無知の涙

おじさんの独り言

究極のカレー1

2009年08月03日 | パチンコ
一人暮らしするようになってから、カレー大好きになりました。

子供の頃は、そんなにカレー好きではなかった。

せっかく作ってくれたんだから、食べることは食べるけど、そっから2日くらい普通にカレーざんまいになるなが嫌いだった。

だが一人暮らしして、このカレー嫌いが変わる。

一人暮らしして一番変わるのが味覚。

子供の頃は肉ばっか食ってたけど、一人暮らしすると、肉ってあんまり高級感なくなる。魚とか煮物とかの方がブッチギリで高い。
作るのも手間かかるし。

肉食べたかったら、普通にお湯で温めるハンバーグと食えば良い。あんなん1袋100円だから。

なかなか食べられない、という理由だけで、いつの間にか魚大好きになってました。

そんな、いつの間にか好きになってたシリーズの代表がカレー。

金ないときは、安いレトルトのカレー買ってきて、なんでもカレー。

パンにカレーとか、焼きそばにカレー、パスタにカレーとか、ラーメンにカレー、豆腐にカレーとか。

もうカレーの魔術師。

そうこうしてる内に、カレーにはちょっとウルサイ人みたいになって。


新宿らへんにあるカレーショップはたいてい食ってる。

その幅はインド系からタイ系にまで至れり尽くせり。

あのコマ劇場の前にあった立ち食いソバ屋のカレーが強烈。

何が?って量が。
なにあれ?
普通に2、5人前。
値段は安い。
それで600円くらいですから。

最初にその店を発見したのは僕。

飲み会の帰りで腹へって。
なんも食えないような飲み会で、もうグーグー腹鳴ってて、解散した後にソバでいいからすぐ腹いっぱい食べたい、とその立ち食いソバ屋に入って。

かけそばとカレー大盛、
と僕が注文すると、店員さんが僕に言うのです。

「いや、絶対に食べられないから、ソバはヤメません?」と。

なにを!
バカにするな、と。
こちとら人様が作ってくれた食べ物を粗末に残したことなんて1度もねぇ!
見下すんじゃねぇ、と。

「そうですか、分かりました」と店員。

で、ソバが出てきて、
追っかけ、カレーが僕の眼前に。

なにこれ?
バケツ?
みたいなカレーが出てきて。
走馬灯みたいなものが脳裏をよぎりつつ、カレー完食。

残されたソバ。

もう胃のスミズミまでカレーが行き渡り、空間がない。

胃が驚いてるわけです。
「なぜカレーがこんなに!?」と。

「すいません、無理です」と泣く泣く店員さんにギブアップ。

生まれて初めての敗北。
ミルキーはママの味ならぬ、
敗北はカレー味。


それから数ヶ月して、
Yさん、Oさんと飲んだ後にボーリングへ。

負けた人の罰ゲームで、
負けた人はそのバケツカレー食う、と僕が提唱。

もうね、負けられない。

なんとか負け回避で、
カレー餌食はOさん。

食べたあとのOさんの腹が、もう生まれます、みたいになっててスゴかった。

夏恒例怖い話

2009年08月02日 | 怖い話

夏。
それは暑い時季。


人はその暑さから逃れる為に、いろいろなものを生み出してきました。

クーラーだったり、
プールだったり、
稲川淳二だったり。

なぜ稲川淳二?と思う方もいるかも知れませんが、
人は真に恐ろしいものを見たり、想像したりすると、感覚的に寒くなるので、夏イコール怪談なのです。

そして1番怖いのは、
最初テレビで見ていた頃は別にそうでもなかったのに、いつの間にか「怪談と言えば稲川淳二!」みたいな地位を築き上げとる稲川淳二自身だったり。

最初そんなキャラじゃなかったですよね?
芸能界って怖い。

さて、かく言う僕もこのブログで数々の怖い体験談を載せてきてますが、今回は心霊写真の話。


何度も繰り返しますが、
僕自身の正直な気持ちで言えば、幽霊なんて有り得ない、と思っています。

だいたいにして説明がつかない。肉体が滅んだ後に、精神ないし思念だけが残留し、この物質界に干渉するなど、どう考えても非論理的。

だが僕自身その非論理的な現象をいくつか体験しているのも事実。

嘘だ!と言われてしまえば、それで終わり。
僕には反論できるほどの科学的根拠が全くないのだ。

最初から証明できないことを語るべきではない、そうしていつの間にか心の奥にしまい込んだ話のひとつ。

時はだいぶ遡り、
小学3年の夏。

お盆休みに家族で旅行することになった。

二泊三日。
場所は山中湖である。

出発当日、山中湖に行く前に父が神社に寄ると言い出した。

父の手には木彫りの彫刻があった。

その彫刻は鳥を模っていて、30㎝くらいの大きさ。
オウムのような感じだったが、なんだか判然としない。

なんか気持ち悪かったので、それなに?と父に聞いた。

「去年の祭で買ったんだけど、どうもコレが来てから、良くないことばかり起こるんだ。だから神社へ持っていって供養してもらおう」と父は言った。

父の言った「良くないこと」が具体的にどういうことだったのか、小3の僕に知る術はなく、そして今でも知らない。

そうして地元の神社へ立ち寄り、人形などを供養する所へその木彫り彫刻を預け、山中湖へ向かった。

旅行はとても楽しく、
山中湖は素晴らしい土地だった。

ペンションに宿泊していたのだが、庭でバーベキューをし、夢にまで見たクワガタの捕獲まで成功した。

鳥の彫刻のことなど、すっかり忘れ去っていた。

あっという間に二泊三日が過ぎて家に帰ってきた。

数日後、旅行中に撮影した写真を見て、僕は本当に恐ろしくなった。


その写真はペンションの庭で撮影したものである。
椅子に腰を掛ける母の両隣に僕と姉が立っている。

ペンションのガラスに父がカメラを構えてる姿が映り込んでいる。

その横に、真っ赤な火のようなものが浮き上がり、明らかに父が神社に置いてきた、あの木彫りの鳥の姿が映っていたのだ。


キャアアア

いや、これはマジで怖かった。