無知の涙

おじさんの独り言

アルバイト2「リゾートバイト」前編

2007年11月08日 | アルバイト奮闘記

高校3年生の冬休みに、卒業してすぐに家を出るための資金を稼ぐ為に冬山へ働きに行きました。

リゾートバイトです。

その頃、卒業したら本格的にバンドでプロを目指そうなどと寝ながら夢を見ていたので、進学する気も就職する気もなかったのです。それに対して父からの猛反対を受けて家庭内のイザコザが絶えなく、母親にも苦労をかけてしまっていたのですぐにでも家を出たかった。もう父の世話にもなりたくなかったですし。

期末テストが終わって、終業式を待たずに旅立ちましたね。1月の半ばまで。

担任の先生にはきちんと了解を得ました。なかなか話の分かる先生だったのです。停学ばかりで問題ばかり起こしてましたが、無理矢理に押し付けられた学級委員をきちんと務めていましたから、それなりに僕のことを認めてくれているようでした。

親には、しばらく学校に近い友達の家から通う、とウソついてました。母だけにはきちんと事情は話しましたけどね

初めての長期外泊、しかも仕事です。中学生の頃から父親の手伝いで掃除のアルバイトしたり、高校に入ってからもなるべくバイトするようにしていたので人生の初仕事というわけではありませんでしたが、住み込みで働くというと事情はまるで違って完全に未体験ゾーン突入。

バンドのメンバーたちから、みんなで編集してくれた音楽のテープをもらい、そのとき好きだった女の子に駅まで見送ってもらって僕は旅立ちました。

って、帰ってくるよ?すぐに!

1ヶ月くらいで!

今生の別れじゃないんだから。まぁ嬉しかったですけど。

行き先は長野でした。東京駅(だったと思います)から特急に乗りました。長野駅に着いて、普通列車に乗り換えました

車内には地元の学生たちがいっぱいいて、その学生たちが実に楽しそうに見えて、そんな光景を見ながら友達のくれた編集テープを聴いていると、なんだか自分が遠い世界に来てしまったような孤独感に襲われて、今すぐにで引き返したい気持ちになりました。

でも、自分の好きなコトをして生きてゆくっていうのは、つまりこういうコトの連続なんだろうな、と僕は漠然と感じていたので、それ以上あまり余計なことは考えずに目的地へ向かいました。

電車を降りて、実際に僕は遠い世界へ来てしまったのだ、ということを痛感しました。

もう一面、だけ。

しかも軽く吹雪

プレハブ小屋みたいな駅の待合室で待つこと数十分。僕の働くホテルからの迎えの車が来ました。それに乗って走ること30分。ようやく僕が働くホテルへ到着しました。

到着すると、まず面接。そう、恐ろしい話ですが、面接もせずにここまで来ているのです。

履歴書は郵送で送っていました。その数日後に「じゃあ、ちょっと来てもらえますか?」と言われたのです。ちょっと来てもらえますかって・・・近所のスーパーへ行くのとはワケが違うのです。

これで面接ダメだったら、そのまま引き返さなくてならないのです。見送ってもらった人たちに合わせる顔が無い。

面接してくれたのは、宿のおかみさんでした。「じゃ、今日はもう遅いから、明日から働いてもらうわよ

どうやらOKのようでした。ヒヤヒヤです。

部屋に案内され、荷物を置くと、さっそく夕食なので食堂に来るように言われました。

リゾートバイトって、なんだか華やかなイメージがありましたが、食堂に入った瞬間、そんなイメージは跡形も無く崩壊しました

全員、。その数5人。

かなり冷たい視線を浴びながら自己紹介をしました。僕の自己紹介が終わると、今度は先輩方の自己紹介。

まずここの責任者である牛島さん。社員です。年齢は30歳後半くらいだったと思います。

次は副責任者の鬼塚さん。この人も社員です。年齢は20歳後半だったと記憶しています。

で次からは入った順に。

山井さん。この人はアルバイトです。年齢は30歳前半だったと思います。

河原さん。この人もバイトです。現役の大学生だったので、21とか22歳くらいだったかと。

で、最後は今井くん。この人は鮮明に覚えてます。17歳だったので。まさか年下がいるとは思ってませんでしたから。だからクンづけです。

このようなメンバーでした。

気まずいまま食事が終わり、部屋に案内されたのですが、なんと相部屋。しかも4人部屋。山井さん、河原さん、今井くんと僕。いや、キツかった。だって他の3人はもう打ち解けているから、完全に孤立ですもん。

