クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

桜ふる小説・7(宇野千代『淡墨の桜』感想)

2022-04-02 | 本と雑誌

天才作家(梶井基次郎)ホレ

りゃくだつ(略奪)を試みた

という人妻が、いるそうです。

 それは、うのちよ(宇野千代)です。

クリンたち🐻、

おばあちゃんになってからの宇野さんしか

知らなかったのですが、

 

 若いころは、さまざまな才人たちから、モテモテだったらしい

そんな、恋多き女流作家に

『淡墨の桜(うすずみのさくら)』

という・小説が あるので、

今日は、それをとりあげます

(実は、 同じ「淡墨の桜」という名の、お線香があるんですよね

仏前にはちょっと・あだっぽすぎて、

いつも、いわかんを かんじております。。)



~宇野千代『淡墨の桜』、概要~


 淡墨の桜は、実在する・岐阜県の名木

樹齢1200年なのに、たいして見る人もいない、

さびしい巨木でした。

 ある日、その木を見に行った・有名着物デザイナーの某女史

は、

衰弱する木の姿に 心打たれるものを感じ

「保護活動」に のり出すけど、

 それを、超資産家の、因業ババアにジャマされる

 

桜は、存続できるのか

・・・・・

(ってな、女のバトル話です


 名声をもつ「着物デザイナー老女」が、権力をもつ「資産家老女」に

ちょいちょい・プライドを きずつけられ

逆に 

とうし(闘志)を もやしていく・・

 その心もようが おもしろく 読んでいて、

ぞくぞくしました。

 それと並行して
若い男女の恋の話

まじってくるのですが・・

その若い女性の容姿が、

(男性作家ではこうはいかないよな)と 

きょうたんするほど、

あざやかに 描かれています。

 女性としての視点で、をてってい的に見つめたからこそ・書ける

 また、何がしかの地位をもつ老女の、のごとき手強さを

みずから知る

宇野千代先生ならではの 作品。。

 



昭和40年代の地方や、

バブルのころの東京を

たん(端)的ながらも

しっかりかんじられるのも、よかったです。

 

 女友だちどうしで読んだら、次に会った時に、この話だいが止まらないでしょうね




【おすすめ度:

 

(※次回は、同じ「淡墨の桜」を見たことがある、水上勉の小説『櫻守』をレビューします

 

 

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜ふる小説・6(梶井基次郎『桜の樹の下には』感想)

2022-04-01 | 本と雑誌

桜に「魔」をかんじとった作家は

古今にあれど、

「桜の樹の下には屍体が埋まっている

と 

言い切って、

近代作家としての地位を かく(確)立したのは

 かじいもとじろう(梶井基次郎)です。

 彼の手になる『桜の樹の下には』

 

それは、

ぼうとう(冒頭)の「衝撃的なフレーズ」以外、

人々の記おく(憶)に定着しにくい

作品ですが、

このたび、たった3ページほどの その短文を読んで・・

 クリンたち、しびれました

 説明できるような・ストーリーじゃないんです

でも・・

もとじろうは

れんそう(連想)の幻視を かさねながら

「なぜ自分が、桜を見て『死体が埋まっている』と考えざるを得ないのか?

 らくらい(落雷)のはげしさをもって、

読者に 叩き込んでくるのです



 クリンたち・・🐻 何回か読んでいるはずなのに、

今回初めて、

そのすごさがわかって びっくりしたので

ちょっと この人物(梶井基次郎の来歴)を、しらべたくなりました。


そしたら・・

 かなり・はちゃめちゃな、マグマ男であることが、

判明しました

 ~梶井基次郎・略歴~

 

明治34年、大阪生まれ。

第三高等学校の理科に入学したのに、

文学へ傾倒しすぎて、後に東京帝国大学に文科で入学する(あたまいい

女性には全くモテなかったけど男友達はたくさんいて

才能あふれる友人を相手に 夜な夜な談義して青春を謳歌。

功利主義を低俗とみなし、精神面で偉大になろうと決意するも、一体何をしていいか分からず懊悩・・

享楽におぼれて色々やらかしつつ、学問、芸術、スポーツとまんべんなく熱中しそれらから、すべからく最良のものを吸収。


(と並行して、)

実家のいざこざや自らの不健康など、不安定要素が 突き刺さり・・

 

ちょっと精神を病んだ(かな、、)


なお 京都の「丸善」にレモンばくだん(爆弾)を 仕かけていたころ、

数々の伝説も のこしています💣💣💣

 ~梶井基次郎、伝説(※wikiより適当に抜粋)


🍋漱石が好きすぎて、どこに何が書いてあるか?すべて暗記。

🍋「肺病になりたい。肺病にならんと、ええ文学はでけへんぞ」と三条大橋の上で叫んで胸を叩く。

🍋酔って大の字に寝ころび、「俺に童貞を捨てさせろ」と大声で叫んで遊郭に登楼。

🍋酔って愛宕参りの団体客の部屋に裸で乱入。

🍋和歌山で海水浴中、崖から飛び込んで海中の岩で鼻を怪我。

🍋酔って料理屋の池に飛び込み、鯉を追っかけて、出禁となる。

🍋京都のカフェーでヤクザと喧嘩し、左の頬をビール瓶でなぐられる。

🍋東京でも、赤門前のカフェーで客と喧嘩し2階から転落。飲み屋で明治大学の不良と大喧嘩。
etc・・


・・・・・

なかなかの あらくれっぷりです。

 とはいえ もとじろうは、きほん、「義理人情」にあつく

すぐれた人には すぐにかんか(感化)される

ホットな交流を求めた

才子であることも 同時にわかりました。

 

(ピュアです)


 結核が進行し・・、帝大を中退した年に

もとじろうが書いたのが、

『桜の樹の下には』、、


クリンたち、

 俺には惨劇が必要なんだ」

といった、この夭折の天才が、

(なにゆえ屍体を想像したか?)

このたび、しっかりと、わかってしまいました。🐻

 

 

【おすすめ度:

 

 

(※次回は、基次郎がホレた宇野千代の『淡墨の桜』という作品を、とりあげます

 

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする