札幌に住む姉が体調を崩したので里帰りしてきました。 姉は軽度の化学物質過敏症の症状があり、今までも何度か体調を崩した事があるのですが 今回は少し大変そうです。 もともと体の弱い姉だったのですが 札幌での新しい住まいに引っ越してから症状がひどく現れてきたので 精神的なことも要因なのか、何が原因なのかは定かではないのですが 湯治治療もかねて、少しの間実家に帰ってきた訳です 住築35年の年中自動で風通しだけは良い我が家ですから(^^; 化学物質とは無縁? 海の側で日当り良好、良い浜風も吹く、、、 科学物質過敏症の治療にはもってこいの田舎な訳です。 それでも、飲み水もできるだけ良いものをと思い 午後から嫁と子供を連れて真狩へ湧水を汲みに出かけてきました、、。 要諦山麓に降った雨や雪が地面を通じて湧く北海道の中でも指折りの湧水 平日でもたくさんの人たちが集まってきています。 我が北海道の宝物です。 娘もとても楽しそうに水を汲んでみせてくれました。 もしも、泊発電所で今回の事故と同等の事が起きていれば 僕は今日、この場所に行く事すら出来ずに怯えていたでしょう 福島以上の事故が起きれば、大好きなニセコの山並みも、大好きな尻別川も 自分の住処も捨てて逃げ出さねばなりません 幸運にも今日、この場所にたどり着けたからこそ こういう当たり前をちゃんと残しておかないといけないと改めて考えさせられます こんな当たり前な事ですら、人間の都合で一瞬で失いかねないくらい 今の世の中は差し迫っていると思い知らされました。 ここから先きは偏った意見かもしれませんがご了承下さい。 原発の問題は地域の問題ではありません 豊富な電力の恩恵を受けている我々日本人全ての問題です もちろん自分も含めてですが、快適を求めるしわ寄せが、もうごまかしきれないくらいにふくれあがっている 安全神話が崩れ、薄皮一枚の下に隠されていた現実を突きつけられた今、やっぱり考えなければいけないと思います。 原発の街にはたくさんのお金が与えられ 経済の恩恵も受けているのかもしれませんが それは、もし何かがあったときには一番先に深刻な被害に遭い ふるさとを奪われるという未来へ、あらかじめ与えられる代償なのでしょうか? 地元の方はそんな事を望んでいなかったはず 安全という事を信じて受け入れたはず それを覆されても、『想定外』という言葉一つで納得しなければいけないのでしょうか、、 そして、今回の事を教訓として、いくら想定のハードルを上げてみたところで、自然災害や人間の引き起こす悪意はそんな事を軽く飛び越えかねません、、 もう想像の安全など約束してはいけない 信じられない 人間のする事に絶対は無い 原発事故、その果ての現実は、原発のある地域だけではなく、その近隣の市町村、県、他県、 しいては日本全体への影響を及ぼす問題となるということが、想像ではなく 不幸な現実として証明されてしまいました。 僕も原発を今すぐ無くす事など不可能だと思います。 でも、まず原発ありきという考えを改め、知恵を絞って生きていく道筋を考えなければ いずれは雨風をしのぐ場所も飲む水でさえも奪われかねない将来があり得る 日本を捨てて逃げ出さねばならないかもしれない ですから、原発はもういらない 豊かな今のために将来にツケをまわしてはいられない 原子力はお日様の力ですよね 人間の手には負えない、そういう存在なのだと謙虚にならなければいけない そう思うのです。 地震に住む家を崩され 津波に街と家族をさらわれたのに 更に放射能の脅威に脅かされて 愛する家族の亡がらさえ探しに帰れない人たちが実際にいる訳です そんな事を起しかねない種が 日本全体に既に撒かれているんだと、思い知らされたのです。 事故を起こさなくともたくさんの放射性廃棄物を生み続ける原発 将来この狭い日本で、それをどう扱えば良いのだろうか、、 だから、原発はもういらない。 お前だって電気を使ってるだろう 明日から電気を使うな と極論を言われるかもしれませんが、電気を使っているからこそ個の意見を持つべきなのです。 部外者ではいられないのです。北電泊発電所でもプルサーマルが始められようとしている直前です。
考えるなら今しかない
世論に対する一時のガス抜きにしてはならない。
今年は北海道知事の選挙があるんですよね 僕は次の選挙では高橋はるみには投票しない。 理由は原発の推進を基本的には止めない意向だから。
原発関係者はもちろん、福島や近隣の人々がこんなにも苦しんでいる今でさえ、そんな事しか言えないのか、、 自然災害はいくら規模が大きくても、未来への可能性だけは残してくれるけど 原子力事故の引き起こす災害は今日明日の生活を奪い、将来の希望さえも閉ざしてしまう。 日本の原子力政策 止めるなら今しかないでしょう。 コチラ