週間天気予報が外れて今朝は晴れて始まった。
『えんどう豆の苗の根がこんなに伸びてしまった!』
朝起きてきた僕に、母親が開口一番こう言った
数日雨続きで、約束していた畑を耕すことがおざなりになっていた
猫の額程の土地だけれど、前の所有者から購入した後3年ほど投げっぱなしになっていて、草は生え放題、芝生を敷き詰めたような状態だった。
しぶしぶではあるが、『苗が可愛そうだ』と訴えられて、まだ風邪も治っていない母親が『自分で耕す』と言われたらほおって置くわけにも行かないので、今日は朝一で母親と共に農作業に従事した。
荒地とは言っても、3年前まではお隣さんのお婆さんが耕していた土地なので
それほど苦労するわけでもなく、3時間ほどで作業は終わった。
面白かったのは作業中にセキレイがやってきて、耕す端から虫を拾い始めた事だった・・・
一メートルくらいまで近寄ってもお構いなしで、返した草の根の下から出てくるミミズやらネキリ虫(俗名)やらをついばんでは運んでいる。
おそらく雛に与えるんだ思うけど、とても可愛らしい。
随分人に慣れているものだと感心した。
見つけた虫を投げてやると、怖がりもしないでまた運んでいく
作業の最後まで僕たちの後ろでチチチ、、と鳴きながらおそらく育児に精を出していた。
2匹虫を投げたらどうなるのだろうと、からかってほおってみたら、一匹つまんでアスファルトに運んで、地面に叩きつけて絶命させてからもう一匹を上手に啄ばみ、また何処かに飛んでいった。
鳥といっても本当に賢いものだと感心した・・。
すると、母親が、『昔は春の畑おこしに馬にレーキを引かせると、烏やら雀やらがたくさん集まってきて、ぞっくり並んでは虫を食べていたものだ』と言う
人里近くに住む鳥たちにとっては人間が土を耕すことは、ある意味一大イベントなのかもしれない、、と思った。
こんな街中のセキレイもそれを知っていて、僕たちが土を耕すのを待っていたのかもしれない
なにかとても興味深いことだと、チョコチョコ歩き回るセキレイをみて思った。
あとで思い出して、ブログ用にセキレイを撮ろうと、カメラを持って畑に戻った
暫くしたらセキレイがやってきたのでカメラを向けると、サッと逃げ出した
飛び去ってもう戻っては来なかった。
なにもセキレイは、僕たちに心を許したわけではなく、
糧を得るために必死の思いで近寄ってきたのかな、、と思った
人間は(僕は)すぐに自分に都合よくセンチメンタルに考えがちだけど
野生というのはそんなに甘いものではないのだ
そういえば、子供の頃、植木鉢の水受けに溺れたミツバチを見かけたので
救って手のひらの上に乗せて、『早く飛んで行け・・』
と、いうやいなや、蜂は尻から鋭利な針を出すと
僕の手のひらを一突きしてから絶命した・・
痛む手に泣きながら『助けてやろうと思ったのに、、』 と、子供の僕はけっこう傷ついたものだ
未だそんな癖は抜けていないのか、何事にも考えが甘く、過剰に期待して失敗することも多々
人の世も野生も厳しく
しかし自分もそんなに簡単に変われるものでは無いのだ・・。
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