ちなみに社員2人は一人部屋です。

僕はけっこう人見知りするので、他人とすぐにホイホイと仲良くなれないのです。

部屋にいられないので、ロビーに行って公衆電話で友達とかバンドメンバーに電話しまくってました。もう恐ろしいくらいにテレホンカードの減りが早いので、かなり電話代で金を使いました。あとはビール買って飲んで、ウォークマン聴きながらさっさと寝てしまいました。それまでも飲酒はしてましたが、飲酒癖がついたのは確実にこの職場でですね。齢18にして。

初日は夜逃げしようと思いました。真剣に。孤独と不安で気が狂いそうでしたから。でも逃げられません。山の中で、しかも雪だらけです。ヘタに逃走しようものなら凍死は確実逃げられないと余計に不安になります。でも自分で選んで此処まで来たのですから、覚悟を決めるしかない。2、3日耐えてそれでも駄目ならきちんと話をして昼間下山しよう。

そして翌日になり、ついに仕事が始まったのですが、仕事はそんなにキツくはありませんでした。宴会場のイスやテーブルを掃除したり、レンタル用のスキー道具を整備したり、雪かきしたり。

普通に5:00くらいには仕事が終わって、あとは自由時間でした。

他の人たちと打ち解けられないので、あまり仕事が早く終わっても苦痛なだけでしたが。フロは温泉でした。お客さんと一緒に入る形です。浴場に有線放送が設備されていて、のんびりとフロに浸かりながら流行の音楽をチェックできるのは、山の中で情報網を立たれた僕には有難いことでした。当時は携帯なんてないし。

そのとき流行っていたのは、ロマンスの神ですね。もうフロに入ると必ず1回は聴きました。完全にリゾート感覚ではなくなっていましたから、ロマンスの神様 どうもありがとうとはとても言えない気分でした。

3日目くらいから少しずつ他の人たちと打ち解け始めました。さすがに一緒に仕事してれば嫌でも話はしますから。一人と仲良くなってしまえば、あとはもうノリで仲良くなっていきます。

最初はやはり一番年の近い今井くんと仲良くなりました。そして他のルームメイトと仲良くなり、5日目くらいには社員の人とも話せるようになりました。

でも鬼塚さんだけは仲良くなれませんでしたハッキリと敵意を感じるからです。何度か睨まれるような事もあったし、仕事のことを尋ねても親切には教えてくれませんでした。

ハッキリと敵意を感じるのは学校生活でもよくあるコトでしたが、職場でそういう敵意を感じるのはモチロン初めての事なので、どうして良いのか分かりませんでした。でも1週間くらい経った頃には、他の人たちとはすっかり仲良くなれたので、とりあえず気にしないようにしてました。

仲良くなれば、とうぜん酒盛りです。時間はタップリあるのです。

仕事が終わって、みんなでフロ入った後は、食事もそこそこに僕らの4人部屋で宴会です。

まぁ宴会のメンバーはルームメイトだけでしたが。鬼塚さんは僕のことが嫌いなようでしたから仕方ないとしても、牛島さんもあまりバカ騒ぎは好きではないようでした。

宴会をするようになって気付いたのですが、みんなそれぞれ自分の酒を用意します。買い込んであるのです。とうぜん買出しに行っていない僕はロビーの自販機でビールを買うしかないのですが、山の上なので普通より高いし出費がかさむばかりです。

こんな雪山に金を使う為に来たのではありません。金を為に来たのですそれでなくても電話代で予想以上の出費をしていましたから。なんとかして安上がりな焼酎を入手しなければならない。僕はそう決心しました。

翌日、僕は半日の休暇をもらい、焼酎を入手すべく下山を試みることにしました。齢18にして。

1時間も山を降りれば、小さい酒屋があるという河原さんの情報を頼りに下山すると、情報どおりに居酒屋はありました。大五郎とかのビッグなボトルを持てるだけ買って、僕は再び山を登りました。

買いすぎた焼酎のおかげで、かなり足取りが重い。行きは下りでしたが、帰りは上なのです。とてもじゃないが1時間も歩いていられないと思い、車道ではなく山を突っ切ることにしました。

山道なので、道は当然スパイラルを描いています。だから時間が掛かるのです。直進すれば絶対に近道なハズ!

しかしそれが大失敗

雪の積もった山を登ることの困難さと危険を僕は知りませんでした

それに気付いたときには、すっかり手遅れ。山を登り始めて30分後にはすっかり方向感覚をなくしてしまっていました

 

つづく

 


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