を考えてみたりして(^^;
Aさんと最後に話した日
昨夜の仕事
下地の仕上げが終わった本物のフレームと
小さなネットたち
樺瘤のグリップ
一本作ってみました 楓鳥眼イチイ楢のフレーム
こういうのも面白いですね(^^
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ただ、歳老いて止めるときは、釣りを知ることが出来て、この世の誰よりも幸運だったと思うでしょうね。
釣りをせずに、いまは勉強してますが、いかに釣りが自分を助けてくれていたか分かりますね。。。「釣りって、すげえな」と思ってます。Abu GarciaのキャッチコピーはFishing For Lifeですが、妙に納得させられます。また、FF誌の表紙にLife is beautifulというキャッチが、キャンプの写真に添えられていました。こういう付き合い方も、もしかしたら出来るんだと、妙にうれしくなりました。。
すっごい個人的な(自分よがりともいう)レスになりましたな(笑)
止める時は寂しいのでしょうけど、釣りという世界を経験できた事は幸運だったと思えると信じてます。
ただ、自分の思うべきタイミングで止められなかったらチョット後悔するかも・・・
やっぱその時その時を目一杯楽しく!ですよね。
僕は余計な事を考えすぎるんでしょうね・・
なにかと深読みというか無駄に悩むと言うか
(^^;
僕はきっと寂しいキモチになるような気がして仕方アリマセン
釣りが出来なくなってもものづくりはすると思うんですけどね(^^
僕が年を取る頃は日本にもお年寄りのフライフィッシャーが沢山いるといいなあ・・
アマリ見かけませんもんね
年代的に浸透していないともいえますが。。